化学の先生

A teacher of chemistry.

18の数字は、9で進行してくるグループにおいての最終的な場面になります。

ここで一つの世界が終わり次の19度から第3のグループが始まります。

タロットカードで、18番のカードは月となっており、16番の塔で大きな挫折を経験した後に、17番の星で、目に見えているものだけでなく、その後ろにある

真相の世界に、意識が向けられ始めます。

そういう目に見えないものに気づけるようになる。目に見えているものだけが

真実ではないということが、分るようになる。そういう場面でした。

17の数字でそういう経験をした意識は、18で、心と精神のバランスをとり、

統合が起こっていきます。18の数字では、それまでとは全く違う、別次元の

扉を開けるような場面がタロットカードでは描かれており、

サビアンにおいても、18度の度数は、そういった局面として描かれていることが多いと思います。

ここまでの過程を経て、心の扉を見つけるような経過があり、

その小さな、別次元へのワープ扉を発見して、そこをくぐっていく。

そのことで、今までとは全く違う、物の見方、考え方をするようになる。

そういう場面なのです。

18は度台に9があります。9は、精神の統合がおこる場面です。

一つ前の8では、物質性が極まり、極まり切った物質性が別の物へ(エーテル
へと姿を変えていき・・9では、統合が起こり始める。

物質から精神、非物質性への移行なのです。

獅子座18度は、化学の先生となっていて、一つ前の17度のベストを着ていない聖歌隊では、お祭り騒ぎの、毎日パーティみたいな生活の中で、

外側に対して、いかに自分の個性を見せつけることができるか、そのために

派手な演出を極め、人目を惹く外側ありきの行動をずっととってきました。

周囲から拍手されることが最大の喜びであり、

自らの個性と表現が、唯一無二のものだったからです。

しかし、そうしたお祭り騒ぎの、王様ばかりが、派手な着物を着て、良い暮らしをして、目立ってるような状態から、

16度以降は、内面性に目が向き始めました。

外側に演出して拍手をもらうことよりも、

外側に認めてもらうために自分らしく振舞ってるようで実は、自分の好みや

本当にやりたいことがなんだったのかすら、分からなくなってるような状態から、

はた・・と我に返ります。

17度のベストを着ていない聖歌隊では、派手な洋服を脱ぎ捨てて、

外側に演出することを辞めにして、自らの満足のために歌う歌なのです。

誰に聴かせるでもなく、また聞いてほしいわけでもない。

聖なる音とは、自分の為だけに、奏でられるメロディであるというお話をしました。

その次の度数として現れる、18度の化学の先生は、

自らの中にある本当の、楽しみ、探求心、を追求し始めます。

本当にやりたいことは何か。

周りに求められることではなく、

周囲を喜ばせるためのことではなく、

人目を惹くためのものではなく、

この世の真理、真実を探求したい。

非常に集中力のある状態に入っていきます。

15度までの獅子座は、基本、外側に意識がずっと向いていたのに対して、

16度以降の獅子座は、内側に意識が向き始める。

水瓶座の意識が入ってくるわけですから、単に、感情的、メランコリックな内的な意識ではなく、恒久的で、全体的な視野を手に入れていきはじめるのです。

自分が目立つことだけに向いていた意識が、

自分が認められる、賞賛されるためだけに向いていた意識が、

全体が良くなる未来とは何か、とか、

社会全体に役立つことは何か。といったように

自分第一主義の未熟な王様から、

国民全体を見ることが出来る、成熟した王様に育っていく

旅路が始まるのです。

ケミストリー、化学の発祥である、アルケミー、錬金術の定義とは(wikiより)、

最も狭義には、化学的手段を用いて、卑金属から貴金属(特に金)を

精錬しようとする試み。広義では金属に限らず、様々な物質や人間の肉体や魂をも対象として、それらをより完全な存在に錬成する試みを指す。

としています。

錬金術は、石ころを金に変えようとした術です。

私たちはこのことを、精神と物質の関係にも置き換えることができるのだと思います。

私たちの意識と、物質は、時空を超えて連動し、繋がっている。

この密接な関係性があって、私たちは存在しているのだと思います。

化学者は物質の法則を解き明かすことで、非物質性、原子とか素粒子とか、

その先にある世界の入り口を見つけ始めています。

空から物質が生じ、また、物質と空が連動し作用しあっていることもすでに掴み始めているのでしょう。

獅子座前半の度数では、外側を変えよう変えようと、躍起になってきました。

外側さえ、変えることが出来れば、満足できる、幸せになれると思って、

外側を演出することを頑張ってきました。

しかし、後半の獅子座の世界では、全体的で、内的な視野を手に入れ始めますから、意識が代わることで、外側の物質的現象が変わることを掴みはじめている

場面なのではないでしょうか。

全ては全体から生じている、であれば、逆説的には石も金に変えることは可能だ、ということなのでしょう。

それと同じくして、人間の肉体も、魂から生じている。

そういう関係について、夢中になっている場面がこの度数なのではないかと思います。

今までの「外側ありき」の獅子座の世界観からすると、このオタクぶりは、

想像できないことでした。

この度数の獅子座は、「最も自分に集中している状態」と言えるからです。

そのオタク研究が、周囲に認められるか、人気が出るか、お金がいっぱい稼げるか、は、ここでは全く考えていないのでしょうし、そんなクダラナイことに気持ちを割いてる暇が在ったら、この真相探求に集中させてくれ!とでも言わんばかりに・・・