古代の芝地をパレードする孔雀

A parading on an ancient lawn.

30の数字は、4グループの3になりますので、3という数字の法則性がここで極まり切るという印象があります。また30は、3と0の組み合わせですから3の性質が、時空を超えて、どこかへ昇華していくような印象も持ちます。

サビアンにおける30度は、そのサインの性質を最後に出し切る、下剤を施して、

吐しゃするような度数であるとお話しました。

時空を超えた3。という風に考えると、そのサインの性質の残りかす、残ってるものを、きれいさっぱり出し切って、次のサインへ、すっきりとした、まっさらな状態で入っていく・・感じなのではないでしょうか。

ですので、どのサインでも、30度は、どこか、下剤を注入されて、バーッと、

そのサインの、お腹の中に溜まってたものが出たようなイメージ?の描写になっていると思います。

こうしたイメージは、あまりきれいじゃないですよね。どこか、悪趣味というか、

パロディ的?というか、ブラックユーモア的な、笑いを誘う描写が多いのです。

サビアンの面白いところは、きれいごとばっかりでもないし、ものすごく洗練されたスピリチュアルのイメージが全体にあるのに、時には、どんなビジネス書や経済書よりも、現実的で、厳しい物質次元の法則について説いたかと思えば、

爆笑を誘うような、ものすごく新しい意識レベルのユーモアを放ったりすることもあります。

サビアンを紐解いていくことは、いつも、自分の中にある、いろんな眠ったスイッチを、触発するなぁと感じます・・

牡牛座30度では、パレードをする孔雀が描かれています。

孔雀と言うと、一番、目立つ、一番派手で、カラフルな鳥ですね。

七色や金銀に輝く、派手派手しい羽を持つ、孔雀が、パレードをしている、

なんとも、派手な印象の描写だと思いませんか?

30度の度数は牡牛座の総集大成であり、出し切ってない吐瀉物をここで

バーッと出し切っていきます。双子座に行くためにそれが必要だからです。

ですので、この度数では、最も派手派手しい、派手すぎてちょっと下品で、笑いを誘うくらいの、ど派手さで、牡牛座を表現しきります。

牡牛座のストーリーをここまで眺めてきましたが、総称して牡牛座が求めたものとは、やはり物質的豊かさであり、五感の快楽でした。

牡牛座で描かれた、様々なストーリーは、詰まるところは、この物質的豊かさと、五感の快楽をもっと得るための努力であり、忍耐でした。

頑固な職人になったのも、街に出て行商をしたのも、どくろを振りかざして戦ったのも、公共の公園に寄付をしたのも、どんな顔も、全て突き詰めれば、これを求めたからでした。

だから、いろんな綺麗なストーリーでここまで牡牛座を見て来たけれど、

結局、ぎゅっとまとめればこういうことですよね。っていうのを一番分かりやすく表したのが、この30度であり、あぁ結局そうだったよね。って最後に、クスっと笑える度数なのではないでしょうか。

牡牛座の可愛さであり、牡牛座の悲しみでもあるのです。

ところで、この孔雀は、自らのド派手な羽をめいいっぱいに広げて、自慢げにパレードをしているわけですが、それは古代の芝生。なのですよね。

伝統的な価値あるものや智慧を総決算している、という風にもとれますが、

裏を返せば、古いしきたりの中で、古いルールの中で、もうあまり機能しなくなったものの中で、やっぱり、これが価値あるもの。と信じて疑わないからこそ、

自信満々にここで、パレードが出来るのかもしれません。

次の双子座からは、すぐにこうした価値観は全く通用しない世界に入っていくにも関わらず、やっぱり、ここで、牡牛座を満足して終わらせるためには、

この場所で思いっきり、自分の持てる豊かな色彩を披露しておく必要があったのでしょう。