自分自身の子供の父である女

A woman the father of her own child.

サビアンにおける17の度数は、一つ前の16度で、反対側のサインの陰陽の向こう側の、ま反対の性質のエネルギーが流入してきて、

それまで、一直線に推し進めてきた、サイン前半の物語が、

16度で、いったん大きく、挫折するような経験を味わいます。

全ての価値基準が崩壊して、位置から組みなおすような場面が訪れるのが16度なのです。

タロットカードでは、16番は、塔のカードになっていますが、

15度の悪魔のカードまでで、推進してきた、フォースの力で推し進めてきた世界観が、一挙に崩壊している場面です。

これは、自我の塔の崩壊であり、自らが全てを采配し、コントロールできるという幻想の世界の崩落でもあります。

こうして、16番の塔のカードですべてが崩壊した後、更地になって、

外側へエネルギーの供給源を求める在り方から、内側へと意識が向いていく。

全てのエネルギー源は自らの内側にあり、全ては内側から導かれ、回答を得られることも、この度数から、心の世界へそして、魂の世界への旅路が実際的に始まる場面なのです。

タロットカードの物語は単に、カードの絵柄や意味を覚えることではありません。

カードはすべて、つながりのある壮大な魂の成長ストーリーとなっており、このストーリーを深く理解し、人生に生かしていくことで、タロットを

使うことが出来るようになります。

サビアンにおける17度は、タロットでいうと、星のカードがイメージとしてあります。

星のカードは、裸の女性が星空の下で、川へ水をたゆたゆと流し続けている場面が描かれています。

裸の女性は、自らの女性性、内面性、そして、まっさらな心の世界を示しています。

星空は、スピリチュアルな意識、霊性、物質性を超えた意識へと入っていっている場面です。

そして、水が出てくるとき、それは、潜在意識や、心を表します。

17番の星のカードは、外側へ向いていたそれまでの意識が自らの内側へと入り、スピリチュアルな意識へと開いていっている物語なのです。

サビアンにおける17度も、16で大きく、価値体系が崩壊し、この度数では、深く、微細なスピリチュアルな意識へと入っていきます。

17は土台に8がありますから、自然数の8は、物質性の完成形、そして物質がエーテルへと、存在形態を変えていく場面でもあります。

2を土台においた8である17は、こうした8の物質性の極まった世界観に拮抗するエネルギーですから、手に触れられない、目に見えない、星の世界、アストラル世界、スピリチュアルな意識についての数字なのです。

蠍座17度では、自分の子供の父になる女、という度数です。

子供、父(男性性)、女(女性性)が出てきています。

ここでは、自分の子供(創造物)を、自分で生み出す、男性性のエネルギーと女性性のエネルギーについて、言及しているのではないかと思います。

蠍座15度までの世界観では、エネルギー源は、相手であり、集団であり、この俗社会でした。

集団や相手を巧妙に操作することで、力(フォース)を受け取り、それを活用する方法についての学びでした。

しかし、16度以降の蠍座では、集団を操作することで得る有限の力は、

限りがあり、それを受け取り続けるためには、常に策略を練り、

競争に勝ち続け、相手より優位に立たなければいけないことに、疲れ果てます。

こうして16度では、少女がただ、花が咲くように笑うだけで、

その笑顔にはどんな巧妙な策略も、手練手管も、勝ることはできないことを知って愕然とする場面が描かれていたと思います。

17度では、こうして、力のエネルギー源を外側に求めるのではなく、

自らがもともと生まれもって持っている、男性性と女性性をバランスよく

活用することで、無限に創造(子供に象徴される)することが出来るということを知るのです。

また、ここでは、倍音の牡牛座が流入してきていますから、

自らの肉体や五感がもともと携えている陰陽(男性性と女性性)の性質には、全てを生み出す(創造性)力がもともと備わっているということに気づくのだと思います。