三つのステンドグラスの窓、一つは爆撃で損傷している
Three staind-glass windows, one damaged by bombardment.
サビアンにおける2度の度数は、1度で、そのサインのこれから始まる、壮大な物語の、凝縮されたエッセンスが表現されたわけですが、1度で放たれた、そのサインの世界への主張、凝縮された物語に対して、2度では、
1度に対する、反応が起こってきます。
通常、1は、男性性のエネルギーですから陽のエネルギーになり、
2は、女性性のエネルギーですから、陰を担当しています。
しかし、山羊座1度は、太陽が黄経270度に入る日で冬至の日を指します。
ここで、日の長さは、1年で一番短くなり、陰のエネルギーが最も極まる日となります。
ですから、1度の度数が陰が極まった日で、2度の度数は、冬至の次の日になりますから、陽に転じた1日目ということになります。
山羊座の場合は、こうしたことが起こるわけです。
1度で、この世界に対して、最も、現実的な覚悟を放った部族の酋長が描かれていましたが、
2度では、陽の気が増してきて、世界に対して、もっと楽観的なエネルギーであったり、さらに強い勢力が生まれてきたこともイメージができます。
1度で、部族の酋長が、俺がリーダーだ!と、声高々に叫んだわけですが、
いやいや、お前がリーダーだなんて認めない、俺の方が優れている、と
言い出した輩が出てきたのかもしれないし、
もしくは、1度でリーダーが放った、現実的すぎる、シビアなメッセージに対して、そんなにキツキツに縛られたんではたまったもんじゃない、と
反対する勢力が現れたのかもしれない。
ここでは、三つのステンドグラスの窓の一つが爆破されているわけですが、
1度で、放たれた、完璧だと思えた山羊座の世界、
その主張は、まだまだ、世界の全体像を見ることはできていなかったと
ばかりに、すぐに、反撃にあったり、不具合が起こってきたりしているのかもしれません。
そもそも、山羊座1度に入る一つ前の度数は、射手座30度では、法王だったわけですから、宗教の司祭がいきなり、国を納める国王になるとか、
もしくは、ビジネスをして会社経営をする社長になるとか、そんな移行が
起こったわけですから、
そりゃ、そうですよね。
自分で完璧だと思って放った主張や、戦略が、まだまだ、甘くて、
理想論で、精神論で、机上の空論だったことがすぐに露呈したのかもしれません。
しかし、山羊座1度では、そうしたことがすぐに起こってくることも想定した上で、これから何が起こっても、引き受けていく覚悟も決めていた場面だったのではないでしょうか。
この社会の中で、責任を担い、ビジネスをしていくこと、仕事をしていくこと、何かを成し遂げていくということは、いくら想定しても、リスクヘッジを万全に行っても、それでも思いもよらないことが起こってくるものです。
だから、それも想定内におきながら、起こったらその都度、対処していく、
走りながら、戦っていく、そういう在り方が、必要になってくるのかもしれません。
三という数字は、三位一体、であったり、創造性の原理ですから、
三つで一つ、完全になる世界観です。
しかし、それは、精神性であったり、理想論として、周囲にはうつる場合もあり、なかなか理解されづらいものであったりもするのだと思います。
山羊座の世界は、
この社会そのもの、現実の現場で、戦っていく場面ですから、
自分の中での完璧を何度でも打ち砕かれる経験をするのでしょう。
そして、いろいろな現実と対峙しながら、さらなる強固なものを作り上げていく、そういったストーリーがここから始まっていくのです。