カフェテリア
A cafeteria.


20度は、5度区分の6つのグループの4番目のグループの最後の度数です。

この度数をもって、16度から流入してきた反対側のサインの性質による衝撃と挫折から始まった、成長の過程が、ここで一旦完了します。

20は、9で進むグループでは、第3グループの2に当たりますので、 内なる対話により、創造を行う、タロットカードでは審判の度数になります。 ですから、2では、環境に対して純粋に受動的であり、11では今度は環境に対して力強く逆流していく、そして、20では、環境に振り回されなくなる、という過程を辿ります。


サビアンにおける20度は、そうした意味合いを総称して、ここで一つ、反対側の作用を受け入れた上での成熟の過程が完成を見て、ここからその成熟した形でのそのサインらしさを生かして、精力的に活動を始めることになります。

双子座20度では、カフェテリア、となっており、ここでは、たくさんの人が集まり、 様々な会話が繰り広げられているのを感じることが出来ます。

双子座は、一つ前の度数までで、知の分野に対して、16度、17度では、ある知識に、強く心を揺さぶられ、影響を受けすぎる自分というものを体験し、 そして、18度では、そうした奥深い知的探求の世界に集中し、その言葉を理解することが出来る、共通言語を持つ相手とのみ、コミュニケーションをとり、狭い範囲で安心しました。


そして19度では、知の源流である、最も深い学びに触れ、射手座的な火の性質の魂の学習、知的探求に極みに到達したのでした。


知の探究を始めると、初期のころにおいては、おうおうにして、16度、17度のような、事柄が起こりがちです。 それまでの双子座的な健全な頭(単に知識を純粋に吸収し、ロジカルに考える学習)から、射手座的に学習に発展してくると、その受け取った知識に 疑問符をつけたり、自分なりの意見を持ったりと、ある知識に対して、非常に大きく感情を動かされることになります。

ですから例えば、ある程度、一つの分野を探求してくると、その分野の「信者」のようになり、それ以外の分野の知識を排除したり、否定したりして、過激な新興宗教のようになってくることがあったりします。


また、知と感情が混ぜ合わさることで、激高型の政治運動のようになることも16度では描かれているのだと思います。

例えば、世の中に対して、過激な意見をぶつける、反対派運動を起こしたり、 陰謀論や、社会の闇などを追求しだしたりして、世の中に対しての異常な怒りや怖れに繋がることもあります。

しかしこうしたことは、裏を返せば、特定のある分野の知識のみを、探求することで、偏りが生じ、その分野の知識から多大な影響を受け、偏った感情的な意見を 持ったりすることになります。

こうした、ある知から、影響を受けすぎる、というのは、裏を返せば、 「無知の現れ」でもあるのです。無知だからこそ、それに強く影響を受け、感情が動く。信者。とは、そういう風に生まれるのではないかと思います。

しかし、19度で、古典書物に触れ、知の種の源流に触れることで、その種、とは あらゆる分野へ、包括的に繋がっていることに気が付き始めます。

自分の信じてるもの、学んできたものは、全体のほんのひとかけらに過ぎないことに気が付くのです。

本当に知的である、とは、様々な分野において、包括的に、下知識を持っていて、 どんな分野の会話でも、ディスカッションすることが出来る、ということなのだと思います。 ですから、「ある特定の知識」にそう、簡単に感情を動かされないし、 そう簡単に影響を受けて、持っていかれることもないのです。

これは、感性が鈍感だ、ということではなく、知的な極みに到達してくることで、 よろい、感性が研ぎ澄まされる、知の豊穣さは、中庸をもたらすのだと思います。

カフェテリアでは、たくさんの人たちが、いろんな国の言葉で、様々な知の分野について、会話をしているかもしれません。

この度数では、このカフェテリアにいろんな知の体系が集まり、共存しています。 誰かが誰かの言ってることを否定したり、攻撃したり排除したりしている風景は想像できません。

知の総集大成である20度では、あらゆる知的体系が一つの場所に集まり、 ただ、そこに、共に存在している、そういう風景なのだと思います。