大きな古典書物
A large archaic volume.

双子座の第4グループである、16度から20度までは、反対側のサインの射手座が流入してきて、それまでの双子座前半の、知に対して無垢な若々しい受け身な態度から、知に対して、どん欲にストイックに影響を受けていく。

頭とか論理だけでなく、心とか情動とか魂レベルで、知からの影響に身を投じていく。 健全な頭から、精神の頭への移行の始まりでした。
知識を活用して人生をよりよくしていこうとするのが、双子座前半だとしたら、 双子座後半では、知を人生の中心において、自らの精神の資質を高め、自ら自身が、成長していく世界なのかもしれません。

ですから、双子座前半では、知によって、既存の世の中に順応し、そこで自らの個性を試していくのだとしたら、後半では、知によって自らの性質を高め、自分の意見と考え方を持ち、世の中に順応するのではなく、自分という個を確立していく世界なのかもしれません。

知識は最初の段階では、個を世の中に順応させ、世渡り上手にさせるのに対して、知識は極まれば、世の中に順応するのではなく、自分を極めることで、世を捨てていく、そういう世界観なのかもしれません。

双子座の16度以降、知の影響力の強さを、存分に味わってきた双子座は、一つ前の18度で、自らが培った、超マニアックな世界の中で、同じ共通言語を持つ仲間を見つけ、その人と閉じた世界で、マニアックな会話を存分に楽しみました。

沢山の人には自分の話は理解してもらえないかもしれないけれど、一部の特定の人とは、深く深く、話し合い、理解しあうことが出来る。 そうした、双子座らしい高みを経験し、ある一つの新しい扉を開けた先が、19度の古典書物の世界なのではないでしょうか。

19は、素数ですから、とてもテンションが高く、活動的です。 19は、タロットカードでは、18番で月の扉を開けた後の、創造的な世界の始まりである、太陽のカード。多次元な自分に出会う場面です。

サビアンシンボルにおける、19度はそう言った意味でそのサインの性質に魔法がかかって、ひと飛び足に飛びあがるようなテンションの高さを感じさせます。

なにかそれまでの窮屈な世界から飛び出して、新しい次元を生き始めるような上昇感を感じさせます。

双子座19度は大きな古典書物となっていて、ダイナミックなボリュームの古典書物を表しています。

双子座はこの度数で、知の源流。に辿り着くのかもしれません。

双子座の知的学習とは、とにかく生きるためにたくさんの必要と思われる知識をその時々で、集めてくるようなものだったと思います。

例えば、歯が痛くなれば、私たちは、歯の知識をネットで検索し、本を読んだり、良い歯医者さんを探したりと、情報を得始めます。

またときに、ダイエットしようと決意すれば、筋トレやヨガの知識を集めたり、 食事や、ダイエットメニューの本を読んだり、基礎代謝のことや、内臓脂肪のことを調べたり、良いジムやトレーナーを検索して情報を集めたりするかもしれません。

私たちは人生において、何か困ったことが起こった時、また、何か不安がある時に、その分野における知識を集めるのだと思います。

人生はその連続で、その時々に人生で必要な知識を、集め続けます。 このスタンスはとても双子座らしいと感じるのです。生きるために集める知識と学習。

しかし、私たちは、どこかで疑問を感じ始めます。 この知識の源流とは何なのか?と。

どのような分野にも、「種の書物」というようなものがあるのだと思います。 例えば、西洋占星術なら、プトレマイオスとか、ヘルメス文書が、 インド占星術の源流を知ろうと思えば、ウパニシャッドやヴェーダの聖典があるかもしれません。

それは、とても分厚くて膨大な難しい書物なのだけど、そこに書かれている知識が源流となっていて、今の占星術が出来上がって行ったり、 今の流行りや、流行といったようなものも、そういうところに源流があったりするものです。

双子座の知の世界とは、その枝葉の末端を、たくさん寄せ集めてくるような世界観で、19度まで来ると、ようやくその知の源流に辿り着き始めます。

こういった世界観は、実はとても射手座的な世界で、射手座では、最初からそれをやっていて、後半では、その英知を、民衆や、社会の役に立てて行こうとする、 野に下る、流れが起こりますが、
双子座は逆なのだと思います。最初、枝葉をたくさん拾い集めて、ようやく、源流に辿り着いていく、という感じなのかもしれません。
しかし、枝葉をたくさん集めることは、必要なことでもあり、馬鹿にするようなことではありません。


例えば私たちは歯が痛い時に、歯科技術における医学書の古典書物などを読むでしょうか?それよりも、ネットで、今の症状をササっと、検索し、近くにいる名医を探しますよね。

ダイエットしたいと思ったときに、人類の肥満の始まりとは、みたいな人類史の本は読まない訳です。(そういうのを読むのも、面白いですし、ダイエットには役立ちますが・・まず、今3キロ痩せたい!と焦ってるときには、そういった書物よりは、 今、痩せるにはどうしたらいいか、を調べ、情報を集めると思います。

ですから、今、目の前にあるお困りごとを解決するにはやっぱり古典書物よりも、 現代的で、新しくて、辿り着きやすい情報を学ぶことなのです。

しかし、私たちの知的な意識とは、枝葉がたくさん集まれば集まるほど、 古典の源流に自然と意識が向いてくるものなのだと思います。 そして、そういった種の書物に触れると、何故だか、一気に、自身の中の知のワールドが、加速的に広がり、包括的になってくるものなのだと思います。

そうした意味で、やはり、種の知識、というのは、私たちに欠かせないものなのだと思います。