宵の芝のパーティ

An evrning lawn party.

12の数字は、地球の法則に関わります。

12か月、12時間と、時間軸は、12の数字が関わっています。

12は、土台に3があり、3が4つで、12になるわけですから、

3の創造性の資質がありながら、2や4といった物質的な資質も併せ持っているのです。

ですから、タロットカードの12では、吊るし人になっているように、

内的な資質にしっかりと落ち着き、深いところから創造性が開いていく。

というカードの意味があります。

サビアンにおける12度も、そうした意味でサインの性質に深く潜り、しかし、偶数として沈み込むだけでなく、深いところからものすごく強いそのサインの意志のようなものをもって、サインの性質を表現し、定着させていきます。

この地球の物質界の法則に、サインの性質を強い想いと意志を持って、

ねじ込んでいく、みたいな印象があります。

一つ前の11度の度数で、自らの創造性を、無限に遊び、ただ楽しみ、ただ遊び、また次から次へと閃き、閃いては即座に形にし、また閃き、形にし、

思ったらポン、思ったらハイ、と、遊び尽くしているだけで、無数の人たちが惹かれ、集まってくるという経験をしました。

そうすると、今度は12度で、この快感を、定着させたい、形あるものとして、残しておきたい、という、想いが出てくるのかもしれません。

また、自分の創造物をもっと、沢山の人にアピールしたい、もっと印象付けたい、という気持ちも出てくるのではないでしょうか。

例えば、有名人や芸能人、社交界にいるような人たちをイメージしてみると分かりやすいのではないでしょうか。

彼らは、元々人を惹きつける美貌やオーラがある人達なのでしょうが、

更に、自らの服装や、身に着けるものを、一流の物で固めます。

しかし、高価な服を来ただけでは、きっとすぐに、メッキははがれてしまうでしょうから、立ち居振る舞いを話し方をきちんとプロの人に習ったり、

話題性にも富んで、どんな人とでも会話が出来るように日々、いろんな情報に触れ、多方面に勉強をしていると思います。

また、外国の人と話す機会があっても恥をかかないように、英語は勿論、

いろんな言語を習得しているかもしれません。

笑顔の練習や、真っ白に輝く歯、美しく手入れされた爪、敬語や外国語の習得、また、人を楽しませたり笑わせたりする話術の習得、などなど、人を惹きつけるために、無数の努力をしていることと思います。

勿論、本物のアーティストや、職人さんは、普段着のまま、ぼうぼうの髭と髪で、

サンダル姿で、パーティに訪れても、本物の威厳とカリスマ性は、どんなに外側を取り繕っても叶わないものなのだと思います。

しかし、たいていの人は、自らの外側を固めることで、周りの人々を惹きつけるものではないでしょうか。

パーティや社交場、もちろん、テレビやネットの世界もそうだと思いますが、

獅子座的なアピールでどれだけ周囲の人目を惹きつけられるかどうかが、とても重要なのは、変わらないと思います。

獅子座の格付けとは、実はそういうところがあります。

例えば、インスタバ映え、みたいな言葉がありますが、人目を惹きつける

ライフスタイルや、美味しそうなご飯や、ブランド品、教養や知性の高さ、

家柄の良さ、そうした無数の外側の格付けによって、私たちの多くは、惹きつけられてしまうものなのではないでしょうか。

また、そうしたやり方で、表現することは、そうしたものに惹きつけられてくる人と出会う、ということになっています。

ですから、時に、こうした術。も、功を成しますし、マーケティングとしてはとても有効ですし、今までは、こうしたやり方がメインであり、全てでした。

今も、まだまだほぼ、そうなのですが、反対側の水瓶座の世界観は、11度の閃きの男や、12度の階段の上に並ぶ人々といったように、こうした物質的な外側の格付けではなく、その人の意識のレベルによる格付けが為されるのです。

ですから、これからの時代は、おそらく徐々に、こうした外側の格付けばかりを重要視している人は、精神的に幼い未発達な人として、格付けの下位に位置づけ荒れれてしまう世の中がすでに始まっていると思います。

獅子座11度で樫の木で遊んでいる子供たち、と、子供が出てきているように、ここでは、子供が遊ぶように楽しみつくしているのですから、決して、精神的に成熟しているわけではないのです。

創造の在り方とは、正に、子供が一心不乱に遊ぶような在り方なのだということなのでしょう。

そこに水瓶座的な精神の、意識の成熟が伴って始めて180度ラインが統合されていくということなのではないでしょうか。

ですから、この12度で出てくるような、自らを装い、アピールする幾多の

「術的技法」は、もちろん、時に有効ですし、また、全くこういう者を否定していては、世捨て人か、修行僧のようになってしまうわけですから、

俗社会で生きていく以上、こうした術の技法から目を背けすぎることも、

そこから逃げて生きていくことも出来ないのだと思います。

しかし、だからといって、こうした術的な在り方にばかり妄執して、それが全てと

見た目映えや物質的な格付けばかりに固着していることで、起こってくる弊害は計り知れません・・

古い時代は、こうした物質的な格付けに簡単に、民衆が騙された時代でした。

こうした物質的な格付けの上位にいる人達に、民衆が集まり、熱狂し、追っかけ、憧れ、真似をした時代がありました。

そして、自分もそうなりたい、と、自分ではない者になろうとして苦しむのです。

こうした獅子座的な物質的アピールとは、ここまでの物語の流れを思い返せば、イメージが深まると思います。

11度までで描かれていたあの、永久的な魂の創造と遊びの世界を、

この物質界で、俗社会で、固定し、定着させたいとしたのが、この12度ですから、

物質的なルールでいえば、格付けの最上位なのですが、魂的にみると、

停滞の始まりの度数とも言えると思います。

魂と創造の世界は、いつでもそこにあって、永遠に無くならない、減らないもの、であると同時に、永久不滅で手の内に置いておきたい、とした途端に、全くどこにあるのか、分からなくなってしまうものでもあるのです。

獅子座のサビアンの世界では、そのことがいろんな形で繰り返し描かれているなぁと感じます。