毛深い鹿に導かれる毛皮に包まれた男
A man bundled up in fur leading a shaggy deer.

3は創造性、生産性の意味を持ちますので、蟹座の3度では、蟹座の性質によって開かれていくもの、創造されていく世界について、物語られているのだと思います。

蟹座の世界とは、共同する意識に同調していくレッスンでした。 ここでは、鹿という動物が登場しています。毛深い鹿。となっていますが、 これは、本能的な生き物、衝動的で情動的な性質として、サビアンでは、描かれていると思います。

また登場する男も、毛皮にくるまれているので、毛むくじゃらの鹿と、同質のまたは、似た性質を持っていると捉えることが出来るかもしれません。
また毛皮にくるまれることで、毛むくじゃらの本能的な鹿と、同族として、同調していこうとしているのかもしれません。

双子座では、知性の世界、ロジカルの世界を生きてきましたが、 物事を究極的に、最後に判断を下すとき、私たちは直感を取ることが 求められたりします。

どれだけ、知識があっても、どれだけ情報を集めても、一番大切なことは 最後はやっぱり、直感や本能に従う、ということの大切さをこの度数では 言っているのかもしれません。

また、自分の頭で考えだそうとして、理詰めになってばかりいても 一向に、回答が導き出せない、方向性が決められない、どころか、 何も分からなくなってしまうということもあるかもしれません。

鹿という動物は、群れをなしてその群れに従属して、 無意識で本能のままに群れの動きに従って生きる性質の動物なので、 象徴的なアトリビュートとしては、無意識の性質の、タマスの性質の生き物として描かれることが多いように思います。

自らの個としての意識を持たず、属する群れに無意識で完全に同調している眠りの性質の生き物として描かれることが多いです。

しかし、蟹座の3度では、そうした性質こそが、創造性を開くというようなことが言いたいのではないかと思います。

個の資質である、知を育成すること、ロジックで、物事を考え、知恵を持つことは、私たち人間だけが持つ性質だと思います。

しかし、単なる知識とロジックの寄せ集まりの段階においては、この知恵がなかなか使える状態ではなかったりします。

ですから、直感やひらめきが己を助ける、ということはとても大切な、私たちが持っている能力なのだと思います。

私たちは誰しもそうした「動物的な本能」というものを持っていて、どれだけ 知性が発達しても、こうした動物的な本能や、直感、また、心で何を感じているか。に沿うこと。など、こうした資質は、無くしてはいけないものなのだと思います。

また、蟹座では、大きな意識に、個の意識を従属させていくわけですから、 自ずと、他者や周りからの影響を受け取りやすくなります。 周りの気持ちを考える、周りの人の気持ちが入ってくる、周りの人の意見に耳を傾けるという性質も入ってくるのだと思います。

こうした資質を考えれば、何かを選ぶときに、自分の頭で考えて、自分で決めるということは、正しいようで、正しくないことも多いのかもしれません。
いくらロジックで、理詰めで考えても、大事なことは分からなかったりするものです。しかし、大切な人や、他者に心が開かれていることで、 他者から、また自分以外の要素から、正しい道に必要な要素や、直感や閃きのヒントになるようなものが入ってきたりするものだと思います。


自分でなんだかんだ、決める。といった自分が何でもできると思っている性質そのものが、物事を決められない、正しい道が分からないということに繋がっていることも多いのかな、と感じます。

自分以外に、心を開いていること、また、心が通っていること、で、 自分以外の周囲から、大切な閃きや、インスピレーションが入ってくる、または、 自ずと自然な形で、導かれる、ということもあるのだと思います。

自分。という資質を一旦捨てることで、自分、を諦めることで見えてくるもの、またそうでなければ見えてこないものってやはり、あるのだと思います。
蟹座の3度ではそうしたガイダンスに触れているのかもしれません。

蟹座の主たるテーマである、共同体意識の確立、群れをなして生きること、 集団で生きること、仲間と共に生きること、といった世界観に入っていくのが、1グループの主題となります。

私たちホモサピエンスの最大の能力は、ここにないものをイメージする力と言われます。そのイメージや空想が物語を作り出すわけですが、一人がイメージしてもあまり変わらないのだと言います。より多くの、たくさんの人たちが同じ夢をイメージすることで、同じ物語を信じることで、現実が作られ、変わっていくのだといいます。

ホモサピエンスがここまで、繁栄し、子孫を残し続け、歴史を刻んで来られた最大たる理由がここにあるのだと、思います。