双子の体重を量るミューズ

Amuse weighing twins.

29の数字は、土台に4を置いた、2の数字のエネルギーを持ちます。

また、サビアンにおける29度は、次の30度をもって、終了となりますから、

ここでは、2と言う性質から、今いるサインと、次のサインの対比が五分五分で、

為されているような場面です。

一つ前の28度で、蟹座が完全に秩序化され、ルールが定まり切り、

また、定まり切ったことで、そこから別の次元へシフトしていく、抜け道が見えてきて、新しい世界がスタートしている場面でもありました。

そして、29度では、次の度数と、完全に真っ向対峙、している様子がどのサインでも描かれているのです。

蟹座29度では、双子の体重を量るミューズとなっています。

双子という、性質を、蟹座と、獅子座を両者天秤にかけている様子が描かれています。

蟹座という古く馴染みある、共同体の世界観と、次なる新しい、獅子座的な世界観。

ポカホンタスでいうところの、生まれ育った、ネイティブ・アメリカンの部族と、

新しく大陸にやってきた、白人社会との対比です。

古きものは、新しきものに、凌駕され、弱きものは、強き王者に、侵される。

ネイティブアメリカンの歴史においては、そんな侵略の歴史が多々あったのだと思います。

しかし、現代まで、来ると、今度は、かつては強くて新しかったはずの白人文化は、アメリカの歴史なき文明に、限界を来たし、文化の無さは、現代人の生活に拠り所の無さという問題にもなってきています。

ですから、古きネイティブ・アメリカンの叡智を今になって、現代の私たちが学ぼうとする。彼らの文化を、生きてきた知恵を、その教えを欲しがる。

こういうことって、どこの国でも、どこの文化でもよくあることなのだと思います。

日本だってそうですよね。

鎖国開国後、戦後、と西洋の文化をどんどん取り入れて、それがモダンでハイカラだってんで、熱狂してきたけれども、結局、日本の古くから伝わる文化や、知恵、また、東洋の哲学や生き方、宗教、そういったものに回帰していく傾向が

現代になって、色濃くなっていっています。

だから、どっちが優れている、どっちが正しい、どっちが強いか弱いか、なんてことは結局無いのだと思います。

それは後になってみれば分かることなんだけど、この度数では、そうした両者の性質を天秤にかけて、お互いの差異を検証しているようにも見えます。

本来はそれは、お互いが天秤のように、お互いの性質を持ってバランスを取りあい、融合してどちらも生かされていくべきものなのだと思います。

ミューズというのは、ギリシャ神話に登場する9人の女神グループです。

9人の女神たちはゼウスの子供たちで、文芸を司る女神たちです。

ムーサと呼ばれ、フランス語で、ミューズとなっています。

ムーサの女神たちは、それぞれが、それぞれに独自の得意分野を持っており、

例えば、叙事詩のカリオペ―とか、歴史のクレイオー、喜劇、牧歌のエウテルペー、天文のウーラニアーなど、それぞれの専門分野を持った、専門集団です。

それぞれの専門分野を生かして、素晴らし舞台を全体で作り上げる。

そういうグループだったのです。

ですから、グループで素晴らしい舞台を作り上げる、というところは、とても蟹座的で26度のところで成功した彼らと相通じるところがあると思います。

しかし、26度では、全体として表現されるものは、認められましたが、

グループの中にいる、個人個人の性質にはスポットライトが当たることはなかったように感じます。

おそらく、彼らの一人一人に、自給自足のアシュラムでの得意分野があったのだと思います。

あるものは、家具を作るのが得意で、あるものは魚を捕るのが上手、

ある女性は、編み物が得意である女性は、パン作りをさせたら右に出るものはいない、そうしたそれぞれの得意分野が、絡み合って、理想のパラダイスは

運営出来ていたのだと思います。

それは、個人の特性を出し切って生きる事でもあったのだと思います。

ですから、ここに来て、成功した彼らは、今度は、グループとしての表現だけでなく、それぞれが己の個性も、見せていくことに、意識がシフトしていってる様子なのかもしれません。

全体で奏でる演奏も素晴らしいし、個人で奏でるソロもまた違った、素晴らしさがある。

ここでは、そのどちらもを、両方、重要に考えている場面なのではないでしょうか。