哲学者の頭にある、三つの知識のこぶ

Three mounds of knowledge on a philosopher’s head.

サビアンにおける30度は、サインの最後の度数ですから、この度数をもって、サインの物語は終了になります。

30の数字のエネルギー派、3、0の3ですから、3の創造性、生産性と、0の無限性が合わさり、無尽蔵の創造性を発揮します。

なんというか、際限のない感じ、留まることのない、放出力を感じさせる数字なのですが、サビアンにおける30度はそう言った意味で、最後の吐露、のような場面だと思っていて、壮大なエンディングストーリーが流れるというよりかは、

次の度数からもう、次のサインに入らなくてはならないわけで、その前に、今のサインで出しきれてない、最後のゲップや、残りかすを出し切っておく、みたいなイメージなのです。

すでに、ここまでの度数で、そのサインを締めくくるべく、壮大なエンディングストーリーは示されてきていますし、次のサインに入るために準備も進められてきました。

ですから、30度ではどのサインも、最後のゲップをして、すっきりと次のサインに入っていくのです。

そういった意味では、30度では、どこか、パロディチックにそのサインの滑稽さを描写するような、場面が描写されるものが多くなります。

サインの最後の度数だから完璧なエンディング、なのではなく、最後の度数だからこそ、次のサインのテーマが見えているからこそ、次のサインのまだ見たことのないテーマには全く太刀打ちが出来ない、滑稽さもまた、30度にはあるのです。

天秤座30度では、哲学者の頭にある三つの知識のこぶ、というフレーズになっています。

一つ前の天秤座29度のところで解説しましたように、天秤座の世界とは、あくまで風的な、知性の視点から、この世界の中で、相手と自分の違いについて研究し、それを、知識によって、プロフェッショナルなスキルまで構築してきた世界観なのです。

互いの違いを認め合う、みんな違ってみんないい。これは、この世界を生きる上での理想であり、無くてはならない概念なのです。

違って当たり前、でもその違いを認めず、他者を自分と同じようにしようとしたり、自分の正しさを認めさせようとすると必ず争いになります。

しかし、29度でもお話ししましたように、互いの違いを認め合って、感情的にならないように良い距離感をとって、うまく立ち回る・・という天秤座的な飄々淡々としたあり方が、どんな場面でも通用するかというと、私たちの世界はそう単純ではありませんよね。

言い換えれば、違いを認め合って、みんな違ってみんないい、は、裏を返せば、

他者と距離を置く、ということです。

距離を置くことでそれが可能になるのです。

また、言わなくていいことを言わない、互いに感情的になるようなことを言わない、しない、必要以上に関わらない、踏み込まない、ということです。

しかし、私たちは生きていくうえで、日々の生活の中で、それが必ずしもまかり通らないことも多々あるのだと思います。

天秤座的、対人感性能力は、知性的スキルによって培われたものなのですが、

あくまで、それは、「感情論を挟まない」、私たちが知性的な論理的存在だった時に、実行することが出来るスキルです。

でも、私たちは誰しも、寸分の隙も無く、理性的でいられる生き物でしょうか。

ときに感情的になること、日によっては体調が悪かったりイライラしていたり

満月の影響や惑星のサイクルに振り回されたり、あらゆる「イレギュラー」があるわけです。

また、互いの違いを認め合って、距離を置いて~など、理性的なきれいごとが通用しないことも多いのです。

天秤座30度の哲学者の頭にある三つの知識のこぶは、知識、知識、知識によって作り上げられた哲学なのです。

知識のこぶが三つ、なので、ものすごい知識を持った哲学者であり、

人間関係における、膨大な知識とスキルを持った人物像が出来上がっていることがイメージできます。

この姿とは、天秤座のテーマを満了した証であり、それと同時に、天秤座の世界観だけではどうしても見ることも気づくこともできない領域についても示唆しているのです。

知識のこぶが三つもできて、知識の三位一体が出来上がって完璧に知識武装しても、ここから始まる蠍座の感情世界では、もしかするとそれは、ほとんど役立たないスキルだったりするのかもしれません。

それでも、天秤座の世界を満了したからこそ、次の蠍座に行けるわけですから、

やはり必要な過程だったのだと言えます。

よく、三位一体といわれ、知性、感情、肉体の三要素がバランスよく活性化したときに、私たちは創造性を発揮すると言われますよね。

例えば、知性だけ磨きをかけても、感情や肉体が変わっていなければ、低いほうに足を引っ張られて、元の位置に戻ろうとする働きが起こるそうです。

だから、一つの要素だけが活性化すると、必ず、ほかの要素の低級さが足をひっぱり、しんどくなるので、ほかの要素にも向き合わざるを得なくなる。

知性だけ発達しても、感情のことをいくら学んでも向き合っても、肉体が古い自分のままだと、肉体が足を引っ張ってくる、といった具合です。

ですから、三位一体が大切だということはやはり、事実なのだと思います。

天秤座、最後の度数では知性の領域における、三位一体が起こり、

知性のレベルの完成を見たのだと思います。

ここで初めて、人間には感情という得体のしれない野生動物をみんな心の中に飼っており、この野生動物の取り扱いは、どうやら、知性の総集大成をもってしても、まったく太刀打ちが出来ないのだということを、この哲学者レベルに至って初めて、知ることができたのです。

そういった意味では、知性、知性、知性の知性三位一体に到達しなければ、見えなかった気づけなかったことですからやはり、必要な過程だったのだと思います。