粋なシルクハットにマフラーを巻いた男
A man muffled, with a rakish silk hat.

15度は、そのサインの性質がここで、頂点を迎えるというお話をしてきました。 3グループに入った時から、そのサインの性質が直線的に活性化され、まっすぐに山を登るように、サインの性質を極めていく流れが始まりました。
そして、15度で、マックス。となるのです。 そのサインの性質に偏り切る。ということも出来ます。
牡牛座15度で描かれた、粋な男は、この社会の中で、欲望の世界やビジネスの世界を、泳いできた、そして、洗練された責任ある大人の姿として描かれています。
一つまでの14度で、自らの分をわきまえ、自分がどのくらいできるのか、ここから先は、危険やリスクを伴うのか、という見極めもできるようになりました。
私たちはとかく、欲望に翻弄されているときは、お金や物欲に目がくらんで冷静な判断が出来なくなったりするものです。
普段、賢く冷静な人が、ちょっとのお金の匂いに狂って、判断を誤ってしまう、などといったこともあるのだと思います。
こうしたことは、訓練でもあるのだと感じます。自分自身の欲望をどこか客観的に眺める視点、というのは、そうした挑戦的な世界に身を投じ、何度も失敗したり、痛い目を見て、初めて、自分自身の欲望について客観的に、見る視点を持つことが出来るのだと思います。
羊、ライオン、天使の、解脱の構成がありますが、受け身の羊、タマスの状態においては、そもそも欲望は潜在的にたゆたゆとあるものの、それを自分自身で認識するということは出来ません。完全に自分の欲望に対して無意識だからです。 そして、リスクを冒すということもしないので、大きな失敗をする、ということもないのだと思います。
獅子として起き上がり、自分の欲望に忠実になって、野心的に人生を生き始めた時に、私たちは戦わねばならないし、リスクを冒してでも、欲しいものを掴み取ろうとするのです。だからこそ、失敗もするし、痛い経験もたくさんする。 そうした痛みを繰り返すことで、自分自身の欲望が引き起こした事態について、改めて意識的に対峙することが出来るようになるのだと思います。
牡牛座15度の粋な男は、そうした痛みと失敗を何度も繰り返してきた男なのだと思います。野心的になって、欲望に忠実に戦ってきて、負けたり、欲望に翻弄されて失敗したり、たくさんしてきて、自分の分を知り、これ以上のリスクは危険だ、という見極めもできるようになったのです。
獅子として生きるということは、リスクを伴うものなのです。失敗する可能性もあるのです。それでも己の野望に正直に、生きたいように生きるのか、戦う覚悟があるのか。リスクや痛みも踏まえた上で、重々、それを知った上でそれでも、 野心的に生きる覚悟が、この男を、洗練された大人の人物像として描いているのだと思います。
シルクハットと、マフラーは、防寒だけが目的であれば、なきゃ無いでも良いものです。これらは、洗練されたお洒落であり、物質的に豊かな者が身に着ける品物です。この男は、物質的な豊さに対して正直に、それを忠実に求めたのです。
それを得るために痛みも伴うかもしれないことを、重々に知っていて、それをも 引き受けた人間だけが、享受できる世界感です。
牡牛座のエネルギーがマックスになる15度では、欲望と、物質的所有を決して悪とはしていません。そのことから学べる人間的成長について、奥深く示唆しているのだと思います。