大きな岩場
A massive rocky shone.
サビアンにおける5度は、そのサインの性質がここで大きく、その個性として、広がり拡散する世界観です。
そのサインの性質が強く押し出されることによって、反作用的なものにぶつかる。ということも起こるサインがいくつかあります。
蟹座5度は、列車に破壊された自動車で、集団意識に、個人の単体の意識で挑んだことで、大きな跳ね返りにあう、といったことが描かれている場面です。蟹座はこの体験を通して、その後、自分の巣を固め、強固にし、大切なものを守るために、感情を深いところに温めて熟成させるパワーを育てていくのです。
獅子座5度では、絶壁の端にある岩の塊、という度数です。
この度数では獅子座の、まっすぐで純粋な魂のハイパーテンションのままに、俗世に挑んだ結果、大きな壁にぶち当たるということが描かれている度数です。そのことで獅子座は、目に見えている世界ではなく、魂のもともとの住処である微細な世界に立ち返り真の創造性を思い出していこうとする物語がここから始まります。
そして、蠍座では、大きな岩場の海岸となっています。
海岸が出てきていますから、人の深層心理、潜在意識、感情世界について触れられていることが分かります。
大きな集団の意識かもしれないし、自分自身の超えられない無意識の壁かもしれない、とにかくそれは、心の世界にある、大きな岩であり、
動かぬもの、変え難い何か、にぶち当たっているのです。
蠍座では4度までに、深く愛する人と契りを交わし、盃を交わし合ったのでしたね。この命が尽きるまで、この身をすべて捧げて、あなたとともに、永久に生きる・・そういう深く強い愛で結ばれ、互いに身を預け合ったのが蠍座4度までの流れでした。
人は深い愛を知ると、超越的なパワーに出会っていくのだと思います。
しかし、それは、決して、平坦で、明るいばかりの道だとは限りません。
例えば、愛を交わし合い、共に生きることを誓った相手が、難病になることだってあるでしょう。
何か大きな事件に巻き込まれたり、世の中が大きく変化して、幸せな生活を壊してくることだってあるかもしれない。
会社がリストラされたり、家が火事になったり、することだってあるかもしれない。
人生は平坦なばかりではない、時に、まさか。が起こるものですよね。
どんなに強く愛を誓い合った相手とだって、その愛を試されるようなことが、大なり小なり、必ず、起こるものなのです。
その時に、私たちは、この愛を、全うできるのかを試されるのだと思います。
愛は綺麗ごとではない。
時空を超えて、この身が尽きても、身体がなくなっても、消えないもの、
最もリアルなものが愛でそんな真の愛に至ることが出来るのかを試される。
蠍座の愛の世界とは、情愛の世界ですから、相手に依存することも、
執着することも、固執したり、憎んだり、恨んだり、激高したり、共依存したり、暴力をふるったり、殺し合ったりすることも起こるのです。
でも、そんな壮絶な、情愛の世界から、人間は昇華したときに、真実の愛へと至るのだと思います。
それは、単に平坦な道のりだけで至れる境地ではない。
仏教の六道にもあるように、地獄道、飢餓道、畜生道、修羅道、人間道、天道、全てを知って至れる境地なのだと思います。
私たちは、こうして、誰かと深く愛し合い、盃を交わし合うような深い感情体験を経験することで、感情の回路を通して、強いアストラルエネルギーの回路が開いていくのではないかと思います。
蠍座5度では、こうして、人生において、大きな壁にぶち当たり、挫折経験をし、自分ではどうにもならない困難に出会っている場面なのだと思います。
しかし、その時に、深い感情体験をすることを通して、通常の意識では、至ることのできない、変性意識のような領域に入っていく、回路が開くのだと思います。
神智学では、アストラル以上の、高次のエネルギー領域を、活用することで創造を起こすと言われますが、アストラル体以遠と切り離されている、今日の私たちの意識状態ではなかなかそれが難しかったりします。
しかし、私たちは深い愛の体験をすることで、またその愛を全うしたいという純粋な感情の強いエネルギーが放たれたときに、本来持っている、
アストラル回路へとつながるのだと感じます。
よく、ゾーンに入る、という言い方がありますが、このような非常に深い集中状態、変性意識に入ったときに、私たちは普段の意識状態では成しえないことが出来たり、創造的なことを達成出来たりするわけです。
このゾーンに入る、というのは、強い感情の作用があって、
そういう状態に入るきっかけになるのだと思うのですが、
蠍座世界で、体験する、深い愛の体験がそこに繋がるきっかけになるように思います。
また、誰かとの愛の体験はもちろんそうですが、一人の個人単体でも、何か強い意志、感情を体験するようなことが起こったときに、ゾーンに入る。
そのきっかけとなりえるのが、この、5度で示されるような、大きな岩にぶち当たるような、体験なのかもしれません。