鉱山から出てくる炭鉱夫

Miners emerging from a mine.

サビアンにおける、12度の度数は、5度区分ずつのグループ分けにおいて、

第3グループの2番目の度数です。

9で割ったグループ分けでは、第2グループの3番目の数字です。

12という数字には、3と2のほかに、4や6も内包されており、

12の数字は、地球の法則、物質界の法則に関わります。

12サイン、12時間、1日は、12時間が2回で24時間です。

円周は360度で、内包します。

また、干支も十二支、これと、十干で、60となります。

また、1時間は60分、1分は60秒。これも12を内包します。

12というのは、私たちの時間軸、空間軸にとても密接にかかわる数字であり、

12は私たちをこの物質界の法則に閉じ込める数字でもあります。

サビアンにおける12の数字は、サビアンの前半の物語がこの11~15度の第3グループで一気に盛り上がり、前半のテーマを活発なパワーで、達成していこうとするときに、12度で、地固めをしたり、14度で、無駄なエネルギーを排除して、目標に一点集中していくエネルギーとして働いたりします。

11度や13度、そして、15度で大きくジャンプし飛翔するのですが、

その間に入る、12度や14度は、重要な調整役となって、サビアンの物語の中で働いているように感じます。

天秤座12度では、鉱山から出てくる炭鉱夫、となっていて、

地中深く潜り込んで、石炭を掘っていた炭鉱夫が、真っ暗闇から地上に出てきている場面が想像できます。

石炭は、「黒い宝石」ともいわれるように、地中深くにある、地球の資源で、

かつて、石炭は、石油と同じように、まさに宝として、重宝されてきたものでした。

北海道夕張市というところにも、かつて炭鉱があり炭鉱夫として、たくさんの労働者が、本州から北の地にやってきたのです。

日本には、かつて、九州や北海道など、いくつかの炭鉱があり、ゴールドラッシュ夢見て、たくさんの男たちが家族を連れて移住したといいます。

しかし、地中深く潜り、石炭を掘る作業ですから、ガスが出たりして、命の危険を伴う作業でもあります。

実際に、夕張市でも、1981年に、ガスによる、坑内火災が発生し、100人近い人が亡くなる事故が起こっています。

現在では、ほとんどの炭鉱で、石炭を掘りつくし、夕張市は、その後、財政破綻していますし、現在で、日本で唯一残る炭鉱は、北海道釧路市にあるもの一か所のみで、石炭の採掘量も、かつての最盛期に比べるとかなり少ないのだそうです。

ほぼ、資源を掘りつくした、ということでしょう。

このように、炭鉱で石炭を掘る作業とは、何か秘密の深いところにある宝物を掘り当てるような、非常に集中した、命がけの状態を表しているように思います。

かつての炭鉱夫たちは、金持ちになることを目指して、危険であっても、

夢を追って、挑戦した男たちだったと思います。

私たちは、何か、自分を犠牲にしても叶えたい夢があるとき、というのがあるのではないでしょうか。

一つ前の11度の、眼鏡越しに教える教授のところでは、自分の体験してきたことを、後に続く生徒たちに教えるという、経験をしてきました。

教えるという作業は、それを知らない者に、自分の知っていることを伝える、それは、共通言語や、共通認識を持たない者同士が、知りたい、伝えたいという情熱によって、互いに努力をして、理解し合おうとするコミュニケーションだ、というお話をしました。

それは、先生は、生徒の目線に立って、みることであるし、

生徒は、先生の目線を獲得しようとする試みに他なりません。

生徒のほうは、先生の言ってることが理解できれば、成長できることは間違いありませんが、

先生のほうも、実は、伝えることを通して、自分自身の中の深いところにある何かが触発されるものなのではないかと思います。

知識って、知ってるだけよりも、それを、教えたり、伝えたりしたほうが、何倍も何十倍も自分のものになる、と言われています。

真に、一つの知識領域を、ものにしたければ、それを、教えることが、最大の近道、とも言われます。

なので、教わってる生徒よりも、実は、教えてる先生が、何倍も、成長できるものなのかもしれません。

教えることによって、自分自身の知識や、経験が、どんどん深みを増し、高度になっていき、新たな、境地が見えてくる・・教えるとは、無限の可能性に開いていくことなのかもしれません。

教えるということは、自分の学んだことや、自分の経験してきたことを、総称して、まとめ、言語化し、かつ、分かりやすく説明できなければなりません。

また、生徒が複数いれば、その生徒さんの性格や、理解度、知識量などに応じて、教え方や、教えることや、順序なども、変化させる必要があります。

例えば、理解度が100のうち70の生徒と、10しかない生徒に、同じことを教えても、まったく、ちんぷんかんぷんということになってしまいます。

教える、ということは、相手の目線に立つ、ということ。

そして、相手の目線に立って、自分の知識を、そうまとめし、言語化することで、

教える自分自身にも、最大の効果効能がある、ということなのです。

そういった意味では、知っている。ということと、教えられる。ということは雲泥の差があります。

この分野の知識は、是が非でも極めたい、習得したいと思う分野がある方は、ぜひとも、教えることに挑戦してみることをお勧めします。

こういった形で、11度では教えることを通して、自分自身が深まり、高まり、超越された境地が見えてきたのではないかと思います。

そうして入っていった世界が、地中深くどこまでも、掘り下げていく、探求の世界なのではないでしょうか。

先に述べましたように、炭鉱での作業は、石炭という宝物を掘る作業ではありますが、日々、命がけ、死ぬかもしれない、健康を害するかもしれない、犠牲を伴う作業です。

それでも、得たいものがある、それでも、至りたい境地がある。

そういう魂の求めるものなのではないかと感じます。

魂の声に従って、深く探求の道に入っていく。その時に、自らの安全や健康を顧みることなく、没頭してしまうものなのではないでしょうか。

天秤座の11~15度まででは、自分の中にある、創造的な知的領域に開いていこうとする挑戦が行われているのだと思います。

10度までは、生きるために、七転八倒し、そして、失敗から立ち上がるために、先人たちに学んだり、既存の書物から知識を得て、なんとか、進んできた場面がありました。

しかし、11度から15度までの第3グループでは、今度は、既存の書物に書かれている知識ではなく、自ら開発していく知識、自分だけの創造的な知識領域に開いていこうとする場面です。

例えば、チャネリングというものがありますが、あれは、地球外生命体とか、マスターたちとか、そういう実態のない存在たちからメッセージを受け取り、その崇高で高度な知識を、理解し、チャネラーが、文字なり、言語なりに起こしていくというものです。

しかし、チャネリングは、下地や素地のない人に突然、降ってくるものではありません。そうした高度な知識を、理解する素地のある人、また、下知識のある人のところに、降りてくるものです。

マスターたちも馬鹿じゃありませんから、自分の伝えようとしていることを理解できる人、最低限の理解するための知識がある人を選ぶに決まってます。

もちろん、体のない存在たちにもいろんな輩がいますから、チャネラーです、と言ってる人の中には、そうした低次な存在からメッセージを受け取っている人たちもたくさんいるわけです。

でも、歴史に残るような、スピ名著を残すようなチャネラーさんたちは、例外なく、

それまでに膨大な量の経験と、勉強をしてきている人たちです。

だから、チャネリングに限らず、「なにも土台のないところに、アイデアもチャネルも降りてこないし、創造的知識に開かれることもない」

ということだと思います。

ある日突然、閃く日を夢見て、待ってても、きっと一生、閃かないし、創造的なアイデアは浮かびません。

ほとばしるようなアイデアに閃きたければ、日々、地道な努力を積み重ねるしかありません。

時に、炭鉱に命がけで日々、潜るようなことをしてでも・・。

そういう、ストイックな探求に挑んだもののみが、掴める境地、見えてくる境地、というものがあるのだと思います。

そして、深く潜ってるときは、非常に強い集中状態にありますから、自分の体が、蝕まれて行ってることに気が付いていなかったりします。

チャネラーやヒーラーもそうですし、学者や研究者といった人たちも、気づいたら、

体を酷使しすぎていたということが多いようです。

11度で教えることを通して、今度は、先生自身が、知的な高みに到達し、

深い地中に潜るような、探求の道に入っていく・・

そこまで、自分を酷使してでも、見てみたい境地がある、そして、それが直観的に、見え始めているから、もうやらずにいられない、自分を止めることが出来ない。

そういうことが描かれている度数なのだと思います。