ヒイラギとヤドリギ
Holly and mistletoe.


4という数字は、偶数で受動性であり、内面性にベクトルが向きます。 また3で生み出されたもの、活性化したエネルギーが、4で安定化し、 固定化します。 3では、生み出すことが目的でしたが、4ではそれをしっかりと受け取り、 日常使いにしていきます。

3度では、人間の知性が化け物みたいに、発達したら、何でも作り出せちゃうよ、というような世界観で、偉大な建造物である、チュイルリー庭園が出てきました。

ものすごく広大な範囲に、都会のど真ん中に自然が人工的に作られました。 これは、かなり崇高な数学的な計算が無いとできないことでしょうし、 人類の知能が、活用されたときの偉大さを、十分に示すものであったと思います。

それに対して、4度では、ヒイラギとヤドリギ、という何とも、地味、というか、 素朴なキーワードが出てきます。

ヒイラギとヤドリギ、というとクリスマスがイメージされますよね。 元々、キリスト教以前の古い世界では、ヤドリギは、神木として、信仰の対象だったようです。 またヤドリギは男女の愛の成就に関わる植物だったそうで、ヤドリギの下でキスをした男女は結ばれる、とか、そういう逸話もあったようです。

しかし、キリスト教以降、そういった性的な表現に対して、厳格だった聖職者たちが、クリスマスにはヤドリギじゃなくて、ヒイラギを飾るように、となっていったそうです。

ヒイラギは、とげとげして、キリストの茨の冠とか、赤い実も、キリストの血をイメージさせるとかで、受け入れられたようです。

結局、大衆の間では、ヒイラギもヤドリギもどっちも飾るようになっていったようなのですが、こうしてみると、ヤドリギ、キリスト以前、ヒイラギ、キリスト以降、といったようなニュアンスも見えてきます。

またヤドリギは男女の情感の世界や、古い時代の土着的な信仰や生活そのものに根差したものであったイメージですし、 ヒイラギは、キリスト以降の世界に根付いてきたものという印象で、潔白さとか、 犠牲的精神とか、宗教性の強さを感じさせます。

またヤドリギは、キリストの十字架の材料にされた木だとも言われます。 それ以来、他の気に宿を借りて生える小さな木になったという伝承もあるとか・・

なんだか、この二つの木には、深い因縁がありそうな印象なのですが・・・

どちらが俗で、どちらが聖なのかは、分かりませんが、なにか対比するイメージを感じさせます。

3度で発達しきった知性の世界が、4度では定着していくので、 生活の中に、その知的世界が十分に満ちて、その文明的な生活の中で、 クリスマスを楽しんでいる様子です。

十分に発達した文明生活の中で、あえて、山からとってきた木をモチーフにして飾ることで、生活を楽しみ、情感を刺激しているようにも見えます。

また、古い時代の土着信仰と、新しい時代の宗教的なものが、相反するように絡み合ってるところもこの度数の深みを感じさせるところです。
キリスト以降の世の中では、ヤドリギはきっとキリスト的じゃない、として 否定されたものなのかもしれません。 しかし、現代では、どっちがどうとか、どうでもいいから、きれいだし、みんなやってるし、楽しもうよ、みたいな感じで古い信仰も、最近の宗教も受け入れて、 どっちも飾っちゃう柔軟さがあります。

そして、いつの日か、そんな信仰の対立がこの二つの植物の間にあったことすら、みんな知らない事実になっていくのです・・

双子座は、ある意味、すごく柔軟ですから、何でもミックスしたり混ぜ合わせたり、 そもそも、それ、ミックスしたらいけなかったの?みたいなことも知らないままに、 新しいものをどんどん取り入れていく傾向にあります。

昔はどうだったか知らないけどさ、今の世の中、そんなの皆忘れてるし、どーでもいいよね。ってか、クリスマスだもん、楽しもうよ!みたいな、あっけらかんとした感じも感じさせます。

ある意味、恐れがないというか、知の爆発によって、生活の豊かさとか、安全が確保されたからこそ、こうした段階に至り、宗教的な儀式も、ハッピーに楽しむことが出来るようになった、現代社会の表現そのものを感じさせます。