剣とたいまつの間の戦い
A battle between the swords and the torches.

17という数字は、裏側に8を持ちます。
8は物質性が極まり、ここで完成します。

そして、完璧になった物質は、その後、飽和し、空(エーテル)へと向かいます。 8とは、物質性の完成であり、エーテルという在り方と表裏なのだと、お話してきました。 8に拮抗する17は、素数であり、希薄で微細な態度を示します。 タロットカードの17は星で、微細な意識への目覚めが描かれています。


一つ前の16度で、それまでの信念体系、自分の中での常識が全てぶち壊された経過がありました。今まで自分が、これが真実だ、と信じていたものが全て ぶち壊され、価値体系が破壊されるのが16度の体験です。

そのことで、既存の古めかしい考え方から、離脱することが出来、それまで絶対に見ることが出来なかった景色が見えてくるのです。

ですので、例えば、サインの前半戦が、自分の信念に自信満々で、能動的に活動している状態だとすると、16度では、やりすぎて一旦、強制終了がかかるような感じと捉えても良いかもしれません。

前だけ向いて、自分の信じた価値を絶対的なものとして、走り回っていた時には、 その裏側にあるものなど見える由もないのです。

留まること、いったん破壊され、終了せざるを得ない状況になって初めて、見えてくるものがある。だから、一概に、こうしたことは、負けとは言えないし、失敗でもないのだと思います。

17度では、そうした16度の挫折体験を経て、見えてきた神秘的な境地です。 より自分自身と繋がって、意識が明瞭になってきた状態です。 16度の体験があったからこそ、そうした意識に開くことが出来るのです。

牡牛座17度では、剣とたいまつの戦い、となっています。

ソード&トーチ。


ソードは剣、たいまつはこん棒に火が灯っていますね。
この印象を、シンボルを学ぶ人なら、すぐに捉えることが出来るのではないかと思うのですが、私はこれを、タロットのスートのソードとバトンという風に捉えています。

ソードは、風の象徴 バトンは、火の象徴です。

そして、この二つは、水のカップと、地のコインに比べて、非物質的な形のない 高次元領域の象徴です。

ソードは左脳的ですので、理論的、戦略的、言語的、専門性、などとなっていきますし、 バトンは、右脳的ですので、直感的、突発的、活力、創造的、となっていきます。

ソードもバトンもどちらも男性性ですので、能動的であることは同義なのです。 ですので、この度数では、その非常に活動的で、能動的な二つのエネルギーが お互いに切磋琢磨、戦っているといったイメージが浮かびます。

ソード(剣)は論理的に戦略的に物事を捉えて、意見を言う、 バトン(たいまつ)は、直感的に、感じるままに、意見を言う、

そのどちらもが正しくて、どちらもがパワフルなのです。 これらがお互いに、活発に意見を交し合うことで、新たなる真の創造性が生まれていくと、感じます。

この牡牛座17度の度数は、そういった意味で、とてもパワフルで活動的な度数だと感じます。

一つ前の16度で、それまでの信念体系が全て破壊され、まったく違う反対側の、神秘、というキーワードに邁進しはじめました。 そして、その新しい、見たこともない世界に触れて、ここでは、その自分の信念に沿って、信じた道へ、絶対的に進んで行こうとしています。

そして、お互いに、進む、創造する、動く、といった共通のテーマを持つ、 剣とたいまつという、正反対の性質を持つ、けれども同じくらい能動的な性質のもの同士が、より活発に進むために、より活発に創造するために、より強く信念を生きるために、お互いに意見を交し合っている様子がイメージできます。

お互いに、進む、という目的は一緒。そのために、戦う。 こういう関係なのだと思います。

ある意味、一つ前の度数で出てきた、牡牛座とは正反対の世界を、自分の中でしっかりと根付かせ、真実とするために、非常に強い活力と能動性がここで発揮されていると思います。

火と風とは、牡牛座の地の世界とは、まったく正反対の上方にある、非物質的なエネルギーだからです。 牡牛座的な地の性質は、やめようよ、とか、現実見ようよ、とか、止まろう、とか、 否定的なこともたくさん言うのに対して、 火と風のエネルギーは決して、留まることはしないし、やめることもしないのです。

ただ、進むためにはどうしたらいいのか。という超ポジティブな話し合いが ここでは、永遠と繰り広げられるのだと思います。