男が妖精の夢をみている
A man dreaming of fairies.
サインの最初の5度までのグループは、そのサインの性質を最も純粋でシンプルな形で、ぎゅっと凝縮したエッセンスを、示してきます。
サビアンにおいて、5度までで描かれる物語はそのサインの、純粋な土台となるストーリーと言えると思います。
乙女座は地象サインで、物質的、現実的な事柄を扱うサインのはずですが、
乙女座の5度までのサビアンでは、天使が出てきたり、ここでは妖精が出てきたりして、とてもスピリチュアルなキーワードが沢山出てきます。
5の数字は、4で形骸化、秩序化したものを土台にして、跳躍する数字のエネルギーを持ちます。
4で強固になった安定感のある土台があるからこそ、高く飛ぶことが出来るのが5の性質です。
4はとても現実的な数字ですが、ここでしっかりとそのサインの性質の法則を守り固めることで、5では、そのサインの性質を思いっきり高い活力で表現するのです。
純粋なそのサインの活力。のようなものが、サビアンの5度では描かれていると思います。
一つ前の乙女座4度では、肌の色の違う子供たちが一緒に遊んでいる様子が描かれていました。
本来の私たちは、物質的な細かな差異で遊び相手を選ぶのではなく、
直感的に、フィーリングが合うかどうか、その人のことが好きかどうか、一緒に遊んで楽しいかどうか。が分かるものなのだと思います。
また、肌の色が違っても、持っている思想や、信念が違っても、
パイシスの時代のテーマは、お互いにそうした違いを理解しあい、認め合うことにあります。
一神教の生まれた来た時代背景は牡羊座時代だというお話をしました。
この時代は枢軸時代でもあり、後世に残る思想哲学を生んだ、知の巨人たちが沢山、同時に生まれた時代です。
この頃に生まれた宗教哲学や、初期の仏陀の思想などは、向いている方向性が
自己を見つめることでした。
自分自身を知ること。が思想のテーマだったのです。
その後、魚座時代の始まりと共に、キリスト教が生まれ、仏教が上座部から、大乗仏教に発展していきますが、これらの宗教に共通するテーマは、隣人です。
キリスト教は愛をテーマにし、隣人を愛せよ。とし、
仏教は、慈悲をテーマとし、利他の思想があります。
隣人とは、単に隣の家に住んでいる人のことではなくて、自分とは最もかけ離れた考え方を持つ人、生まれを持つ人、また、憎たらしい人、自分を攻撃してくる人、困らせてくる人、こうした人たちも全て隣人です。
パイシスの時代は、異なる考え方を持つ人、全く違う思想背景の者たち同志が
お互いにその違いを認め、理解しあうことに意識成熟のテーマがあります。
これは、並大抵のことではないのだと思います。
ただ、現在では、こうした魚座時代に生まれた宗教は、隣人をテーマにしているため、ここから入ってしまうとどうしても、自分を犠牲にしてしまう傾向も出てきてしまうものなのかもしれません。
魚座と乙女座のテーマは犠牲と奉仕ですから、他者のことを理解しよう、分かり合おうとすればするほど、自分を犠牲にしてしまうという葛藤もまたついてくるものなのかもしれません。
牡羊座時代の思想は、魚座のこれに対して、自分。をテーマにしていますから、
まずは、自分を理解すること。自分を知ることに主題が置かれます。
魚座時代の思想が生まれた背景にはこうした、自分だけが悟ればいい、みたいな考え方が宜しくないとして生まれていった背景もあったようですが、果たしてそうでしょうか。
自分を知らずして、他人を理解することなど、果たして出来るでしょうか?
自分という珠玉の魂に触れずして真に他人を尊重し、お互いに高めあう関係を築くことなどできるでしょうか?
私はどうも、水瓶座時代の意識を手に入れるには、この牡羊座時代の「自己を見つめる」というテーマと、魚座時代の「隣人を愛する」という、自己と他者の両方の
学びを完了すしなければ成し得ないものではないかと感じるのです。
乙女座4度ではそうした意味で、裏側に魚座意識のテーマを持つ、乙女座の
最も純粋な土台となる法則が描かれているように思います。
違うもの同士が、理解しあう、ただ純粋に共に遊び、楽しむ。
そういう理想世界が描かれています。
そして、そこには天使が介在している。人間の低次マインドだけでは成し得ないことなのだと思います。
何か超常的な力が働いて、宇宙意識的なサポートが働いて、成し得るものなのかもしれません。
また、私たちは常にそうした、宇宙意識の介在があるのだと思います。
というか、そっちが本質なのだと思います。
宇宙意識的な目で見れば、本質が分かるようになっている。
物事の背景の真相がちゃんと見える目を私たちは皆持っている。
ただ、普段は、感情の無意識になり、見えなくなっているだけで。
5度では、妖精が登場します。また、男、というキーワードも出てきます。
男は、1度の所でも出てきましたが、これは、論理的な思考、現実的、合理的な在り方の象徴でしたね。
それに対して、妖精とか、夢とか、なんとも乙女チックというか、右脳チックというか、
スピリチュアルなキーワードが対比的に登場しています。
これは、現実的思考と、情動的空想の対比とも言えるし、
物質世界と、スピリチュアル世界の対比とも言えるし、
右脳的なものと左脳的なものの対比ともイメージできます。
乙女座は、地サインで、とても現実的なサインですが、実はとてもスピリチュアルなサインでもあります。
反対側に魚座がありますから、常に魚座からの陰陽の力が働くサインだからです。
乙女座はこの後、現実世界の中を、とても現実的に生きていくストーリーが描かれ始めるのですが、
5度までの、乙女座の純粋な土台となる物語ではとてもスピリチュアルな様相が描かれていたと思います。
この度数の妖精の夢を見る男は、とても現実的で論理的思考力を持ちながら、
妖精からビジョンやメッセージを受け取っているのです。
夢は、アストラル体の象徴です。
もちろん、寝ているときに見る夢からこうした形而上的な啓示を受け取るということもあるでしょうが、寝ているときだけでなく、
アストラル体は時空を超える性質ですから、起きている時でもいつでも、そうした
力は働いていて、アクセスしているのです。
ただ、通常の顕在意識の状態だとそうした微細なニュアンスをとり切れない場合が多く、ほとんどの場合は取りこぼしてしまうようなものだからです。
乙女座は、視覚を司るというお話をしました。
物質的な形の微妙な違い。を見つける、とても繊細な視覚を持つというお話をしたと思います。
この微細な視覚は、もちろん実際的に形あるものを見極める分析力も持つのですが、それが更に極まっていくと高次の視覚、というものに発展していきます。
例えば、オーラ―が視えるとか、人の周りに動きが視えるとか、人体の悪いところが分かるとか、感情の動きが視えるとか、もそうですし、
あとは、催眠療法などをやったことが在る方は、経験があるかもしれませんが、
視覚でビジョンを受け取るタイプ、聴覚で音で受け取るタイプ、触覚や感覚で受け取るタイプというふうに、高次の印象を受け取るセンサーは人それぞれで違うものです。
全てのセンサーを持つ人もいますし、一つだけの人もいますし、
どれかは強く働くが、他は弱い、といったこともあります。
乙女座はこの中で、視覚でビジョンを受け取ることに関係しますから、
夢とか、イメージの中で、はっきりとした色彩のついた、ビジョンを視るということに
関係します。
この度数では最も論理的思考の人物が、高次の視覚で、はっきりと色彩のついたビジョンを受け取っている様子なのだと思います。
これは、もちろん、夢の中に妖精が出てきて、何かお告げを言うといったような
分かりやすいものもあるかもしれませんが、そればかりではありません。
例えば、歩いている最中に、道端に落ちている石ころとか、舞い落ちる木の葉とか、雲の形だとか、横切っていく車の色や、すれ違う人の顔だとか、そういうものから、高次のメッセージを受け取るということも含まれます。
私たちは日々の現実(だと思っている)日常の中で、実は常にこうした「目に見える」「五感に触れられる」形で、象徴として、高次の情報を受け取っているのです。
しかし、それは、「物質的な目」で見ても決して、高次のメッセージを含んでいるようには見えないし、受け取れないのです。
しかし、私たちは本来生きていくうえで、こうした自然界から象徴として宇宙のメッセージを受け取って、人生や暮らしに生かしていたのだと思います。
妖精とは、天使のお手伝いさんのようなもので、自然界のどこにでもいる存在達です。
もしかしたら、こうした存在達が、普段から、私たちの生活の中で至る所に、
木の葉や石ころや、何か目に見える形の象徴を用いて、必要なメッセージを送っているのかもしれません。
スピリチュアルに生きるということは、こうした日々の象徴を自然界から受け取り感じ、宇宙的な意識とダイレクトに繋がって生きるということなのかもしれません。
こうした生き方は、ふわふわとした現実感の伴わないスピリチュアルなのではなく、
私たちが真に、この物質世界を生きるということは、本来こういったことが本質にあるのだと思います。
目に見える世界をしっかりと生きるということは、自らの中に究極的な直感を持っているということなのではないでしょうか?
目に見えている手に触れられる、いわば、外側から来る情報だけを判断基準にして私たちは果たしてこの物質世界を生きられるのでしょうか。
もっとも、現実的に生きるということ、最も合理的に論理的に生きるということは、
内なる宇宙とダイレクトでなければ成し得ないことだと思います。
この度数ではそうした意味で、男という論理的思考と、夢や妖精という形而上的事柄の対比が、とても象徴的に描かれているのだと感じます。
これから始まる乙女座世界のとても現実的な場面を生きていくための準備がこの度数までで整えられたということではないでしょうか。