豪華さに満足と幸せを感じ、長机で読書をしている人々

Contentment and happiness in luxury, people reading on davenports.

サビアンにおける26度は、土台に3を置いた8の数字のエネルギーを持ちます。8は、ここまでの流れがここに来て形になる。形骸化する。といった要素を持ちます。

ここまでの物語が8をもって目に見える形になり、具現化される、固まる、といった性質で表れます。

26度は度台に3を持ちますので、それは、ここまでの流れの統合のストーリーを持つのだと思います。ですから26度では、ここまでのサインのストーリーを

五感でもって味わい尽くす。形ある、手に触れられるものとして、感じ尽くす、

そういった場面で描かれています。

また、ここから5度区分においては、第6グループが始まりますので、少しずつ次のサインのエネルギーを感じ始めますが、26度ではどちらかというと

今いるサインの最後の一番おいしいところを味わい尽くして、飽きるほど食べつくして、満足して、次のサインに転じていく。極まったものが空(エーテル)となり、

別のものに形を変えていく、、そうした要素が起こるのだと思います。

蟹座26度では、豪華で、快適で安心感のある場所で、仲間と共に幸せを感じて、読書をしている。とっても、豊かで、ラグジュアリーな様子が描かれています。

見るからにゆったりとした、寛いだ、豪奢なイメージが浮かぶキーワードです。

少し前まで、最果ての、人里離れた山奥で、土と太陽の光だけを頼りに、

自給自足の生活をしていた人たちが一体どうしたことなのでしょう。

一つ前の25度で、そうした世離れした生き方をしている人たちのことを、

「新しい」とか「面白い」とか、世間の人たちが注目し始める流れが描かれていました。

一度捨て去った俗世での成功や、夢が、それを諦めきって、否定しつくしたところで、得られてしまった過程が描かれていたのではないでしょうか。

そういった成功の物語というのは世の中に良くあるのだと思います。

風変わりな主義主張や、生き方を持った人や、人達が、最初は村八分にされたり、周囲から仲間外れにされて、理解されなかったり、あいつはバカだと罵られたり、普通とは違った生き方をする人たちというのは、得てして、出る杭打たれるではないけれど、叩かれるものです。

しかし、出すぎる杭は打たれないとも言いますよね。ちょっと風変わり程度だと

バカにされたり、潰されたりするのだけど、主義主張が突き抜けてしまうと、

今度は周りから崇拝されたり、憧れられたりするようになるという逆転の現象が起こります。

蟹座においては、プリマドンナの段階では、確かに、周囲の感動も呼んだし、

自らの飛び切りの個性を歌声にして放ったのだけれども、突き抜けきるほどの個性も威力もなかったということなのかもしれません。

世界に対して、歌声に乗せて、自らの想いを放った、それは、世間に対する

主張を歌に乗せた行為でもあったんだけど、それは、確かに少しは人の心を打ったけれども、なんか、それ以上のものを、与えるだけの威力がなかったのかもしれません。

世の中を捨てて、何も持たずに最果ての村で、ポリアモリー家族という共同体を形成して生きる彼らに比べたら、個性も主張力も、微々たるものだったのかもしれませんね。

何もかも捨て去った後に、その捨て去ったはずの暮らしを手に入れたのがこの26度の度数なのだと思います。

蟹座が求めていた、愛する大切な仲間たちとの暮らし。そしてその暮らしは、

豪奢で豊かで、安心感があって、快適で、ラグジュアリーでなくちゃいけない。

この度数で、初めて、蟹座は、自らが欲しかったものを全て手に入れたのです。

仲間たちとの親密な関係、そして豊かな暮らし。

この二つがこれまではどうしても、一緒にならなかった。どちらかを取ればどちらかが得られなかった。

でもここでは、はじめて、その両者を手に入れることが出来た。

全てを捨て去ったその後で。

23度の文学会の仲間では、たくさん文学や書物を読んで、仲間たちと共に、世間を風刺し、鋭い視点で、議論を交し合いました。

この26度では、もはや、世間に対する批判も、不満もありません。

だって、その世間が、彼らの生き方を認め、格好いい、と崇めているのですから。

ただ、美味しいものを食べて、豊かなしつらえのリビングルームには、高級家具が並び、高価な洋服とワイン、安定した暮らし、そして、愛する家族や仲間たち。

皆が豊かで笑っていて、仲良くて、好きな本を読んで、緩やかに語り合ってる。

23度の文学会とは、だいぶ趣が違うのでしょう。

文学会は、イメージするに、おそらく、安居酒屋とか、安いアパートの一室で、

仲間が集い、安いビールや焼酎を酌み交わしながら、豊かではないけれど、

熱心に、お互いの情熱や、意見を交わしている。若者が、文学とか哲学とかについて、朝まで語り合うようなそんなイメージが浮かびます。

金は無いけれど、彼らには、意志があり、その強い意志でお互いに堅く結束している。そんな学生運動家みたいなイメージが湧いてきます。

この26度では、そんな風に熱く語ることも、もはやないのかもしれません。

だって、全てが満ちているのですから。

何も激しい感情など出さなくても、十分に満たされているのですから。