鴨に向かって進み出るハンター

Hunters staring out for ducks.

サビアンにおける22度は、5度区分ずつにおける、第5グループの、2番目の度数です。

サビアンの第5グループは、第4グループで高次の意識に開き、宇宙意識へと目覚めたことで、物事の本質、真実が分かるようになってしまったため、俗社会の、皆が無意識に迎合している、おかしすぎる決まり事や、しきたりに、我慢ならなくなっている状態が描かれています。

おかしなものに、いちいち迎合して生きていたら、キリがないし、

とても効率が悪いのです。

エネルギーの無駄漏れが多く、どーでもいいことに、労力を注がなければならない。これほど、非効率なことはないからです。

だから、21度では、意味ないこと全部やーめた!といって職務を放棄したのでした。

でも、このやり方だと、やはり軋轢を生むのですよね。

大きな権力に逆らったり、長いものに巻かれないで真正面から、反抗して生きる生き方というのは、それはそれで、疲れるものです。

眠ったままの言うことを聞く羊たちの群れの中で、一匹だけ、反抗して、檻をぶち破って飛び越えていこうとする羊がいれば、それは、目立ちすぎてしまって、殺されかねません。

なので、21度で、派手に反発して、痛い目を食らった蠍座は、

22度では、自分の中の怒りを、うまく散らす方法を獲得していこうとします。

絶対に従わないけれども従っているように見せかけて生きる。

結局、高次の意識に目覚めた人が、うまくこの世を渡っていくには、こうした処世術を身に着ける必要があります。

しかし、自分の中にある、怒りや、荒ぶる気持ちを、うまく発散させるために、狂気(ゲーム的な)ツールを、いくつか取り揃えていつでもそれを使える状態にしておこうということなのかもしれません。

狂気は、無意識であれば、自分を食らいに来る、怒号の闇となる。

狂気は、自分ではないと、押し込めれば押し込めるほど、暴れて、自らを飲み込みに来る。

狂気は、認識してそれと、仲良くして、それを愛して、人生のエッセンスとして、楽しむ必要がある。

狂気に無意識でそれに飲み込まれれば、それは、自分をも他人をも傷つけるものになるが、狂気を認識し、まっすぐに対峙し、それと仲良くすれば、

自分自身の創造性の種になる。

なんでもいいんですよね。

狂気と遊ぶツールは。

ダンスでもいいし、スポーツでもいい、芸術でもいいし、歌でもいい。

自分の狂気を満たしてくれるものを、人生に取り揃えている人は、

それだけで、秀でる。強いのだ。