集団ヒステリーを制圧する強い手

A strong hand supplanting political hysteria.

サビアンにおける13度の度数は、数字的なエネルギーで言うと素数ですから、

前例のない、他に類似例のない、カリスマ性となります。

6つのグループ分けにおいて、11度から15度までは第3グループですから、

土台に、3という、活動性、生産性といった活発な動のエネルギーを持っています。

その中でも、11度とか、13度と言った、奇数、そしてここは、素数になりますから、

非常に高いテンションを持ちます。

13の数字は、4のエネルギーが土台にあります。

13のは2のエネルギーを土台においた4ですから、相手とか、世界とか対応していく時に、このエネルギーを使うのです。

自然数の4は、土台とか、安定化、固定化の意味合いを持ちますが、

13は、4の安定や、秩序を、カリスマ的な個性で、破壊していくのです。

例えば、機能しなくなった古い秩序や体制、4は動かない、変わらないエネルギーですから、滞りも出てくるのです。

それを13で、壊していく。

みんなが従ってる概念を、ぶち壊すには、最初に、それおかしんじゃね?って言う人が必要になりますよね。実は王様は裸だってってことを、みんななんとなく思ってても、決して口にしてはいけないことだったのです。

しかし、新しい感覚を持ったカリスマは、王様は裸だよ!って言ってしまうのですね。そういうエネルギーを13の数字は持つのです。

サビアンにおける13度はそうした意味で、そのサインの性質が、とても高いテンションで強く押し出されます。

乙女座13度では、政治的な、ヒステリーというキーワードが出てきますが、

分かりやすく、集団ヒステリーと訳してみました。

例えば、世の中が混乱状態になったりすると、それまで、右え習えで、

常識やルールに従っていた無意識な人たちが、世の中が混乱状態になると、

パニックになって、集団ヒステリーみたいな状態になったりするものです。

普段から、自分の意志とか、物事に対する自分の意見、というものを持ち合わせない人たちが、パニックになると、もう自分をコントロールすることが出来ません。

政治家のせいだ!総理大臣のせいだ!与党のせいだ!社会のせいだ!と

せいだせいだ病が発症してしまい、どうにもおさまりがつかなくなるものです。

そして、無意識の民は、1人では革命行動を起こすことはできませんし、

1人で異論を唱えることもできないのですが、周りでヒステリーが起こり出すと、

今まで、何も思っていなかったとしても、つられて、便乗して、ヒステリック行動に参加しはじめたりもします。

今までも、周りと同じように生きてきたものですから、周りがヒステリー行動を起こし始めると、周りの不安と恐怖の渦に飲み込まれるように、自分も無意識にそれに乗っていく。

これが、集団ヒステリーです。

世の中や政治に何か訴えたいことがあるわけでもないのです。

そもそも、政治のことなど勉強したこともないし、社会や世の中に対して、

問題意識や、自分なりの見解なども、何もなかったのです。

ただ、周りが騒いでるから俺も騒ぐ。的なものです。

こうした、民衆の集団ヒステリー状態には、強い制圧力を持つ、カリスマ的な人物が必要となります。

強い権力や、強い発言力、などを用いて、民衆を一瞬で黙らせる、くらいの

パワーが必要となるのでしょう。

民主主義では、一人一人の個々の人権を尊重し、尊厳の迫害が在ってはならない、また、思想の自由、言論の自由、などを説いています。

しかし、歴史を辿ってみますと、乱世の時代には、こうした民主主義的なやり方では、食うか食われるかの弱肉強食の世界ですから、すぐに足元を救われてしまうわけです。

マキャアヴェッリの『君主論』は、リーダーが民を制圧し、権利を握り続けるには、どうしたらよいか、ということをまとめた著書で、いかに君主とは民に怖れられ、舐められてはいけない、アメとムチで民衆を制するというような方法論が書かれているのです。

この度数で表現されるリーダーシップとは、ある意味、こうした、絶対君主的な、意味合いを含むのではないかと思います。

前の度数を振り返ってみたいと思います。

11度の母親の鋳型にはまる少年、のところでは、体制の中で閉じ込められ飼いなされて生きる生き方から、自らの力で生きていく生き方へ踏み出した9度と10度の所で、何物をも拠り所にせず、自らの力と個性だけで生きていくということが

こんなに試練と葛藤があるものかと、改めて思い知らされる場面が描かれていました。

その壮絶な恐怖を克服するために11度では、全てをコントロール下に置き

状況を寸分の狂いもなく管理しようとした場面です。

それは母親が息子に抱くような、ものすごい強い執着と、怖れで現わされていました。

そして、12度では、状況を意志の力で管理できるようになった体験をしたら、

今度は、宇宙の法則までもを、管理したいと思いはじめ、自然界の法則を知ることで、自らの目標実現に生かそうと試みました。

スピリチュアルなようで見えて、全くスピリチュアルではない。という状況を

よく見かけます。

例えば、新月のお願い事、だとか、流行りの神社参りとか、思考が現実を引き寄せる、だとか、ああいった考え方というのは、目に見えない力を自分の欲しいものの為に使おうとする行為で、法則の一部分だけを自己都合で切り取って、

使おうとしている行為なのですね。

で、それが全く機能しないかというと、ある程度、機能したりもするので、

そういう風に願いが叶うということを、知った人物は、最初、ものすごい万能感を得たという気分になったりするものです。

永遠の打ち出の小づちを得た、ような気分なのでしょう。

これは、あくまで私の感覚なのですが、こうしたお願い事系、思考引き寄せ系というのは、自分の願望。という、非常に偏りのあるエネルギーに対して、作用を用いてるような感覚なので、あくまで陰陽の片方に、もしくは全体のどこか一部に、

パワーを込めているような感覚なのです。

なので、一時的に作用したり、何度もそれを使ったりしているうちに、

他の滞った部分にも、エネルギーが溜まっていく。というような印象があります。

過去の行為は、未来を創る。

過去は未来に必ず現れるものですから、自分が願ったものの本当の姿が、

もっと先の未来に見えてくるということがあると思います。

今、欲しい。と思ってるものは、あくまで頭で欲しい、と思ってるもので、

ほんとに欲しいものとは違う場合も多いと思うからです。

それを分かった上で、今目の前の欲しいものの為に、こうした自然界の法則を使うというのは、間違いではないと思うのです。

こうして、乙女座は12度までに、非常に強い意志の力を手に入れてきたことになります。

君主論で言う、絶対君主のような状態にまで武装している様子がイメージされます。

乙女座13度で出てくる、カリスマとは、正に、絶対に勝ちあがるという強い意志を持って、全ての状況を管理コントロールし、のし上がってきた絶対君主。なのだと思います。

絶対君主は、無意識に集団ヒステリーを起こす民衆を、巧妙な心理戦と、政治的圧力をもって制圧します。

絶対的に自分を怖れさせ、逆らうととんでもないことになると思い込ませるかもしれません。また、不満を持つ民に、それなりに日々の糧を与え、食べるに困らない生活をさせてやれば、民がおとなしくなることも知っています。

独裁政権などでは、学歴や知識のある人物を抹殺し、子供の教育を受けさせないことで、愚民を育て、言うことをきかせるという、歴史も多々あります。

乙女座のこの度数はそこまでではないでしょうが、乙女座の階級社会における、

頂点に立つことで、絶対的発言権と、権力を持ち、周りを黙らせる君主となって行く姿は思い浮かびます。

こうしたことを聞くと、とても独裁的で、良い印象を持たないかもしれませんが、

私たちの社会とは、このように成り立っているものではないでしょうか?

人のせい、社会のせいにして生きる無意識的民衆と、

体制から飛び出して、強い意志を持って自分の人生を切り開いていこうとする人物と。

中国の古典では、君主とは、リーダーのことでありますが、大なる人物、徳のある人物であることも説きます。

時にこうした、君主がリーダーシップをとって、民衆をまとめることは必要でしょうし

でないと、愚民が自分のことばかりの我侭で、騒ぎ立てれば、まとまるものもまとまらない、ということもあります。(今はそれが法律の力で秩序立てられていますが)

こうして、乙女座前半のストーリーのテーマである、物質的階級のトップへと君臨していくのです。