ハーレム
A harem.
サビアンにおける7度のストーリーとは、ここまでの流れの中で、
内と外、とか、男性性と女性性とか、陰陽の対比において、落差が生じたものや、
どちらかがどちらかの境界を侵すような場面であったり、輪郭を浸食しあうようなことであったり、そういった自分と世界との関りにおいて生じたアンバランスを、調整し、統合するエネルギーを持ちます。
7は奇数で、素数ですから、非常に活発で活力のあるエネルギーで、それをやりのけていきます。
サビアンは6度までの物語で5度までで表現されたそのサインの純粋な土台を6度から今度は、客観的な視点を持ち、鏡の向こう側から自らの本質的な世界を眺め、感じ取るような場面が起こっています。
6度は、1~5度までを、客観視することで、心でそれを受け取り始める場面です。
1~5度までの自分自身そのものの世界と、対峙し始めるのです。
乙女座6度は、メリーゴーランドとなっていて、限られた五感の世界で、できうる限りのイメージ力を使って、「造られた」虚構の、創造世界を現わしていました。
メリーゴーランドは、中心軸があって、その周りをクルクル馬や馬車が周っています。ここでは、中心と、外側の関係が描かれており、ここで、この世界を生きる上での、「対比」が起こっているのです。
中心があって、その周りを無数のアイテムが、周っている。
でも、それらの造られたものは、決して中心を離れることは出来ないし、
あくまで「中心」に依存するものだからです。
メリーゴーランドの馬や馬車は、それ単体で、自由に旅に出ることはできないのです。
あくまで中心によって、法則付けられた存在です。
本来私たちの魂とは、自由に時空を超えて旅をする性質を持つのだと思いますが、メリーゴーランドのように、ある種の法則性の中に閉じ込められると、
常に、中心との関係性が生まれてくることになります。
ですから、メリーゴーランドのサビアンシンボルは、あくまでこうした、
限られた法則性の範囲の中で、虚構の現実を楽しむ。というような物語だったと思います。
こうしたメリーゴーランドの、物質的な法則の中で夢を見る。という性質を、更にもっと、分かりやすく現実的な、物語として示したのが、この7度のハーレムなのだと思います。
ハーレムは、1人の王様がいて、その王様の周りに、たくさんの女性たちがいて、
王様の「法則」の中で、生きることが定められています。
ですから、ここでの王様と妾の女性たちは、6度で言うメリーゴーランドの、
中心(王様)と、馬や馬車たち(女性たち)ということになります。
メリーゴーランドで示された世界観は、私たちの本来の魂から起こる想像力やイメージ力の全体の中のほんの一部分だけを使って、イメージされつくられた世界であると、一つ前の度数でお話ししました。
5度で、妖精の夢を見た男はあくまで、妖精や天使のいる形而上的な世界を、
男(ロジックや合理性)の感覚を持って、捉えているのです。
例えば、私たちの人生においても、魂の資質に接触して生き始めると、
人生の隅々にまで、奇跡としか思えないようなことが、日々、連続して、ずっと起こるような感覚で生きることになります。
通常の論理的な頭ではどうしたって理解できない、解明できない、説明できないようなことの連続になります。
それは、人智を超えたことだからです。
でも、私たちは、どうしても頭で理解したい、状況を把握したい、今ある現実を
コントロールしたいという、望みを常に持っていますから、
現状を論理的に捉え、自分が知っている知識や、経験に照らし合わせ、
安全が未来にも続くように、できうる限りの準備をしたいし、奇跡や、天使にばかり頼ってられない、と思う、頭も働いているわけです。
魂的な直感と、男の頭的なロジックと、両方がバランスよく顕在し、両者が、うまく調和して働くようになると、とても理想的なのですが・・
しかし、魂のエッセンスに全く接触していない時、この男の頭のみ。で
生きてしまっていることも少なくないのだと思います。
それは、全ての事象を、ロジックで判断し、自分の知っている限りなく些末で、小さい範囲の知識と経験に照らし合わせ、全てを裁量しようとします。
これは、土台、無理な話で、これだけで、全てを決めて、人生を執り行っていこうとすることは、必ず限界が来るし、とても苦しい生き方ではないかと感じます。
しかし、かといって、逆に、とかくスピリチュアルに傾倒しはじめた初期段階では、
魂の幻想のみを生きる期間もまた、経験する人が多いのではないでしょうか。
全てを自分の都合の良い方向に捉えて、奇跡を夢見る状態に陥ってしまう。
状況がどんどん悪くなっているのにも関わらず、現実を直視せず、
天使のサポートが~とか、宇宙銀行が~、とかいって、論理的に物事を考えることが出来なくなっている状態。
これもまた、とても幼く稚拙な状態なのだと思います。
この状態に陥ってしまうと、とても依存的で、誰かがなんとかしてくれる。自分以外の誰かに何とかしてもらおう。また更には、誰もなんとかしてくれないと、キレる。ひねくれる。そして、自分がうまくいかないことを他者のせいにする。という状態が起こって来ます。
魂に接触して生きるって、最も、自分にとって厳しい道や、茨の道を歩むことであることも多いのだと思います。
でもそれが、苦しみや困難が例えあったとしても、自分にとっては、これ以上ない位、喜びの道であるのならば、自分の判断で進めば良いのです。
魂を生きることを、楽しいばかり、ワクワクばかりで、全部宇宙が何とかしてくれる、みたいな風に捉えている人も多いなぁと感じます。
確かに、そういうところもあるのですが、あくまで上記のように、自分の道を生きることを覚悟を決めた人に、宇宙の采配と奇跡が起こるのであって、
宇宙依存、天使依存の状態では、起こり得ないことなのだと思います。
乙女座の6度、7度あたりのこのあたりの度数は、そうした状態をとても分かりやすく示しているなぁと感じます。
乙女座は、論理的思考力や、現実的に考える頭を養うことがテーマのサインですから、そうしたテーマにおいて、これから成熟していくことになるのですが、
今の、現段階では、まだとても幼い状態で、思考している場面が描かれていると思います。
そして、この状態とは、ある意味、人類の大半がまだ、そういう状態であるということも言えるのだと思います。
ハーレムにいる、王様と、無数の妾の女性たちは、王様が天上人で、女性たちは、家来であり、奴隷であるというような位置関係だと思います。
また、沢山の女性たちの中には無数の階級があり、上下関係があるのだと思います。
また、その緻密に定められた階級なども、新参者だろうが、農民階級の出身の女性だろうが、いざ、王様に寵愛を受けた途端に、ひととび足に階級を駆け上るのだろうし、更には、ご懐妊なんてした暁には、ハーレムのトップの階級に君臨して、
お世継ぎの母として、後世まで崇められ、奉られる存在になるのです。
乙女座は、階級を学ぶサインです。
物質界の法則は、あらゆる無数の階級を生み出します。
見目形だけでなく、持てるもの、持たざる者によって、細かい階級を定められ、その中で、私たちは生きています。
そして、誰しもが王様のような、王様に近い存在になりたい、
上位階級に上り詰めたい、と望んでいる。上位階級を喉から手が出るほど、
欲しがっている。
王制が無くなった、現代社会においての私たちだってそうなのではないでしょうか?
より、持てるものになりたい、より上の階級に君臨したい。
他者を見るときも、自分より、上か下かで、判断していませんか?
しかも、その判断基準が、魂の成熟レベルや、意識のレベルではなく、
物質的なレベルで判断されていることが、まだまだほとんどである、私たちの
世の中だと思います。
ハーレムの王と女性たちの関係は、メリーゴーランドの中心と馬たちの関係だと
述べました。
この両者は、お互いに完全なる相対関係にあり、両者があって、成立する世界観の中で存在します。
どちらかが欠けても、メリーゴーランドも、ハーレムも成立しないのです。
支配する側と、支配される側、
搾取する側と、搾取される側、
持てるものと、持たざるもの、
前者の方が一見、自由で、高貴で、後者に依存しない存在のように見えるかもしれません。
しかし、そうではないのです。
お互いの絶対的な依存関係があって、成り立つ世界であり、
ここは、陰陽の関係になるのです。
両者は切っても切れない関係であり、どちらかがいなければもう片方も存在できないのです。
ですから、、昨今の世の中で良く言われている、二極化の風潮。
未来列車に乗れてると思っている人たちが、こうした物語を、語っているわけですが、彼らは、未来列車に乗れない人たちとは、無関係で、目覚めてない人たちを置き去りにして自分だけが、自由の世界へ旅立っていけると思っているわけです。
しかし、この両者は、お互いに陰陽の関係であり、切っても切れない関係です。
二極化し、自分だけが未来列車に乗れるという幻想を持てば持つほど、
自分が離れていきたい、置き去りにしたはずの、嫌いな人たちと、一緒の世界を
生き続けることになります。
列車に乗れる人も乗れない人もいないし、これはあくまでつくられた虚構の世界なのです。メリーゴーランドの世界であり、ハーレムの世界と一緒なのです。
メリーゴーランドの、中心軸と、馬たちは、絶対的な依存関係にあり、
ハーレムの、王様と、姫たちは、絶対的な依存関係にあり、
二極化の未来列車組と、乗れない組も、絶対的な依存関係にあります。
そして、それは、何一つとしてリアルではなく、造られた虚構なのです。
こうした、世界観を創り出すのは、いつだって、私たち人間です。
それは、何故起こるか、というお話をこれまでもしてきました通り、
五感の範疇で思考している風、だからです。
乙女座のこのあたりの度数は、とても重要な学びをスタートしています。
低次マインドである、考えてる風から卒業して、真の成熟した思考力を養うことを、これからの課題としていて、このあたりの度数から初歩レッスンが始まっていると言えます。