母親の期待の鋳型にはまる少年

A boy molded in his mother’s aspiration for him.

11の数字は、2のエネルギーを根底においた、2の数字です。

2のエネルギーがとても強いのですが、11は奇数であるため、男性性の動的なエネルギーを持ちます。

世界に対して、推進力を持ち、活動していくエネルギーです。

しかし、2という、対応性を持っていますので、ここでは世界に対して、果敢に挑んでいく、切り開く、革命を起こす。といったパワーを持ちます。

サビアンにおける11度はそのサインにおいて、10度までで育ててきた世界観をもって、外側の世界へそれを打ち出していきます。

ある意味、10までの世界とは、自分だけの世界であり、1の世界ですから、

外側からのリアクションがなく、自分がやったことに対する世界からの回答が

まだ返ってくる前段階なのです。

11以降は、2という、外側の世界、相手の世界、と、対応していく流れに入ります。

サビアンにおける5度区分ずつのグループ分けでは、11度から15度までが

3グループになり、ここでは10度までに育てて来た、サインの世界観を、

外側に向けて、非常に強いパワーをもって、推し進め、ここから一気にサインの最大テンションである15度に向けて、突き進んでいきます。

6~10度までで、内面性に、落とし込み、感情のレベルで感じきったことで、

11度以降、一気に跳躍するための、土台を2グループでつくる。ということなのです。

11~15度の中でも、奇数で、素数である、11度と、13度は特にテンションが高く、他に前例や類似の無い、独特の個性を放つ、爆発的に強いエネルギーをもって

どのサインでも描かれることが多くなります。

そのサインの性質を、ものすごい強気で、押し切るのが、11度と13度です。

そして、15度で、最大マックステンションに到達していくのです。

乙女座11度は、母親の期待の鋳型にはまる少年、となっています。

ここまでの流れを振り返ってみますと、一つ前の10度では、虚構の幻想の世界から、抜け出して、自らの個性を生かし、自分自身のイメージした理想の未来へ生きて行こうとした、人物が、逃げた過去が迫ってきて、怖れに飲み込まれそうになりながらも、葛藤する場面が描かれていましたね。

私たちは、過去を認識し、未来をイメージします。

過去は、私たちの中にあるものであり、私たちが今、記憶している過去、とか、

過去に対して持っているイメージというのは実はそれらも全て、私たちの

イメージが作っているものです。

実際のリアルな過去は、あってないようなもので、私たちが過去、と認識しているものは、あくまで私たちの心によってつくられたものです。

過去が辛いものだった、ひどいものだった、と思っていたとしても、それは、

自分自身の心が作った過去のイメージであり、その過去のイメージの中で、

私たちは生きているのです。

だから、未来が変われば過去も変わるし、過去のイメージが変われば、

今も未来も変わる。

全ては時系列にならんでるように見えて、実はすべてが今なのです。

それらは、同時に派生していることであり、過去を認識している自分も

未来をイメージしている自分も、全て、今。の自分だからです。

ですから、過去の怖れ妄想が迫ってくる。というのも、あくまで、過去が実際にそうであったかどうかは関係なく、今の自分が、過去の怖れに追われていて、そこから脱することが出来ていない、ということに他なりません。

いつだって、私たちは、未来へ進もうとするときに、過去のイメージが追ってきます。

過去の失敗した経験や、痛かった記憶が、その何倍もの怖れとなって、今の自分を、阻むのです。

その怖れの妄想を、いかに活用し、生かしていくのか、ということを、

前回の度数で、お話したと思います。

実際、失敗。というのは、悪いことばかりではありません。

失敗というのは、うまくいかなかった経験。であり、それは、未来を創るものです。

失敗や挫折経験が、全くなく、とんとん拍子に、うまく行ってしまった人というのは、

何故、自分がうまくいったのか、分からないから、すぐに調子に乗ってしまい、

大きな、失敗をすることが多くなります。

しかし、沢山、失敗の経験を積み重ねてきた人というのは、

99回の失敗の事例を持っている訳ですから、それを避けて、残りの成功事例を掴んでいくことが出来ます。

失敗をたくさんしすぎて、保守的になりすぎてしまうということもあるかもしれませんが、それはそれで、良いのだと思います。

私たちは、新しく何かをしようとするとき、必ず失敗するもので、失敗はセット。だからです。大概の場合、そこで諦めてしまうから、失敗で終わってしまう、というだけなのだと思います。

失敗しても失敗しても、続けること。で、それはいずれ無数の失敗を回避し、

目標を達成するという地点に到達することになる。というだけのことなのだと思います。

失敗を何度かすると、大概の場合、まず、心もメンタルも持たなくなりますし、

肉体的にも、ボロボロで、家族やら友人やらを犠牲にしてしまい、金銭的にもかなり、出費がかさんで、もう諦めるしかない、みたいなことも多いのだと思います。

なので、失敗しないで、生きる方法を探し、結局、挑戦しない、今ある、不服の現状に留まり続けるということになりがちです。

しかし、失敗が悪いのではなく、失敗は宝です。

エジソンが発明のさいに、何百回も失敗してようやく、発明がうまくいったときに言ったことばが、失敗は失敗ではなく何百回という、うまくいかない事例を学んだにすぎない。その事例があったから、今回の成功に結び付いたのだという、

ことです。

なので、失敗を回避するのではなく、再起不能になるほどの大事故を

起こさない、すなわち、上手な転び方を覚える、ということです。

これは、何度も何度も、転ぶことでしかうまくなれません。

一回も転ばず、とんとん拍子で、うまく生かそうとするのが、現代社会では、

良いこととされていて、親も子供に挫折させず、転ばないように、真綿にくるんで、

社会に出て、苦労のないように、とお膳立てをします。

しかし、転び方を知らない人間が、大きく転んだときが一番怖いのです。

それこそ、大事故で死ぬかもしれないのです。

何度も転んで、失敗体験をたくさん積んでいる人は、こう転べば、あんまり痛くない、とか、大事故にならない転び方を学習しながら、

現場にへばりついて、残り続けることが出来ます。

転んだことがない人は、大事故転倒をしてしまい、一発退場にもなりかねません。

諦めざるを得なくなってしまうのです。

転ぶことは大事。失敗は宝。なのです。

こんなお話を、乙女座11度に、当てはめて頂けるとこの度数の意味が、

分かりやすくなるのではないでしょうか。

この度数では、過去の怖れ妄想が迫ってきて、過去の失敗体験が頭をもたげて、どうしても、思い切った行動をとれなくなった人物が、それでも、自分の目的を果たしていこうと、必死に、状況をコントロールしようとしていく様子が描かれています。

既存の構造システムの中で生きていれば、糾弾されることもなかったものを、

未来派の絵なんか書いちゃって、個性を主張したものですから、

世界から攻めを追って、出る杭打たれる状態になるわけです。

そうしたら、「ほら、やっぱりダメだったじゃん、怖いことになるんだよ」って

過去の自分がせめぎたててきて、怖れ妄想に飲み込まれそうになる・・

全部、自分の問題なんですよ。

でも、それは、だんだんと、社会構造の仕組みへの恨みになったり、

体制や、周りの状況を恨んだりすることに発展してくこともままあります。

世の中に対する恨み。ですよね。

今の平和ボケした世の中では、あまりそういった感覚はないかもしれませんが、

侵略された歴史を持つ国や、平和や豊かさに恵まれなかった国の人たちは、

今も、こうした感覚で生きている人は世の中にたくさんいるのです。

世に対する恨み。が、行動の原動力になっていて、すさまじいパワーを生み出す。

そういうことは、世界中の至る所にあるはずです。

そこまで極端でなくても、個人のレベルでも、こうした、

世の中にたいする恨み。を原動力にして、それを力に変え、成功を勝ち取った人はたくさんいるはずです。

乙女座の3グループは、そうした強い意志によって、状況を完全コントロールし、管理し、上に上り詰めて行こうとする物語が進んで行くのです。

この度数はその最初の度数で、母親にとって、息子というのは、絶対的な執着の対象であり、それは、裏を返せば、怖れの対象であることに他なりません。

息子を愛するあまり、完全コントロールしたい。

息子がちょっとでも躓いたり、痛い想いをしたり、人生において挫折したり、

自分のコントロールの範疇を超えて行くということは、

母親にとって、恐怖妄想の最大たる怖れなのです。

それは、母親にとって、耐えがたい苦痛であり、忍び難い苦しみなのです。

母親にとって、息子を自由にする、息子が失敗しすることも挫折することも、

ただ黙って子供に任せ、見守るという行為は、涅槃の悟りの境地に他なりません。

しかし、元来、人間とは皆そういう風に生きて行かねばならないもので、

失敗も挫折も、時には死すらも、自分で向き合って行くしかないものです。

しかし、自分の腹からその子を生み出した、唯一の母親にとっては、

その手放す、という行為が出来ない。

息子の一字一句を型にはめ、自分のコントロール下に置きたい。

それ以外は耐えられない。という状況が、

母親と、息子。というキーワードが出てくるこのサビアンでは容易にイメージが湧きます。

これは、勿論、人間界の母親と娘。であっても同じことが言えるのですが、

あえて、息子。と出てくるのは、より、この現象を分かりやすくします。

乙女座のこのあたりの度数は、怖れ妄想に打ち勝つために、状況の全てを

一寸の隙も無く、守り固め、コントロールしようとしている姿を描いているのです。

それは、永劫的に続く成功手法ではないのですが、一時的には強い制圧力を

発揮するものなのだと思います。

過去の失敗経験から状況を全てコントロールし、勝てる方法しか使わない。

という、偏った方法ではありますが、目的達成には功を成すこともあるでしょう。

本当の真理としては、母親が息子が自由に生きることを受け入れ、全ての執着を手放し、そうすることでしか、母親も息子も自由にはなれないし、真の意味で、癒されることはないのですが・・

真の母性とは、菩薩の境地であり、対象を閉じ込め、コントロールすることでは

何一つ、叶うことはないのです。

しかし、この度数では、そうした模範例を使って、このサビアンの状態を

表現しているのです。

世に対する恨み、失敗に対する痛みの記憶、そしてそれが、状況を完全にコントロールし、成功し、この世の仕組みの中で頂点に君臨していくための、

強い意志力へと育っていく。

成功しなければ幸せになれない。

階級の上に行かなければ幸せになれない。

そういう「半分の力」だけを、うまく活用してのし上がる世界が、

乙女座前半の、力であり、パワーなのです。