中国人の女がメッセージを持った赤ん坊をあやしている
A chinese woman nursing a baby with a message.
12の数字は、タロットカードでは、吊るし人になります。
この数字には土台に3があり、創造性や生産性に関わります。
しかし、12は偶数ですから、その創造性は、内側に開く、内的なものを通して、
創造されるという風になります。
創造するとは、外側に向けて、何かを形にすることを言いますが、
12の創造とは、まず内側に開くことを通して、インスピレーションに繋がっていきます。
インスピレーションの無いところに、創造はあり得ませんが、
真のインスピレーションとは、外側の情報から獲得されるものではありません。
また、外側から来るものに振り回されているうちは、真のインスピレーションに
繋がることもないのだと思います。
しかし、私たちは、手足が自由で、どこへでも動いていくことが出来ると、
無数の選択肢があり、外側の情報に翻弄されがちです。
私たちは、制限は制限と感じるのに、制限されないものを、改めて認識することを忘れがちです。
ですから、自分がいかに自由か、思い通り動けているかについては普段、あまり認識せず、当たり前になっていて感謝もしないものです。
その代わり、ちょっとでも制限があれば、そこにものすごく強くフォーカスして、
制限だ!被害者だ!と、声高らかに叫ぶのです。
しかし、その制限があるからこそ、内側に開く、内なる意識と繋がる、ということを言っているのが、12の吊るし人のカードです。
私たちは五体満足で、健康で、自由に動ける時は、割と高い確率で、外側に
真実を求めてさまよい歩きます。
そして、ちょっとでも制限があると、それを憂うのですが、
手も足も全てなくて、何一つ自由にならない場合、全てが制限だった場合、
私たちは外側のせいにすることもできなければ、外に何かを求めることすらできないのです。
外側に何かを求めることが出来ないと、私たちは何も創造することができないのでしょうか?
吊るし人のカードでは、その真逆だと説いているのだと思います。
吊るし人では、手足を縛られ、さかさまに吊るされ、まさに八方塞がり、
どこにも出口がない状態です。外側には一切何も求められない、自由の無い状態です。
こんな状態になって初めて、私たちは、内なる真実に繋がることができるのだと言います。
そして、真のインスピレーションはそうした内側から発せられる。
そして創造とは、その時はじめて起こるのだと・・
蟹座の12度では、メッセージを持った赤ん坊をあやす母親が出てきます。
蟹座の世界とは、母親の愛に象徴される世界です。
それは、自分、よりも、愛するもののために、自分を消し去る愛です。
その無償の愛こそが、宇宙に繋がる唯一の回路であり、真の創造の手段であると言うことなのだと。
この度数では、外側から見れば、単に女が赤ん坊をあやしている状況が描かれているのですが、母親には、母親にしか分からない直観力というものがあります。
母親は、我が子の顔を一瞬見ただけで、体調が分かったり、
何百人といる子供の後ろ姿から、自分の子供を一瞬で見つけたりすることが出来ます。
これは、人智を超えた能力に他なりません。
母親には、母親にしかないインスピレーションがあるのです。
ここでは、あくまでも母親的な象徴として、ということですが、
誰かのために、自分を完全なるシャドウにすることが成されたとき、
私たちは、心の奥深くの扉を介して、自らの宇宙意識に繋がっていくのかもしれません。
ここで登場する母親の直感とは、なんの論理的根拠もないものです。
しかし、それはこの女の中では、何物にも代えがたい真実であり、事実なのです。
これは、到底外側から来るものではなく、内側から発せられるインスピレーションに他なりません。
誰かからそう教えてもらったとか、偉い人が書いた本にそう書いてあったとか、
世の中の常識がそうだから、とか、そういう外側から来る要素は一切合切排除して、自分の内側にまっすぐ繋がった結果、得られる直感なのです。
こうした真の直感というものは、その人の個としての本質に関わるものですが、
自らの個としての存在を捨て去ったものにのみ降り注ぐイメージなのかもしれません。
自分。というものを捨てられないうちは、真の自分に出会うことが出来ない。
そして真の自分(魂)に接触することが出来なければ、創造もない。
蟹座の前半の世界では、そのことをまっすぐに語っているように思います。