針によって突き通され完璧にされた蝶
A butterfly made perfect by a dart through it.
7番目のサインである天秤座は、乙女座までに、自己の輪郭の確立を精一杯やり切って繰り返し努力を積み重ねて来たことで得られたその人の一個人としての個性をもっていよいよ世界と関わっていく場面が始まります。
6番目のサインである乙女座まででは、魂の個性を、この物質界で、社会の中で、形あるものとして明確にするために、日々一切の努力を惜しまずに邁進してきた物語が描かれていましたね。
ある意味、乙女座までは、個人性の世界であり、そこには自分しか存在していなかった。というお話をしてきました。
勿論、乙女座までのサインでも、社会とか他者とか他の人たちは登場してくるんですが、あくまでも、彼らとの関りは、「自分目線」なんですね。
自分の世界からのみ、相手を見ている。世界を見ていますから本当の意味では、
まだ自分以外のものと関わっていないのです。
だからこそ、乙女座では、自分の世界でイメージして相手にこれをしてあげたら喜ばれるに違いない、とか、これをしてあげたい、というあくまで自分の気持ちから相手に尽くしたり、奉仕したり、犠牲になったりということが生まれてくるわけです。
また、獅子座では、自分の世界しか存在しないからこそ、周りを観衆にして、
自らが王者になり、スターになり、個性をめいいっぱいに表現することが出来るのです。
天秤座以降では、真に、相手のエネルギーとか、世界からのエネルギーが
流入してくる場面が始まります。
ここでは、想像で、相手の気持ちをイメージするとか、妄想で思いやるとか、
そういうことではなく、真に一対一のやり取りを始めるのですから、全くガラリと
世界観が変わってきます。
今まで自分目線でのみ眺めていた世界が、今度は、自分の目線と、相手の目線の両方からの視点を持ち始めるのです。
それは、大人になる、ということでもあり、成熟する、ということでもあるのですが、
同時に、下手をすると自分を失う、自分というものが迷い、分からなくなってしまうという危険性もはらんでいるのだと思います。
だからこそ、そうならないために、乙女座までに、しっかりとした個性の輪郭を形成しておく必要があったのです。
これをしておかないと、天秤座以降に入った時にどうしても、迷い、喪失してしまうものが出てくるからです。
だから、乙女座最終度数では、最後の最後で必死になりすぎて、大事な電話を取り損ねてしまうのでしたね。(笑)
そのくらい、乙女座では、必死で、全力で、自らの個性を確立しようと努力をしたのです。
天秤座の1~5度までの第一グループでは、そのサインの性質の純粋なエッセンスが凝縮された形で、シンプルに表現されます。
それまで自分だけの世界の中で、培ってきたところから天秤座に入ると一気に世界が自分以外の領域へ開かれますので、とても広いところへ飛び出していくような
感覚があるのです。
自分しかいなかった世界で認識する自分と、
沢山の人たちがいる世界で、認識する自分。には雲泥の差があるのだと思います。
また、私たちは、沢山の人たちがいる世界で生きているからこそ、
より自分の個性を明確に知ることが出来るし、自分自身を深く確認することが出来るのではないでしょうか。
天秤座の1度では、針によって突き通されて完璧にされた蝶。というキーワードで描かれています。
まず、この蝶が自分だと例えると、受動態によって、~~された。という表現になっています。
自分でパーフェクトになった。のではなく、突き刺されて固定されることでパーフェクトになった。という表現がされています。
これは、沢山の人たちがいる世界に、自分自身をさらけ出し、自分はこういう人間ですよ。こういう個性を持った存在ですよ。と、明確に周りに対して認識づけている状態が描かれているのです。
例えて言うならば、乙女座までの世界は、獅子座までが学生とか子供時代のようなものに例えることが出来ます。
例えば、大学生が、まだ社会を知らず、親のお金で学生をしている身分なのに、
学生の世界の中では、ゼミやサークルや夜遊びでブイブイ言わせて、
仲間や、恋人と、楽しみ青春を謳歌しているような場面をイメージすることが出来ます。
そんな時、若さと、活力と、大学生という華々しい身分と、何もかもが楽しくて、
自分は万能である、というような感覚になるものではないでしょうか。
しかし、生活の基盤はあくまで親の仕送りによって為されているという現実がありますが、そこは、本人にとっては、当たり前のことで、社会の厳しさなど知りようもないのですから・・
しかし、大学を卒業して社会人一年目になるような場面が乙女座だとします。
社会人1年目は、社会の常識や会社の仕事も何一つ分かりませんから、
大学生の時の万能感から、一気に奈落の底に突き落とされるような場面です。
社会に出ると、何の役にも立たない、ただの給料泥棒から最初はスタートしなくてはいけないからです。
だから、敬語の使い方一つから、書類の書き方一つまで、全部一から覚えなくてはなりません。
会社の先輩や上司は、新人を育てるのも仕事の一つですから、新入社員に仕事を教え、間違えたことをすれば注意しなくてはなりません。
新入社員の方がたいがい、常識知らずでとんでもないことをやらかしてくれますから、先輩は、厳しく怒ったりすることもしなくてはなりません。
これはあくまで仕事だから、先輩たちはそうするわけですが、
新入社員にとっては、自分の世界しか見えていませんから、
先輩が、仕事の一環として、面倒くさくても、自分に教えてくれてる、自分を成長させるために、厳しく言ってくれてると、相手の気持ちや立場を思いやることは
この段階ではまだ出来ないのです。
だから、新入社員は、あの先輩は俺のことが嫌いなんだ、とか、
あいつは、俺ばっかり虐めてくるとか、そういう自分本位な判断しかできなかったりするものですよね。
また、新入社員ですから、自分の権利ばかり主張してみたり、逆にしなくていいのに残業したり、飲み会に付き合って体調を崩したり、といったことも、
自分の輪郭がまだ確立していない場面では起こりやすいことです。
自分の輪郭が確立して、自分の考えを持っていれば、自分の権利ばかり主張することで起こる不具合も知っていますし、かといって、自分の権利をないがしろにする必要もありませんから、周りとうまくやりつつ、自分の権利はちゃんと行使する、ということも出来るようになります。
このようにして、自分の世界からだけ物事を見ていると、自分本位な狭い範囲の考え方になってしまったり、逆に自分を犠牲にして相手に尽くしすぎてしまったり、
といったことも出てきます。これが、新入社員を乙女座のイメージに例えた例になりますが、
ここから一歩進んで行くのが天秤座の世界観です。
天秤座を、新入社員から、少し仕事に慣れて、社会人も数年経験して、大人の階段を上り、会社の中でも仕事を任されたり、部下が出来たりするようになってきたころに例えてみましょう。
ここでは、仕事を自分の頭で考えて行うことが出来るようになったり、
仕事において、自分が出来る事と出来ないことが分かってきている状態であったり、自分を犠牲にせず、周りとうまく付き合うことが少しずつできるようになってきたり・・といったことも出てきます。
またプライベートでは、結婚を考えるようなパートナーもいて、
1人の人と、深いお付き合いをすることが出来るほど成熟してきているのです。
恋愛から、真に相手と共に生きる人生を考えるほどのパートナーシップを築くことが出来るというのは、天秤座の世界観らしいものだと思います。
このように、天秤座では、自分の世界観から眺める世界と、相手の世界観から眺める世界と両方の視点を持つようになるのです。
だから、双方向的な視点で物事を考えることが出来るようになるのです。
自分の個性をはっきりと認識し、明確にそれを周囲に認識づけるには、
自分から見た目線だけでなく、相手目線、世界から見た目線、というものが
出来て来ないと難しいものなのだと思います。
天秤座1度のこの度数では、針に突き刺されて固定化された様子が描かれています。
これは、周囲に対して、自分の個性を明確に打ち出し、ある意味固定化している
姿でもあるのだと思います。
人間は、多面性であり、一つの側面だけがその人の個性ではありません。
いろんな側面を一人の人間の中で持っていて、その多面的な個性が全て合わさって一人の人になります。
その個性とはとても複雑で、付き合う相手とか対応する集団に合わせてカメレオンのように、見せる顔を変えるものではないでしょうか。
しかし、世界に対して、自分の個性を打ち出すとき、ある程度、それを
「固定化」する必要が出てきたりもします。
私はこういう人間です。って言っちゃったほうが、相手が安心する。というのがあるからです。
私はこういう顔も持ってて、こういう顔も持ってて、こんな顔もも持ってて、あんな顔も持ってます。っていうと、それだけ、理解してくれる人が少なくなっていくものです。
全部の顔を、他人に理解してもらうことは出来ないから、ある程度、絞って、
分かりやすい自分を演出していくことも親切だったりするものです。
昔のアイドルとか、テレビで一世を風靡するようなスターがその好例だと思います。
ジャニーズアイドルは、こんなキャラクター!とか、浜崎あゆみはこうです!
松田聖子ちゃんはこう、明菜ちゃんはこう!と、明確なキャラクター付けがあって、
沢山のファンに愛され、時代を一世風靡することが出来るのです。
でも、彼らが本当の自分を全部さらけ出して、いろんな個性を持ってる部分を全部、お茶の間にぶちまけたら、一体どうなったでしょうか。
きっと、古い昭和や平成の時代では、お茶の間はドン引きして、混乱してしまうのではないでしょうか。
今の時代は、テレビが衰退してきていて、昔ほど、有名人が一つの個性だけを強いられる病的な在り方は、緩和されてきているとはいえ、
有名になる、沢山のファンを持つ、ということは、やはりどうしても、
自分を、ある程度、分かりやすいキャラクター付けすることがどうしても避けられません。
例えば、ホリエモンのように、多動力を打ち出して、あらゆる仕事を同時進行でこなすとか、今はいろんな側面を持つインフルエンサーも増えてきていて、
ファンも、コアなファンがつき、その人のことを大好きな人と、嫌いな人と明確に分かれていく時代になってきています。
日本全国民がみんな、聖子ちゃんか明菜ちゃんのどちらかのファン、というような時代は終わったのですが、やはりそれでも、世界の中で自分を位置づける時には、
私の個性はこうです。という、ある程度、固定化された位置づけが必要になり、
それで、表現する方は迷う、とか、葛藤する、ということが多々あるのだと思います。
自分が世界に対して、表現している個性意外にも本当はもっと多様な個性をもっていて、それを新たに打ち出すときには、多くの葛藤があるものなのだと思います。
例えば、youtuberとして活躍する、芸人さんや芸能人は多いですが、かつてのお笑い芸人としての自分から、アーティストとしての自分とか、学者としての自分とか、明確な方向転換をしていく時にはきっと、とても勇気がいるのだと思います。
でもやっぱり、それで、嫌われる人がいたり、ファンでなくなる人がいたとしても、
自分の個性は、出していった方がいいと思うのです。
周囲に求められる個性とか、ずっとやってきた古い自分の顔をずっとやり続けるのは、いずれ停滞するし、自分がきつくなってくるからです。
このように天秤座の世界では、自分の個性を明確に打ち出す、イコール、
標本のように、その個性を固定化して、額縁に入れるみたいなニュアンスも言っているのです。
牡羊座で始まった、明確な自分の真の個性と、180度進んで、
陰陽の関係にある天秤座の世界は、相手からの、世界からの視点を学んでいくことになります。相手目線、世界からの目線を手に入れ成熟していく一方で、
牡羊座でおこった自分の真の個性を、喪失する危機もまた体験していくのだと思います。
こうして、一気に世界が広がるところから、天秤座の物語は始まっていきます。