ウィジャ盤

An ouija board.

18の数字のエネルギーは、精神性であり、心の世界、目に見えない世界です。

18は、9と陰陽の関係にある数字で、2を土台におきます。

9は、8で形ある世界が完成し、9ではそこから、心の世界へと統合されていきます。9は月の満ち欠けにも関係し、宿曜占星術の27宿は、27を9に分割して作られるシステムです。月のサイクルは感情のサイクルにも関係し、9はそういった意味で、形のない世界なのです。

9は、タロットカードでは隠者のカードで、心の世界の探求者であり、道の行者で現わされます。孤高の修行者であり、9は奇数で能動性ですから、自ら、能動的に悟りに行く、心の世界の探求をしに行く様子なのです。

これに対して、18は、偶数ですから受動性です。

タロットカードの18は月のカードで、正にここで、月の扉を明けて、

多次元な自分に出会っていく、始まりの扉であり、物質世界に対する終わりの扉でもあるのです。

私たちは心(感情)を通して、高次元の自分や、宇宙に繋がると言われます。

月は架け橋であり、感情は架け橋なのです。

私たちは感情を無視していて、本来の自分自身に出会うことは不可能なのです。

現代社会では、心理学などが、これだけ注目されるようになってきて一般の人でも興味を持つ人が増えてきていることからも、心や感情がどれほど奥深く、

私たちが生きる上で心のことを学ぶことが、とても重要なことであることが、

たくさんの人が気が付いてきている証拠ではないでしょうか。

サビアンの18度は、そういった意味で、とてもスピリチュアルなイメージであったり、心や非物質的な様相で描かれているものが多いと思います。

乙女座では、一つ前の、17度の度数で、自らの心の扉をどんどんと叩かれ、

こじ開けられるような体験をし、それまで溜め込んでいた心の中のマグマを大噴火させた場面がありました。

リスクの無い生活、思考と理論のみの在り方、全てをマインドで管理コントロールしようとする在り方、こうしたものは、どんどんと知らないうちに、心の中に、抑圧された感情の負債を溜めこみ続けることなのかもしれません。

心の世界や、目に見えない世界を、無視し続けて生きるということは、

逆に言えば、私はとてもリスクのある生き方なのだと思います。

私たちは、心の生き物で、感情を通して、肉体の自分と、高次の自分を結びつけるのです。

感情はいつだって、そういった意味で、自分の中にある真実を、示してくれるものです。

私たちの本音は、いつも感情を通して、最初に、現れます。

感情は実体のないもので、手に触れられないものですが、肉体の次のレベルに存在するものですから、それはとても分かりやすく、手に取れるくらい、

はっきりとしたものだと思います。

感情をケアすること、心の状態を日々、メンテナンスすることは、

顔を洗ったり、歯を磨いたりすることと同じように大切なことです。

感情を日々、気遣うこと、自分の本音を常に、精査し、耳を傾けていること。

これを怠って、長いこと生きると、今度は、感情の段階で処理されなかったものは、

更に重たい波動の方へと、形を帯びて降りてきます。

これが、病気。なのです。

病は肉体レベルのものですから、はっきりと目に見える形で現れますよね。

病気とは、より下位の領域に形となって降りてきたものなのです。

病気になれば、体が強制的に動かなくなりますから、私たちは、外側に目を向けることをやめて、どうしたって、自分自身に目を向けざるを得なくなります。

自分自身に向き合わざるを得なくなります。

病気とは、そのために起こるものです。

しかし、そこまで形となって現れて来る前に、長い間、ずっと、感情の領域、

心や気分などの領域に、繰り返し繰り返し、警告として現れていたはずなのです。

本当はこう生きたい。

本当はこうしたい。

本当はこれがしたくない。

本当はこれが好き。

本当は、これが嫌い。

本当は、本当は、・・・

でも、全て、でも、でも、でも、とかき消し続けてきたのではないでしょうか。

思考でばかり生きていると、感情の声を聞いてあげるということをしなくなります。

大人として生きていれば、そんな感情が訴えてくる我侭ばかり聞いて生きることなんて出来ない、と諦めてしまうかもしれませんが、

でも、それこそが、怠慢なのだと、私は思います。

どんなに状況が許さなくても、どんなに無理だと思っていても、

感情の声を聴き続けることを諦めてはいけないし、感情が言うことに

耳を傾け続けなければいけないのだと思います。

そうでないと、全部が、嘘で積み上げられていってしまうからです。

感情の言ってくる、横暴で到底無理そうなことを、この現実の中で、

どうやって、少しでも、それに沿うていくか。そのことを考え、近づけていく努力が

大事なのだと思います。

それを諦めて生きることが、正に、「自分を犠牲にする生き方」ということなのです。

乙女座18度は、ウィジャ盤となっています。

これは、子供のころに流行った、こっくりさんのことですが、

筋反射やオーリングテストのようなものらしいのですが、

無意識にあるものを、筋肉の反射を通して、受け取るというものだと思いますが、

占いや、カードなども、シンボルを通して、無意識の言ってくることを受け取るという意味では、同じような類なのだと思います。

私たちは、こうしたツールを使って、無意識からのメッセージを受け取ることを

訓練する必要があるのだと思います。

シンボルやツールは、最初は、そこから発せられるメッセージが、

とても驚愕に思えたり、神の啓示かのように思えたりするものですが、

こうした訓練を日々、繰り返していると、いずれそのうち、ツールはいらなくなります。

無意識と非常に近くなり、ダイレクトになりますから、

ツールを使わなくても、無意識の言ってくることが分かるようになります。

こうなると、無意識の状態ではなくなり、感情反応をしている状態ではなくなるということなのです。

無意識の状態とは、自分の無意識と遠い状態であり、

自らの無意識が何を言っているのか認識していない状態ですので、

無意識で、物事に対して感情的な反応を繰り返している状態です。

乙女座前半までの物語は、実は、そういった意味で感情に対して完全に無意識で、状況をコントロールしているように見えて心を無視している、という意味では、実は、とてもリスキーな状態だったのだと思います。

しかし、16度のオラウータンの度数で、心のまま。に生きている人に出会い、

自らの無意識に接触し始めました。

こうして、18度では、こうした無意識の言ってくることを、積極的に受け取ろうとしている場面なのだと思います。

私が良く、タロットカードを教えるときに、毎日、自分の無意識との対話の為に、

カードを展開してください、というお話をするのですが、

正にこの度数は、毎日、シンボルや筋反射を通して、自分の無意識の声を受け取る訓練をしている状態なのだと思います。

私たちは本当の意味で、自らの個性を生き、自分を犠牲にせず、物心両面で、豊かに生きるには、思考や知識だけではどうにもならなくて、やはり、心や霊的な自分とも向き合って行くことが必須なのではないでしょうか。

そのために、日々、自分の無意識を拾う、そういう訓練が、必要になるのだと思います。