割れた瓶とこぼれた香水瓶

A broken bottle and spilled perfume.

サビアンにおける2度で表現されることとは、1度で、示されたそのサインの凝縮されたテーマが現れたことに対して、2は1に対する鏡の関係であり、1に対するリアクションとなります。

2があって初めて、1が存在する。

1と2は陰陽関係なのです。

1で表出されたエネルギーを2が受け取ることで、世界観が出来上がります。

蠍座1度は観光バスという度数で、知らない同士の人たちが同じバスに乗り合わせ、狭い空間に何日も閉じ込められて共に旅を続けます。

そのことで起こってくる心の変化の化学反応、この深い感情体験こそが、蠍座の主たるテーマなのです。

天秤座的人間関係のテーマは、自由と平等ですから、互いの違いを認め合い、そのうえで、違いを受け入れるために、適切な距離をとる、

互いのテリトリーを侵さない関わり方をしていくスキルなのです。

互いに性格の違いや、意見の相違があるときに、あなたはこう考えるんだね、と認めたうえで、私はこう考えるよ、としたうえで、ならば適切な距離をとることで、認め合える、共存できるのです。

でも、観光バスのような密閉された空間の中で、同じように相違が起こった場合はどうでしょうか。

この環境下では、「距離をとる」ということはできないのです。

蠍座的世界観では、互いの境界を侵さないという選択肢をとることはできないのです。

どうしたって、このバスに乗って共に旅を続けなければいけないのだから、

とことんまで、互いの意見をぶつけ合って、腹を割って話し合い、お互いを理解し、歩み寄るしかないのです。

こうして、長い時間共に、旅を続ける中で、感動を共有したり、喜びを共に味わうことが出来る、そして、生涯の友になることができたりもする。

でも、蠍座の世界観はハッピーエンドで終わるとは限らない。

こうして、共に、喜びや、感動を共有し合った愛すべき仲間であったとしても、例えば、バスが遭難してしまったり、ハイジャックにあったり、

究極的な事態に陥ることだってある。

皆で食べた食事で、みんなが食中毒になり、死にかけるかもしれない、

また、バスの中で、誰かと誰かが恋に落ちたり、三角関係になったり、四角関係になることだってあるかもしれない。

こうした綺麗ごとでない、究極的な事態になったとき、私たちは獣の本能が現れるものです。

あれだけ、感動を共有して分かり合えたはずの仲間であっても、

バスが遭難して、食べ物が無くなれば、殺し合ったり、抜け駆けしたり、共食いしたりするかもしれない。

よその奥さんと、うちの旦那が、もしかしたらいい仲になってしまうこともあるかもしれない。

感動と喜びだけ共有して、綺麗なまま、フィナーレ、とは必ずしもいかないかもしれないのもまた、蠍座的世界観なのです。

天秤座的世界観で示されたような、ジェントルで、平和的な協定など、ここでは通用しないのです。

それは、蠍座的世界観では全く使えないセオリーであり、箸にも棒にもかからない、役立たたないものなのかもしれません。

蠍座的世界観では、そんな平和的協定や、紳士的な態度などは、ぶっちぎって、相手の中へ、互いの中へと侵入し合い、侵し合います。

腹割って話すどころか、相手と理解し合えなければ、胸ぐら掴んででも、どんな手段をとってでも、分からせる、そういう感情の狂気が爆裂するのです。

人と人とが深く関わるってそういうことですよね。

綺麗事じゃない。

私たちは誰しもそんな激しい感情を持っている。

でも、それを誰にでも見せるわけではないということです。

100人の人と関りがあるとしたら、そのうち98人に対しては、天秤座的な紳士的平和的な、関わり方を誰しも、しているはずです。

でも、あなたが本当に愛する人、本当に近しい人、夢中になっている人に、

本当にその平和的対応を同じようにできるものでしょうか。

天秤座的世界観は、風のエネルギーですから、そこに、怒号のごとく炸裂するような、感情のパワーはありません。

あくまで、風的知性と、冷静さを保って有効に、関わるのが天秤座的人間原関係です。

しかし、元来、人間関係とは、感情のぶつけ合いであり、ぶちのめし合いです。

感情エネルギーは、一応、目に見えず、手にも触れられないものですが、完全なる非物質形ではありません。

それは、物質と非物質の中間ぐらいの半物質であり、とても分かりやすいものです。

私たちは、このリアルな感情というものをぶつけ合うことで、

深い人間関係を体験しているのです。

蠍座2度は、割れた香水瓶というキーワードになっています。

香水瓶という、自分の殻をぶち破って、中身を全部、洗いざらい、さらけ出して、自分の臭気を、相手にさらしている状態です。

香水は、瓶の中に入っていて飾られている状態のときは、美しくて、

個性的で、凛とした芸術作品です。

私たちは一人一人こんな風に個性を持っていて、美しくて、そして、

中身はどんな匂いかな、お花の香りかな、レモンの香かな、

きっとこんな香りなんだろうなぁって周りの想像力を掻き立てます。

これは、まさに天秤座的世界観であり、天秤座の1度で示されたような、

針に突き通された蝶が、周りに対して、外観の輪郭を表現し、私はこんな形をした存在です、と、周りに知らしめることで、ある種、自分を固定化する過程から天秤座は始まりましたね。

それはある意味、自分という存在が、相手の価値観によって決められることを、許すということであり、それは深いところで、相手に対して、

殻を割った、中身の部分は見せないよ、ということでもあり、

自分というものに対する判断を、相手に任せる諦めから始まる世界観でもあるのです。

蠍座2度のこの、香水瓶は、天秤座1度の釘付けにされた蝶と、どこか似ているのです。

しかし、この度数では、香水瓶が割れて、中身がぶちまけられ、

私はこんな人間だー!!!と、全力で叫んでいるように感じます。

香水瓶が、単体でそこに置かれていた段階では、ただ美しく、害がなく、

周りの人たちに、中身の香りを、それぞれが想像することを許していました。

でもぶちまけられた香水は、途端に、すさまじい臭気が立ち上り、

もしかしたら、う●この匂いをぶちまけるかもしれないし、

激しい獣臭を放つかもしれない。

お花の匂いかな、レモンの匂いかなと、自分勝手な空想をしていた人たちは強烈に度肝を抜かれることになるかもしれない。

また、人によっては、この香り、大好きだーもう、離れられない!と

思う人もいれば、なんて臭い香りなんだ、こんな匂いは大嫌いだ!と

感じる人だっているかもしれない。

でも、それでも、自分をさらけ出す。自分のすべてをぶちまけてでも、

相手と、深く関わろうとする覚悟がここでは見て取れるのです。

美しくていい匂いがしそうで、周りに対して何の害もない、相手の空想に自分の価値を任せている状態は、アイドルの状態であり、まさに天秤座的なのです。

アイドルは、トイレにもいかないし、暴言も吐かないし、メンヘラになることもない。と、相手がどんな空想をしようが自由なのです。

でも、この蠍座2度の度数では、自分の汚いところも、本音も、全て、ぶちまけてさらけ出す。

もしかしたら、その香りは、誰とも違って、周りの想像をはるかに超えた個性的な素晴らしい香りを放つかもしれない。

でも、いずれにしても、個性は強いのだ。

しかし、私たちはこの誰とも違う、個性をぶちまけて、全部さらけ出した時にしか、誰かとの深い関係を築くことはできないし、

深い感情体験も、愛の体験もすることはないのだろう。