モダン・ポカホンタス
A modern pocahontas.
28の数字は、土台に4を置いた1のエネルギーを持ちます。
この度数で、10となり、これまでの蟹座のストーリーが完結し、
また28は1でもありますから、ここから第4グループの始まりにもなります。
4というのは秩序化、普遍化、固定化、といった意味合いが出てきます。
また28は、4の倍数でもあり、7が4つという数字でもあります。
これは、月の満ち欠けや土星の周期にも通じるところがあり、4という物質界の法則に7が加わることで、別の次元へと媒介する月や土星のエネルギーに近しいものを感じさせる数字です。
月のサイクルは28日で、私たちの感情のサイクルや女性の生理のサイクルも28日と言われます。4はこの地球の物質的法則なのに対して7は、それらを統合して、宇宙との媒介をするような数字のサイクルなのではないかと思います。
ですから、サビアンにおいて28度は、4の土台は、ここにきてそのサインの性質が、しっかりと出来上がる印象。秩序やルールがきっちりと定まった、完結した印象があるのと同時に、秩序が完全に出来上がったものは、すでにそれ以上模索する必要はなく、ここからまた新たな物語を始めていく、スタートの様相も持ちます。
サビアンにおける28度はそうした意味で、次のサインの波動を、しっかりと感じ始めて、今のサインと、対峙し始めている印象で描かれているのだと思います。
蟹座の28度は、ポカホンタスの物語です。
ポカホンタスは、ネイティブ・アメリカンの娘で、ディズニーなどの映画にもなっていますね。
この女性は、1595年~1617年頃に生きた人とされていて、本名は、マトアカ。
ポカホンタス、という名前は、彼女のお転婆さや、天真爛漫さ、甘えん坊な親しみやすさなどから、つけられた名前のようです。
当時のネイティブ・アメリカンの社会には、白人たちが流入してきており、
彼らの土着的な、共同体に、白人の新しい文化と侵略が、進んでいる背景にありました。
ポカホンタスの生まれた部族は、ポウハタン族で、ここの酋長の娘だったということです。当時、入植してきた白人を、命がけで助けたことで、部族の者たちの心を打ち、また白人たちからも信頼されるようになったといいます。
ポカホンタスは、ネイティブ・アメリカンの共同体の中で生まれ、生きてきた生い立ちを持ちながら、とても好奇心が旺盛で、新しい感覚を持った少女だったようです。
白人たちはそんな彼女を信頼し、英語を教え、通訳として、両者の和平に
貢献したそうです。
また、その後、白人のジョン・ロルフと結婚し、名前を、レベッカ・ロルフと改名した。
このように、ポカホンタスは、古い歴史を持つ、ネイティブ・アメリカンの娘でありながら、新しい白人たちの文化にも、興味津々で、受け入れていく柔軟さ、
また、正しいものは正しい、間違っていることは間違っていると、勇気をもって、
立ち向かう、そんな性格の娘だったようです。
そのことで、結局、ネイティブアメリカンの仲間たちからも、白人たちからも信頼され、当時、争いや殺戮の多かった、両者の関係を、新しいものへと変えていく為の、助力となっていた人のようです。
蟹座の世界観においては、一つ前の27度、渓谷の嵐で、それまで、運よく、たまたま大成功して、裕福になった彼らが、蟹座的には、大満足の全てを手に入れたはずが、蟹座の最後の度数に来て獅子座が流入してくると、
全てが、しっくりこなくなってくる過程がありました。
自分の個性が全く表現できない。
集団のルールや、共同体の常識に、完全に自分という個性を没して生きていかねばならない。
あれだけ、欲しくて、手に入れた蟹座的な幸せが、27度では、それを手に入れて見たら、なんとも色あせて見えてしまった、過程が描かれていました。
慣れ親しんだ仲間たちと、その集団のルールに沿うて生きてさえいれば、
何にも不足はないのかもしれません。
集団のルールというものは、そのルールにさえ沿っていれば、リスクを冒すこともなく、周りから攻められることもないのです。
しかし、28度で登場する、ポカホンタスのように、どうしても興味が止まらない。
新しいもの、知らないもの、自分の属する共同体には存在しなかった考え方や、
文化。そんなものに惹かれて、仕方がない。
そして、その惹かれてしまう、ワクワクする、想い、そのままに行動していくこと。
それはもしかしたら、共同体のルールとは、はずれてしまうのかもしれないし、
集団の秩序を乱すことかもしれない。
だって、それは、彼女自身の真実であり、属する集団のルールとは何の関係もないことだから。
でも、自分の感覚に沿って、その直感と、ワクワクのままに行動していくことで、
歴史をも動かしていくような、そんなことがあるのかもしれません。
ポカホンタスのような新しい感覚を持った人がいなければ、ネイティブ・アメリカンと、白人たちの殺し合いはまだまだ続いたのかもしれない。
ポカホンタスは、おそらく、決して、殺し合いの主導者やリーダーになるような人ではなかったのだと思います。
ただ、知らない文化に惹かれて、ワクワクして、仕方がない。
それに意味もなく、人間同士が殺しあうことは、普通におかしんじゃない?という
全く、無垢な純粋な感覚のままに行動した人なのではないかと思います。
だからこそ、両者の関係性の架け橋になることが出来た。
相手をぶちのめすために、戦いの主導者になったり、革命のリーダーになるようなタイプであれば、お互いの間に和平はなかったかもしれない。
でも、ポカホンタスは、どちらの味方、敵でもなく、ただ、自分の中にある真実を、そのままに生きて、創造を行った人なのではないかと思います。
日本にも、先住民族(アイヌ民族)と和人の殺し合いの歴史があります。
お互いの文化、お互いの共同体のルールや常識が、それぞれにあります。
そして、そこに属する人たちは、自分が属する共同体のルールに沿うていくことを、求められます。
でも、こうした時代の変わり目においては、ポカホンタスのような自分の真実をそのままに、勇気をもって生きることが出来る人が、必要なのかもしれません。
ですから、28度では、26度で、大成功した仲間たちが、今度は、自分の個性で、
自分の主張で、生きてみようとし始めている。
与えられた集団のルールは、自分を決して幸せにしないことに気が付いてしまったし、幸せの形とされるものを、一応手にしてみたけれど、そこに、
自分という個性の表現がなければ、何にも満足はないのだということに気が付いた、、獅子の意識が、芽生えてきたのだと思います。