欲望の庭へ続く門
The gate to the garden of desire.


どのサインでも、21度と22度は拮抗関係にあり、23度で統合を得ます。 牡羊座21度のリングに上がる拳闘士の度数では、戦って欲しいものを勝ち取る、という非常に強い能動性の中にありました。 その21度の男性性的な在り方に対して、22度の欲望の門は女性性的な在り方です。欲望の門の門は、女性器を象徴するとも言われており、全てを受け入れる、包括する、受容する、そんなシンボルとして描かれているのだと思います。
21度では、欲しいものを、目標に掲げ、果敢に勝ち取る姿でしたが、 ここでは、望みは掲げるものの、そこに至るまでの道のりは宇宙にお任せ、といった様相も感じさせます。 21度では、欲しいものが明確で、一つの対象に意識が向けられているような感じがあるのに対して、22度では、大まかなビジョンというか、壮大なイメージを掲げて、あとは、全ての出来事に対して受け入れる準備と覚悟が出来ている、というような状態をイメージさせます。
時に私たちは、これが欲しい。と言った時、そこに至る道のりまで限定しようとしますし、宇宙が差し出してきたものが自分がイメージしたものとちょっとでも違うと、受け取り拒否をしたりしてしまいます。 しかし、それが本当はあなたにとって、最善なものだったとしても、限定的な欲望の範囲ではそのことに気が付けなかったりするのだと思います。
これに対して、欲しいものを掲げて、あとは宇宙が差し出すものを全て受け入れる準備と覚悟をもって、受容的な在り方で、それを待つ。22度はそんな状態ではないかと思います。 ですので、ある意味、21度よりも自分の欲しいものに対して非常に強い信念と忠実さを持っているようにも感じます。 待ちの受け身の姿勢で、それを引き寄せる。明確にイメージすればあくせくと戦って取りに行かなくても、必要なものが引き寄せられてくると知っているからです。
ですからここでは、もしかすると社会やメディアに投影されたステレオタイプ的に、現代人が欲しがるべし。と、押し付けられた、あれも欲しい、これも欲しいという状態ではないのかもしれません。
逆に言うと、無いことを、楽しむ。無い、足りないという焦燥感と渇望感から、戦おうという気力がここではあまり感じられません。 すでに有る。という認識が根底にあって、そのうえで、本当に欲しいものを望む。という姿勢なのかもしれません。
ですので、この度数では、持っている、有る、という認識で、今あるもので楽しむとか、持っている物で楽しめることを感謝するとか、そういうことが出来るのかもしれません。 そうした意味では、ある意味、あれもこれもと、ステレオタイプ的な欲望ではない、 真にほしいものに対しる意識が確立されており、本当に意味で欲深いとも言えるかもしれません。
意図して、欲しいものを引き寄せる。そのことを明確に知っているのでしょう。
ですから、逆に言えば、この度数では、皆が欲しがるようなものは一切欲しがらないのかもしれません。あれもこれもと、たいして欲しくないものまで欲しがって、そのことで意図の集中がぶれることを知っているからです。
最も欲深い在り方とは、自分が何を欲しいのかを明確に知っており、それを集中的にイメージし、意図することで、それを引き寄せる、宇宙が差し出すものを受け取る受容力を持つのでしょう。