テレパシーによる会話
A conversation by telepathy.

14の数字は、5の数字と拮抗しあっていて、陰陽関係にあります。 5の数字のエネルギーは、外側に個性や主張を放つ、自分という創造物を、 外側に向けて放っていくエネルギーとなります。


5とは、己の個性を周囲に向けて放つ、特徴を持ちますので、その放たれたエネルギーに反応する、周囲の存在を必要とするのです。 5の数字は、周囲の世界の中で、自分が中心に位置し、周りに影響を与えていくエネルギーとなります。


これに拮抗関係にある、14は、偶数で、5のエネルギーと陰陽関係にあります。 14は、5のエネルギーを持ちながらそのエネルギーが、自身の内側に振り向けられます。 ですから、自分で放ったモノを自分で受け取るという、自分の中での循環が起こっています。


自分が放ったものをいちいち周囲が賞賛してくれるか、拍手してくれるか、受け取ってくれるかということが条件づけられていませんので、エネルギーの無駄漏れがなく、自己受容的な在り方と言えます。


ですから、サビアンにおける14度の度数はそう言った意味で、第3グループで勢いよく、成長していくそのサインの性質を、ここで、精査し、無駄なエネルギーを削ぎ落し、最もそのサインらしい性質をとても静かに、厳かに完成させていこうとするような働きが起こっていると思います。


とてもそのサインらしいんだけど、どこか押しつけがましさが無いというか、双子座らしさを、日常でちゃんと使えるものに落とし込んでいくというか、そんな成熟さが感じられるのではないでしょうか。


双子座14度では、テレパシーによる会話という風になっています。 双子座のここまでの、知識と学習の積み重ねによる、専門性とか自身の個性を確立する世界観、そして、その卓越した専門的な技術によって放たれる個性的な表現と、卓越した言語表現や、コミュニケーションの世界などが、ここまでで 育ってきていたと思います。


そして、それが飽和状態に達して、13度では、音楽による演奏で、自分という個性を、周囲に向かって放った。言語ではいくら言っても伝わらなかったものが 音楽という形であれば、誰しもに伝えることが出来る。


専門家は、専門性が高まれば高まるほど、専門用語や専門的な言い回しが多くなり、大部分の人には自分の言葉は伝わらない、というジレンマを抱えるものだと思います。 コミュニケーションをしたくても、伝えたくても、伝わらないのです。 双子座の世界とは、自分の技術や専門性を確立することで、その個性を持って生きていこうとする、周囲とかかわりを持っていこうとするのだけど、 その専門性が極まりすぎてしまって、周囲とコミュニケーションが出来なくなるということもまた、学ぶのかもしれません。


そして、14度では対に、非言語的なコミュニケーションに出るのです。 13度でもすでに非言語的なコミュニケーションに出ていましたが、これは、自分が舞台の上で、多数の観客に向けて音楽を提供していた、という一方的なコミュニケーションでした。 専門家が言語を捨てて、大衆の感情とか五感に訴えかけることで、己の個性と技術を披露した、というような度数です。


に対して、14度は、一対一の対等な会話やコミュニケーションをイメージさせます。

そして、自身の専門用語を、連打しまくる一方向的なコミュニケーションを捨てて、相手と真に理解しあいたいと思ってるからこそ、生まれる非言語的コミュニケーションなのだと思います。


12度では、自分の知識や、専門性が確かなものであると、周囲に確証付けたいがために、喧嘩腰で、生意気な態度で挑みました。


そうした、挑戦的で、異端児的な在り方で挑むことで、自分の経験の少なさや 実は自信のないところを、若さとか、型破りな常識の無さで、カバーし覆い隠したのかもしれません。


こうした状況というのは裏を返せば、自分の個性にまだ自信がなくて、 強い口調で、相手に反論したり打ち負かしたりしなければ自分を確立できないレベルであるからなのかもしれません。


しかし、13度で、難しい言葉での表現を捨てて、自分の全経験を、誰にでも分かる音楽に乗せて見たら、たくさんの人に感動してもらうことができた。 喜んでもらうことが出来た。 専門用語は何一つ使わなかったけれども、たくさんの人の心に、届くことが出来た。 そんな真のコミュニケーションの喜びを知ったのかもしれません。


また、真の専門家とは、そういうものなのかもしれません。 専門用語や、自分の知識や経験の深さをひけらかしているようでは、まだまだ 匠の領域ではないのかもしれない。


こうして、14度では、相手と、真にコミュニケーションをとるためには、言葉の多さや、巧みさよりも、もっと大事なものがある、ということに気が付いて、 言葉はなくとも、相手と理解しあうために、あらゆる知性的なものや、言語的、左脳的なものを取り払っていく、という態度なのかもしれません。


私たちは日常においても、言葉を使ってコミュニケーションをしていますが、 かといって、その言葉だけで、コミュニケーションしているわけではないと思います。 例えば、相手の声の色や表情、言葉の間や、感覚、身振り手振りや、放っている空気感、あらゆるその他の情報を読み取って、コミュニケーションをしていると思います。


そういったものを感じ取る能力がコミュニケーション能力の高さではないでしょうか。 この度数では、真のコミュニケーション能力を手に入れていくための、 そうした言語を超えたところにあるものを読み取ることや、言語以外の所にある情報に、焦点が置かれ、その大切さを表現している度数なのではないでしょうか。