夜明け

Daybreak.

一つ前の度数、26度は、8の数字のエネルギーを持ちますから、

ここまでの長きにわたる獅子座の物語を完結させ、最後に五感でそれを味わい尽くすような度数だと解説しました。

獅子座の26度は虹、というキーワードになっており、五感でしっかりと味わい尽くす度数でありながら、獅子座では、目には見えない、魂の契約。という、とてもスピリチュアルなストーリーが描かれていました。

獅子座の、主たるテーマである、魂の創造性について、ここまで物語が進んで来て、いよいよ、26度ではその、魂の契約を知るに至るのです。

それは、決して手に触れることは出来ないものでありながら、何よりもリアルで確実なものでもあるのです。

こうした「魂の契約を思い出す」という体験をした人というのは、それまでの

暗い闇の世界を終え、魂の夜明け。を迎えることになるのだと思います。

己が何者であったか。自分自身を思い出すことに、それは他なりません。

それは、生まれる前からずっと共にあったものなのに、私たちは、人生のある一定の期間まで、それについて、すっかり忘却して過ごしてしまうことが多いのだと思います。

それどころか、一生、それを思い出せないまま、一つの生涯を終えてしまうことすらあるのでしょう。

人生のどこかで、自らの魂の資質について思い出すまで、私たちは、

眠りの状態を彷徨い、目をつむったまま、闇の中を生きているような感じなのだと思います。

その期間というのは、自分にとって本当に大切なことがなんなのか分かりませんから、外へ外へと自らの外側へばかり価値を求めてしまい、それらの外側のものをいくら求めても求めても、渇望と苦しみは消えず、満足はありませんでした。

自分というものを思い出せない不安と共に、闇を生きている時間というのが

誰しもある一定の期間あるのだと思います。

27という数字は、9のエネルギーがありますから、26度の8で形になり尽くしたもの、完成したものが、別の存在形態へと姿を変えていく場面となります。

形になったものが、解体され、非物質性へ昇華されていく。

心や精神といった目には見えない世界観を9は現わします。

ここで、別の次元への解体が起こることで、次の28度あたりから、次なるサインのイメージの片鱗が少しずつ入ってきて、それを受け入れる準備を始めていく流れがサビアンにはあります。

どのサインでも、28度、29度あたりは、次のサインのエッセンスが完全に感じられるような物語が描かれていますから、27度では、今のサインのエンディングがしっかりと流れているような場面です。

獅子座では、このサインの主たるテーマである、魂の資質を思い出すこと。

についての、エンディングが流れているのです。

夜明け。とは、日の出と同義のことでもあります。

太陽は毎朝、東の地平線上から昇ってきます。

東は春の始まりでもあり、朝日が昇る方角でもあります。

東は私たちのスタートであり、主体的な意識に関わっていると言われます。

魂の資質を忘却している状態の人生は、闇の中を歩いているようなものだという

お話をしましたが、それに対して、自らの魂の資質を明確に思い出した後というのは、正に、夜明けのような瞬間なのだと思います。

そこからの人生はそれまでの人生とまるで違う、

眠って生きていた状態から、完全に目を開いて、起き上がって生きていく事になるのだと思います。

いやいや、今までだってずっと起きて生きて来たよ、と思われるかもしれませんが、眠りの状態で生きている時というのは、自身が眠りの状態だと気づくことは出来ません。

目をつむって、物事を明らかに見ることは出来ず、感情気分の状態で常に物事を捉え、ジャッジし、感情で反応している状態です。

この状態というのは、物事を良い、悪いとか、ポジティブ、ネガティブといった形でとかく、二極論的に物事を捉える傾向にあります。

それが良いことか悪いことか決めるのは、自分自身の感情であり、

その狭い範疇でしか物事を捉えることができません。

しかし、その盲目的な状態で物事を捉えていることに、なかなか自分では気づけないものだったりします。

また、こうした状態の時は、主体的に生きるということが出来ず、

常に誰かのせいや何かのせいにして、文句を言って、生きている状態も

多いのかもしれません。

自らの人生を請け負うことが出来ず、うまく行かないことや、気分が優れないことまで、周りのせいにして生きてしまいがちです。

また、文句はとても多いのですが、ほぼ何も行動に移さず、行動していないのに、結果が出ない、うまく行かないと憤ります。

行動していないことに気づいていなかったりもします。

これらの事はほんの一例ですが、無意識的で眠りの状態で生きているときに、

起こりがちな状態についての例になります。

しかし、私たちは自らの魂の資質を思い出し、虹に触れ、夜明けを迎えたとき、

こうした、他人任せ、周りのせいにする生き方は一切捨て去ることになります。

常に主体的に、自らの人生を請け負い、行動をやめません。

また、行動の指針も、周りや外側に何かを求めたりするのではなく、

世の中的な常識や、誰かや何かに従属したり従ったりするのでもなく、

自分の中でまっすぐと決めた指針に従って、行動を続けます。

ここまでに至るまでの道のりを少し思い出してみて頂きたいのですが、

24度の身だしなみの整っていない男や、25度の砂漠の駱駝など、

誰にも理解されない、とても孤独な、集中した状態を経てきた過程があったかと思います。

あれだけ外側から賞賛され、拍手されることを求めていた獅子座の物語が、

最後の局面では、誰からも理解されない、たった一人で砂漠に踏み入っていくような、究極的に孤独な状態を経験していることが分かります。

そこは、誰もいない、誰のせいにもできない、誰かに答えを求めることも出来ない、たった一人でどうしたって入って行かなければならない場所でした。

とかく、現代の社会というのは、友達作りが大事とか、仲間と協力し合うことが大事とか、友達友達言いすぎるところがあると思いますが、

そもそも真のパートナーシップとか、仲間との共同作業というものは、

この孤独な砂漠にたった一人で踏み入って、生還したもの同士にしか成し得ないものだったりします。

そうでない人間同士が繋がってもリスクになることの方が多いのではないでしょうか。

獅子座と水瓶座の向かい合うサインのテーマはそうしたことを物語っているのです。

これから、来る水瓶座時代における、水瓶座的意識の獲得というのは、どうしたって、この獅子座的意識の獲得が根底にあるのだと思います。

自らの魂の虹に触れ、魂の夜明け。を体験したものが、水瓶座意識を獲得するのであり、水瓶座的なトランスパーソナルな高めあう人間関係を築くことが出来るようになります。

そうした世界観を生きる第一歩となるのが、この夜明け。の度数に示される場面なのだと思います。