文学会の集まり
Meeting of a literary society.

23の度数は、サビアンにおいて、そのサインが二元の性質を受け入れた上での、 成熟した形での実りを迎える場面です。
23度は、土台に3を持つ、5のエネルギーですから、そのサインの性質が はっきりと形になって表現されるのです。
23度は、どのサインにおいても、21度の陽の作用と、22度の陰の作用の、 統合が起こる場面です。
蟹座23度では、文学会の集まりとなっています。
ここまでの流れを少し振り返ってみましょう。
21度のプリマドンナで、自分自身の全人生を感情に乗せて、素晴らしい歌声を放ち、たくさんの人たちと共感によって繋がることができました。
そして、22度では、その放ったモノに対する奇跡を待っているような 究極的な受動性の態度で描かれていました。
22度のヨットを待つ女のところでは、やれるべきことは全てやった、 この社会の中で、自分らしさを損なわず、大切なものを犠牲にせず、そのうえで、 社会活動を行い、社会の中で自分の立ち位置を築いていくには、どうしたらいいのか、という、模索と試行錯誤の末、最後にできること、考えうる最善の表現を21度で世界に向けて放ったわけです。
そして、それが、どのような結果となって返ってくるか、それは、趣味の領域になるのか、それともはたまた、思いもよらないような奇跡を起こすのか。
そのただ、1%の奇跡を待つ。そういう姿勢が22度では描かれていたのだと思います。
そして、23度まで来て、文学会で仲間と集まっている様子が描かれています。
奇跡というのは、99%起こらないものなのだと思います。 だから、大多数の人たちは、奇跡なんか夢見てないで現実を生きろよ、と 言うわけです。
でも、奇跡は、絶対に起こらないとも言い切れないものなのです。 それは、起こる時には起こるのです。
例えば、ここまでのストーリーを振り返って、もし奇跡が起きたとすると、 爆発的にレコードが売れて有名になるとか、youtubeで、あり得ないほどのファンがついて、世界的に有名になるとか、そういう、ほとんど人が出会うことのない、 何万分、何億分の1の確率で起こる奇跡です。
その夢のような奇跡が起こるかもしれない。と、ヨッドを待つ女は待つのです。 そして、このヨットを待つ女はそういった奇跡を引き寄せる感情の力を持っているとも言えます。
しかし、よく考えてみてください。
何万分の1の確率で起こる、選ばれた人にだけ与えられるその夢のような奇跡、 それが起これば、本当に幸せなのでしょうか?
私たちは、夢のような奇跡を待ち望みます。 しかし、その何故、起こったのか分からないような莫大な奇跡というのは、 それを受け入れるということは、また、何故起こるのか分からない、莫大な 闇とか、逆境とか、衰退や失敗も受け入れるということです。
何故、私たちは、夢のような奇跡を、そこまで望むのでしょうか。 その夢のような奇跡を受け入れる度量とか、器については、あまり考えないように思います。
ですから、奇跡が起こらないことの奇跡。というのもあるのだと思います。
奇跡が起こってしまうことで、受け入れなければいけない困難というのもまたあります。 そして、奇跡は、大概の場合起こらない、幸せとは、自分で意図して、コツコツ 一歩一歩作っていく。そっちの方がよっぽど、幸せに繋がっていたり するものなのではないでしょうか。
時流によって成功する者は、必ず時流によって滅ぶ、とは孟子の言葉ですが、
コツコツ一歩一歩、着実に、努力をしていった人は、時流によって飛躍的に成功することもない代わりに、時流によって衰退することもないのです。
ここでは、少し、蟹座の23度の趣旨とずれて来てしまいますので、 奇跡のお話は、このあたりで、終わりにしたいと思いますが、
奇跡とは、起こらない確率の方が高いし、大概の場合、起こらないのです。 それが普通なのです。
沢山の人の心を躍動させるような歌声を放ったプリマドンナも、 やはり、奇跡は起こらなかったのかもしれません。
関わってくれる仲間たちに、たくさんお給料を払えるくらいの奇跡を起こしたかったし、もっともっと世界中の人たちに歌声を届けたかった・・でも その奇跡は起こらなかった・・
でもそれは、決して不幸ではないし、落ちぶれたわけでもないのです。
穏やかな幸せが続いているということでもあるのです。
そして、23度では、仲間たちと集まって、文学的な語らいをしている場面になります。
より良い社会にするために、たくさんの人に音楽で癒されて欲しい、 自分たちの活動で、たくさんの人たちを幸せにしたい、そんな、志を共にして、 お金になろうがならなかろうが、そんな熱い、高い志で、一緒に活動してきた仲間です。
ここで奇跡が起こっていたら、大躍進して、けた外れのお金が入ってきて、もしかしたら、それだけの成功や大金によって、仲間割れしたり、裏切りや、足の引っ張り合いなんかが起こったかもしれません。
でも、奇跡は起こらなかったからこそ、こうして、集まって、酒を酌み交わしながら、 文学的な語らいが出来る。
世間とか、世の中に対して、彼らは深くて、鋭い考察を持っているわけです。 これまで、社会や世の中のためになるために、自分の身を削って、仲間と共に、 切磋琢磨してきた彼らですから、もっと社会をこんな風に変えていきたい、 今の社会のこういうところが問題だ、と、深い視点を携えているのです。
反対側の山羊座の23度では、二つの賞で、戦時中の勇敢さを称えている物語ですが、山羊座では、21度で、リレー競争で、社会の中で、戦って勝ち抜き、 22度で敗北を優美に認めることで、陰の作用を使いこなすことも学んでいきます。 どちらが正しいわけでもなく、社会の中で真の大人意識を獲得するということは、 この陽の作用も、陰の作用もどちらもうまく、使いこなせなければならないのです。
ですから、山羊座の23度では、二つの賞で、どちらもを称えているのです。
蟹座でも、21度のプリマドンナで、自らの情感の全てを社会に放ち、自分の居場所を確保しようと挑戦しました。 そして、22度で、その放ったモノに対する奇跡を待ち続けます。
そして、23度、奇跡は起こらなかった。起こらなかったからこそある奇跡。 それが、仲間たちとの語らいであり、深い心の繋がりであり、 成功できなかったからこそ感じることが出来る、社会に対する鋭い視点。
今の資本主義社会の歪み、ひずみ、おかしなところ・・ 蟹座は、自分たちの生きる、村とか、共同体をもっとよくしたい、よりよい場所にしたい、という強い想いがあります。 そして、それを一人で行うのではなく、仲間と共に、志を共にして、 仲間と一緒に作っていきたいのです。
一緒に生きる、幸せな場を、描いていきたいのです。 仲間と一緒に、ビジョンを共有することで、イメージはより強くなるのです。
この度数の文学会では、そんな、ビジョンを共有し、より深く、より強く、 イメージを共に落とし込んで明確にしていく作業が行われているように見えます。
これで、奇跡がもし、起こってしまっていたら、爆発的な成功と大金がなだれ込んでいたら・・そんな語らいをすることも、より良い社会を描くためのビジョンを共有することも、無かったのだと思います。
奇跡が起こらなかったからこその奇跡・・ それは、蟹座が最も深いところで求めているものが実現されているのだと思います。