観光バス

A sightseeing bus.

サインの1度は、そのサインの全体のテーマを、ギュッと凝縮して、シンプルに、現してきます。

天秤座から、自分に世界に対して、相手、他者という存在が登場し始めました。

天秤座は風のサインであり、7の数字のエネルギーを持ち、牡羊座の自己に対して、二極性の性質を持ちますので、私とあなた。私と世界という、

二元性に初めて出会い、他者との関りの中で、互いの違いを発見し、理解していこうとするスキルを磨きます。

天秤座は、風のサインですから、それは知性によってなされ、ある意味、コミュニケーションによって成り立ちます。

沢山会話を交わし、コミュニケーションを交わし、互いの違いを理解し、認め合います。

そして、知性で関わるとは、その互いの違いを認めたうえで、「適切な距離をとる」ということでもあります。

私たちは、誰しもが、それぞれの個性を持っており、考え方も、感じ方も違います。この違う性質を持った者同士が、関わるとき、必ず、違いが生じますし、相違が起こります。

この時に、天秤座は、相手とのいい距離感を保つことで、良好な関係性を維持することが出来るのです。これは、天秤座的な知性であり、スキルなのです。

集団の中で絶妙な立ち位置をとるのが上手なのも、相手に自分の魅力を、適切にアピールできるのも、天秤座的な知性です。

天秤座的な関りは、そういった意味で、自由なのです。

違いを認め合ったうえで、適切な距離をとる。

意見が違ったら、にっこり笑って、少し距離を置く。

私たちは日常の人間関係で、始終、そうしたスキルを使っているのです。

こうした天秤座的世界観に対して、蠍座的な世界観とは、人間関係において、この天秤座的な、「違いを認め合ったうえで、適切な距離をとる」というスキルが適応されません。

互いの意見の相違や、見解の違い、生き方の哲学の違い、決定的なこうした違いがあったとしても、適切な距離をとるという選択肢がない場合、

私たちは、その関係性に閉じ込められ、その閉鎖した関係性の中で、

圧力鍋で煮られるような関係性の化学反応を体験し、深い感情を体験していくことになるのです。

人間関係において、もうこれ以上、関わると、自分の何かが壊れる、自分の輪郭が崩壊してしまう、そんな風に感じるくらい、誰かと深い関りをし、感情を体験することが、人生において、誰しもあると思います。

これ以上、関わると、自分が死ぬかもしれない、というほどの狂気の関係性を、体験し尽くすのが、蠍座的な世界観です。

天秤座的な関係性とは、ある意味、平等であり、自由があります。

私たちの人間関係とは、確かにそうあるべきだし、それが理想なのですが、

そのようにいかないことがほとんどなのではないでしょうか。

互いを認め合ったうえで、違いの部分においては、適切な距離をとる。

これが、万事の関係性において、できるのであれば、人間関係の悩みや、

事件など起きないわけです。

私たちは、蠍座的な、逃れたくても逃れられないような関係性を経験し、

他者と深く関わることで、自分自身の本質を発見していくのだと思います。

天秤座的関係性が、自由と平等の関係性だとしたら、蠍座的関係性は、

支配と隷属であり、依存と執着であり、愛憎であり、情愛であり、恨みであり、怨念であり、激高であり、永遠の絶望すらも経験する、感情による殺し合いの世界なのです。

だからこそ、天秤座的な、自由で平等な関係性からでは、到底、経験することのできない、深い愛と情念の世界を体験するのもまた、蠍座なのです。

蠍座1度は、観光バス、というキーワードになっています。

観光バスという、狭く、密閉された、空間に、知らない者同士が集い、共に旅をするのです。

観光バスに乗るメンバーは、生まれも育ちも、生き方も考え方も、性格も、何もかもが違う、互いのことを何も知らない者同士の集まりです。

何日も、狭いバスの中で共に過ごすのですから、相手の性格や、いやな習慣などもよく見えることと思います。

でも、楽しい旅を続けるために、互いに譲り合い、協力し合い、

相手のことを、知る努力をしながら、旅を続けるわけです。

観光バスは、いったん乗ってしまったら、旅が終わるまでは降りることはできません。トイレに行くのもご飯を食べるのも、集団のタイミングに合わせなくてはなりません。

相手と性格が合わないからとか、憎たらしいからといって、途中でバスを降りることはできないわけです。

旅を遂行するためには、相手とどれだけ、性格が違おうが、合わせていくしかないのです。

しかし、こうして不自由さを我慢して、相手に合わせて、歩み寄って、続ける、旅は、共に同じものを見て感動する喜び、同じ体験を共有して得る、喜びを体験することが出来ます。

一人旅では、到底体験することが出来ない、共同でする感動体験というものがそこには、あるのだと思います。

自由さには力はないが、不自由さから出るパワーというものがあるのだと思います。

そして、この不自由さを耐えて、共に過ごし、深く関わることが出来た相手や仲間とは、その後、一生の友人になったりもするものなのだと思います。

私たちは、何かや誰かと深く関わることで、大きく深く感情を動かされる体験をします。

そして、この感情が深く動く体験をしたとき、私たちは変化することできる。

変容のきっかけとは、深い感情に在るのだと思います。

変化するには、行動の継続が必要であり、行動を継続するためには、強い意志が必要ですが、この強い意志を呼び覚ますものが、まぎれもなく、深い感情体験なのです。

誰かと深く関わり、深い感情体験を経験した人ほど、この強い意志を持つに至るのです。