中国の洗濯物

A Chinese laundry.

サビアンにおける22度の度数は、21度で、そのサインの、高みのステージへと、挑戦していくために、大きく跳躍するのですが、

21度が、超能動的な男性性の性質だとしたら、22度は、新しいステージの着地点。

21度で、行動したことに対する、22度は、女性性の受け身の性質ですが、21度で、活発に行動し、押せ押せの能動性で獲得するものを、

新しいステージにのし上がった後の22度は、黙っていても、

動かずとも、引き寄せることが出来る力を持っています。

21度では、借りてきた眼鏡をかけている子供と犬、という度数で、

まだ自分に時期早尚と思われるような無理目な挑戦でも、

あえて、今までの経験値を土台にして、リスクも承知で、それでも

勢いよく挑戦していく過程がありました。

例えば、それなりの経験値やスキルは持っているけれども、

この挑戦は自分にはまだ、少し早いことは分かっている、それでも、

更に新しい境地を見ることでしか分からないことがある、

体験し、走りながらでないとできないことがある、

経験値は少なくても、勢いと、今までのスキルで補える計算がある、

そして、そこに挑戦していかなければ、自分の理想を叶えて

いくことはできないし、真の意味で役に立つこともできないことを

知っているから、だから、あえて、無理目な挑戦に打って出たのです。

こうして、新しいステージへと、跳躍した射手座の人は、

今度は22度で、その新しいステージの地に立ち、自らの資質に

立ち返る経験をしています。

射手座22度は、チャイニーズランドリーとなっていて、

その昔、アメリカには中国からの移民が沢山いたそうですが、

彼らは当時、移民という立場から、差別があったり、言語の壁があったり、仕事もろくにつけなかったりといった逆境の中、

自分でもできることで、稼ぎ、生きていくしかなかったので、

身一つで出来る手仕事で、商売をして生計を立てる人が多かったそうです。

その中でも、手作業で洗濯を請け負う、洗濯屋を、する中国人が

多かったのだそうです。

大規模な工場や、機械もいらない、ただ、洗濯ものを頼まれて

手で洗って、それで、日銭を得る。

そうやって生きていた人が沢山いたのだそうです。

射手座21度では、専門スキルを持ち、社会から要請されるニーズに応えることが出来るようになり、そして、役に立つことが出来る人になってきたことを土台に、更なる高みへとジャンプした過程がありました。

例えば、氷を作る仕事をしていた職人さんが、21度では、大規模な工場を作り、もっとたくさんの人に氷を届けようとか、

山の中で、学校に行かない選択をした子供とその親で作った小さな学校を、オンライン展開して世界中に広げてみようとか、

何かそういう、更なる高みと、更に役に立てる仕事をするために、

挑戦していかなければならないのです。

小さくまとまって、身内だけで世界を構築していれば、ストレスも怖いこともそうないし、身軽だし、楽かもしれない。

でもそれでは役に立てるレベルは、ほんの小さな範囲にとどまってしまう。

射手座の世界観が統合されて目指すものとは、高度な専門知識や、スキル、意識レベルをもって、この社会の役に立つこと、役に立つ人になること、貢献できる人になること、なのですから、

小さくまとまって、リスクもないところで、終わっていてはいけないのです。

だから、21度では無理目な挑戦をした。

そして、新しい境地を見ることが出来た、その先が、

例えば、移民した中国人が足を踏み入れた20世紀のアメリカだったとしましょう。

命がけで、移民をしてきた彼らは、英雄かもしれない、生きるために、

ものすごい挑戦をした人たちです。

でも、ようやく辿り着いた新境地では、またもや一から、生きていくために、なんでもしないとならない。

でも彼らはここまで生き延びてきた、命がけの挑戦をしてきた人たちですから、自分たちが、いつでも、稼ぎ出せること、ゼロからイチを生み出せることを疑いもなく知っているのです。

この度数では、21度で無理目な挑戦をした後に、

その辿り着いた新境地で、自分の裸一貫で持っている資質だけでも、

生きていけること、貢献できることを知っていて、改めて

自分自身が持っているものや、経験してきたことに立ち返っている

場面なのだと思います。

無理をして、背伸びをしなくても、心身にストレスがかかりすぎて、

体調を崩したりするほど頑張りすぎなくても、もう十分、役に立てる自分がいる、命がけでやってきたことがある、肩の力を抜いても、

出来ること、求められることがあって、それで生きていける。

自分はいつだって、外側に装飾や武器を持たなくても、裸一貫で、

この手一つで、人の役に立ち、稼ぎ出すことが出来る自信が出来た。

そういう、すっきりとした肩の力の抜けた、いい意味での自信が、

ここでは出来上がっているのではないでしょうか。

無理な跳躍をしたからこそ、命がけの挑戦を経て来たからこそ、

辿り着いた境地、自信、揺るがない安定感、そういうものを

この度数では、物語っているのではないでしょうか。