ベストを着ていない聖歌隊

A nonvested church choir.

17度とか18度ってサビアンにおける、深い内省の場面であり、その内省を通して、今まで全く気が付いていなかったものが見えるようになる場面でもあるなぁと感じます。下記は、私のブログ記事からコピーしたものなのですが・・

今いる場所が、苦しくて辛くて

孤独で寂しい場所に思える?

私たちはとかく物事を一方向から捉えがちです。

お金がないこと。

恋人がいないこと。

仕事がうまくいかないこと

子育てがうまくできないこと

体の調子が悪いこと

結婚ができないこと

離婚したこと

好きなことが見つからないこと

やりたいことができないこと

周りから理解されないこと

誰にも分かってもらえないこと

太っていること

病気であること

いろんなことがうまくいかない

思い通りにいかない。

それは自分にとってとても苦しいことで悲しいことで

辛くてしんどいことである。

その辛くてしんどい、と感じる自分を押さえつける必要はないと

思うし、

辛いものは辛い、しんどいものはしんどいと

感じていいのだと思うのです。

でも、そう感じてるだけで、

その感情はあくまで事実とは異なるかもしれない。

物事を一方向からだけ見ると、

それは辛くて苦しいばっかりの世界に見えるかもしれない。

それは不幸な世界に見えるかもしれない。

でも、そういう道って大概、ものごとを逆方向から、

別方向から見られる視点に繋がる道筋になっていたりすることが

多い。

辛いもの、苦しいものを無理やり、転換して良いことにしなくていいのだけど、

そういう経験をずっとしていくと

物事を全く違う方向から捉えることができるようになってきます。

かつての自分が不幸だと思っていたその道は、

周りの人から見たら不幸だと思われるようなその道は、

実はあなたの魂が、あなたのために見せてくれている道だったりします。

一方向からだけ捉えて苦しい、辛い、不幸だと思える道にこそ、

実は、

本当のことが見える道。

が隠されている。

物事のリアルと真相が分かる道が隠されている。

目に見えるものの後ろ側にある、本当の世界が見える道が隠されている。

そして、それが見えるようになることが本当の喜びであり、

魂の望みだったりする。

物事を一方向からだけ見て、苦しい悲しいしんどいばかりだと

もったいないです。

また、そういうものを避けたい避けたいと

一方向からだけ捉えた時にポジティブなこと、幸せなこと、ばかりだと、

物事の背景にあるリアルがずっと見えないままになってしまいます。

それは、実はとても不幸なこと。

そっちの方がよっぽど怖いこと。

苦しい境遇にある人ほど、物事の真実が見えている人

見えるようになった人。

だから、彼らは、実はとっても幸せな人なんです。

もしかしたら、あなたが可哀想、と思ってるその人こそ、

物事の真実があなたより、よっぽどずっと見えている人かもしれません。

そして、自分はあの人よりは幸せだなって内心ご満悦しているあなたこそ、

実は、物事がよく見えなくて目の前に霧がかかっていて、

とっても苦しいのかもしれません。

物事を一方向からだけ捉えると、全部が逆になってしまいます。

こんな風に、とかく私たちは、物事を一つの方向からしか捉えることができないことによって、苦しむことがとても多いのです。

占いなんかもそうで、この出来事は吉か凶か、ポジティブか、ネガティブかといった判断を当たり前のようにしますし、そういう風に鑑定をするよう書かれた書籍ばかりが出回っています。

彼氏に振られることは凶、受験に落ちることは凶、買いたいものが買えないことは凶、離婚することは凶、病気になることは凶。

そして、結婚出来たら吉、お金がたくさん儲かったら吉、子供が一流大学に入ったら吉、旦那が昇進したら吉。

このように吉と凶は明確に分けられています。

しかし果たして本当にそうでしょうか。

物事の吉凶はそう簡単に、スパっとどちらかに分けられるものでしょうか。

その時は、おこった出来事が、とても苦しく不幸なことに思えたとしても、後から何年か経って振り返ってみたら、あのことがあったから今の私がある、あれがなかったら、今の私は無いだろう。ということって、

たくさんありませんか?

また、逆もしかりで、願い事が叶った、成功した、合格した、思い通りになった、豊かな暮らしをする、そういう経験もあると思います。こんな時私たちは、

とても嬉しいし喜びます。しかし、その喜びに奢ってしまったり、

幸せが当たり前になってしまうことで、持っても持っても、もっともっと、願いが叶っても叶っても、足りない、不足感が消えないどころか、他人と比べて焦燥感と、競争感が終わらない、そういうことも多いものです。

私たちは、頭で欲しいと思っているものを手に入れるために必死になりますが、実はそれは、魂的には全然要らないものだったりすることも多い。

こういう風に物事の背景を捉える、物事の全体像を捉える、物事の一側面だけでなく、二極の向こうが側にある事実を捉える、

そういう視点が持てるようにならないと、こうしたことでいつまでも苦しむのだと思うのです。

獅子座の16度、17度では、そうした意味で、視点の逆転が起こっている場面なのだと思います。

今まで外へ外へと向いていた気持ちが、また外側から認められないと自分自身も幸せになれない、外側ありきだったところから、内側の幸せに目覚め始めます。

例えば、それまでは外に出て毎日毎日、友達と飲み歩き、いろんな男の人とデートして、派手な生活をしていた人が、家で、観葉植物を育てたり、

静かに絵を描いたりすることに充実感を覚えるようになる。

出かける機会もめっきり減って、グルメもやめて粗食なって、派手な服装もやめて、こざっぱりとした身なりになる。

周りの人はあの人はどうしちゃったんだろうと思うかもしれないし、

病んでるんじゃない?とか、思われることもあるかもしれない。

でも、本人は実はとても充実していたりするわけです。

獅子座17度ではベストを着ていない聖歌隊となっています。聖歌は、宗教的な歌であり、神聖さを日常に取り込みます。

宗教というものは、誰かのためにあるものではなく、あくまで自分自身のためにだけあるもので、祈りとか、聖歌やマントラを歌い、唱えるということはあくまで自分自身の魂を磨くために行われる行為なのだと思います。

ここでは、ベストを着ていない・・となっています。

これが正装して、協会の舞台でたくさんの前で演奏するような場面であればまた

話は変わってくるのですが、ここでは、あくまで普段着のままで、

自分の為に唱えるお経やマントラ、自分の為に唱える聖歌であり、祈りなのでしょう。

ですからここでは、意識は外に向いていません。

あくまで自分自身の心を充実させるために行為している状態なのだと思います。

タロットでは、16番は、塔、17番は星となります。

16で大きく挫折し、今まで無意識だった「反対側の性質」に、開かれていきます。

そして、17の星のカードでは、大きな挫折体験を通して、自らの内側の最も深いイメージに気が付いていく。星のカードはとても内側に充実して満たされているカードです。

ここでは外側の事象はどうかは、問いません。

あくまで内側が満ちているか、充実しているかに重きが置かれるカードです。

ですから、サビアンにおいても、16~18度までの流れはとても内面的で、

その内面的な気づきを通して、今までとは全く違う新たな視点を獲得していく物語が、どのサインでも描かれています。

サビアンを理解するうえで、数字と、タロットの象徴を知っていることは、とても理解界を深める助けとなります。