少女が水の中の魚へ手を伸ばす

A tiny nude miss reaching in the water for a fish.

9の度数は、そのサインの統合が起こります。

8で現象化し、形になり切ったものの先にある、もっと崇高なそのサインの

哲学、のようなものが、この度数では見えてきます。

8度では、服を着てパレードしていた兎ですが、兎という本能的で情動的な性質を、正装した服の下にひた隠し、洗練された活動へと、その荒ぶる内面を昇華させていく流れでした。

蟹座は感情のサインですから、とても熱いものを、躍動する想いを内に秘めています。その激しい感情をそのままに出してしまったのではおそらく、うまくないこともたくさんあるのだと思います。

しかし、8度という蟹座がある種、形骸化し、固定化した形になる場面では、

その荒ぶる感情を、清楚な洋服で覆い隠して、内に秘めた情熱とか、激しい想いを、冷静な形で、表現していきます。

蟹座は能動宮ですから、本来、行動的で活動的なのですが、保守性も併せもっていますから、他の能動宮のサインのように、周りを顧みず自分の情熱のままに

なりふり構わず突き進むということはあまり、しないのかもしれません。

相手の気持ちを考える、周りの雰囲気を読んだ上で、良しとされるやり方をしていくのが、蟹座らしいスタンスなのかもしれません。

9はそうした過程を経た上で、もう少し崇高な精神と統合されていって、

次なる可能性に開いていく局面でもあります。

この度数では、裸の少女が出てきますが、少女というのは無垢な存在、純粋性、潜在的な性質、なのだと思いますが、裸であることから、その純粋さの性質は、

より、際立ったものになるのではないかと思います。

とてもピュアで、本能的である性質を思わせす。

本能的な動物が出てくるとき、衝動性とか、動物的な野獣性についてイメージがされますが、裸の少女は、動物と同様に、本能的であるのですが、

どこか、最もピュアで、透明な存在を思わせるのだと思います。

その裸の少女が水の中に手を伸ばしています。

水は、潜在意識、心、感情の世界を言っていますから、深い無意識の世界へ

手を伸ばしていっている様子が思い浮かびます。

最もピュアで透明な存在として、心の世界へと深く踏み入ってく。

そんな様子がイメージされるのではないでしょうか。

それは

人の気持ちや心を感じ取る能力となるかもしれないし、

相手や周りに対する深い共感力かもしれない、

また、自分の本当の気持ち、深いところにある自分自身との繋がりを手繰っていく流れなのかもしれません。

蟹座のテーマである、深い心の世界との繋がり。

蟹座の前半では、主に、個を捨てきり、共同体の意識に沿わせて行くいわば、訓練のようなものがずっと実施されていたようにも見えます。

個人性を諦めることは、最初の段階では、周りに強調すること、周囲や相手の気持ちに敏感になることを求められたし、そうしたレッスンを積むことだったと思います。

そして、誰かのために自分を犠牲にしてでも、大切なものを守ろうとする心を獲得し、自分の中に、こんなに深い想いとか、心の世界があったのか、と

改めて、自分自身を発見していくことになります。

そして、その強すぎる情熱とか愛とか、荒ぶる感情とかを、洗練された形で、表現する、使っていく方法も学んできて、ここまで来て初めて、

自らの中にある、深層の意識に繋がっていく、それは神秘の世界でもあり、

宇宙(本当の意味での個とか、全体性)に繋がるきっかけの月の扉を探しているような場面なのではないかと感じます。