日よけ帽を被っている子供たち
Tiny children in sunbonnets.
サビアンにおける18度は、そのサインの16度から始まった、後半の統合的成熟ストーリーに向けて、16度で二極の性質が流入して、大きな崩壊を経験し、17度では、崩壊を経験した後に来る、自分を頑ななところに閉じ込めていた価値観が、再構築されるべく、とてもスピリチュアルで柔軟な意識レベルへと到達していきます。
17度は、そのサインにおいての、新たな側面が見えてくることで、
大きく世界が広がり、意識が飛躍的に高次へと達していきます。
射手座17度では、復活祭の日の出の礼拝という度数になっていて、
まさにキリストが蘇り、春の訪れのごとく、その帰還を祝っている場面が描かれています。
専門的になりすぎて、精神の高みへ到達したことで、俗世から離れ、
世捨て人になっていた人が、また、やっぱり、この社会で自分を役立たせたい、と再誕してくる場面でした。
射手座は柔軟宮の火のサインですから、火の性質では、自分を極めたいし、魂と接触して生きたい。でも柔軟宮は、周りと関わりたい、周りからの影響を受けたい、んですね。
だから、射手座では、自分の魂の意図とか、自分の専門スキルとかを単なる自己満足で終わらせないで、世の中に役立てていこうとすることを諦めないのです。
そして、その活動の一助となるのが反対側の、双子座のエネルギーになる、というわけです。
射手座単体の世界だと、自分の専門スキルとか、自分の高次から受け取ってるガイダンス以外、興味ないんですね。
自分に全集中できる人ですから、他からどう思われるかとか、流行がどうとか、全然関係ないの。
でも、それだと、それこそほんとに山籠もりの仙人が如し。
孤高に一人で生きていくことになってしまいます。
だから、16度以降、双子座が流入したことで、「世間一般的な感覚」も
取り入れていく。
例えば、射手座的センスだけで生きていたときには、専門スキルさえ極めていたら、見栄えとか、分かりやすさとかはどうでもいい、とか
考えるのですが、双子座的センスが入ってきたことで、
自分の専門知識を、もっとたくさんの人に知ってもらうために、
分かりやすい解説を心がけようとか、動画にテロップを入れたほうが見やすいんじゃないかとか、身なりや服装も、整えて、見てくれる人に失礼のないようにしようとか、流行のメイクも取り入れてみようとか、
こういったことが、双子座的なセンスになるわけです。
だから、道(射手座)か術(双子座)か。ではなく、道と術が両方バランスよく合わさったときに、真にその人の魂の仕事や、専門スキルが、社会に役立てるものになる、ということなのです。
射手座18度では、日よけ帽を被っている子供たち、という度数になっています。
この度数では、射手座的人物が、復活祭で、再誕し、俗世に舞い戻って、双子座的センスを手に入れて、社会に対して自分の仕事で、役に立ち、たくさんの人に働きかけ、啓蒙し、賛同者が沢山、出てきたときに、羽目を外しすぎちゃって、やりすぎないように、とか、
俗世に再誕出来たことが嬉しくて、周りの役に立てることが嬉しくて、
あれもこれもあれもこれも、やりすぎちゃう危険から身を守っています。
射手座的人物像は役に立ちたい一心で、いろいろやってしまうのですが、世の中にはいろんな人がいるし、そもそもついこの間までは、
船の外からカモメとして、中を偵察していたくらい、この環境の危うさとか、狭い世界観の窮屈さとか知っているはずなのですから、
一気にそこに馴染みすぎて、ミイラ取りがミイラになっててもしょうがない、ということなのです。
また、射手座的精神性を手に入れた高い専門スキルを持った人が、
双子座的な術も手に入れて、啓蒙活動や、ビジネスをやり始めちゃったら、その世界観に、傾倒しすぎて、地に足がつかなくなっちゃう人もいて、ちょっと危険なくらいなので、そうした人たちに対しても、
刺激を少し、抑える意味でも、日よけ帽をかぶせていくのでしょう。
子供たちに日焼け帽をかぶせているのですから、まだ生徒の人たち、学んでいる最中の人たちが、危険なく、刺激強すぎず、安全に学びを深めていけるように、安全装置として帽子を被せるのです。
日除け帽で、除ける太陽の光は、高次からのエネルギーやガイダンスなどであり、頭にかぶる帽子は、その高次エネルギーの流入を、少し穏やかにするのでしょう。