3羽の雛が高い木の上の巣にいる

Three fledglings in a nest high in a tree.

サビアンにおける23度は、21度の男性性のエネルギーと22度の女性性のエネルギーの統合です。

23度で、サビアンは、そのサインの最も成熟した形の成果を実現します。

なんというか、人の人生に例えると、活発で無鉄砲な青年期を過ぎ、

まだまだ元気な壮年期を過ぎ、中年期に入って、精神と肉体のバランスが程よく取れて、油の乗り切った状態になったような感じがこのあたりの度数なのだと思います。

双子座では、21度で、労働者がデモを起こし、都会的で、自己実現的な、

活発な暮らしを、限界点まで、やりつくします。

双子座は、情報処理能力に関わりますので、このあたりの度数で、

そのマルチタスク的な処理能力が、マックスまで到達する感じがします。

双子座の処理能力を最大限に生かして、都会の中で、たくさんの仕事を分刻みでやりまくる。

常に、頭の中の配線は、マックスに働いておりショート寸前です。

まさに現代人の私たちの生活とはこのような状態になっている人が多いのだと思います。

ですから、肉体的にはそんなに駆使していないのだけど、頭は、200%毎日駆使しているので、常に、頭の中がヒート状態で、テンションの高い状態。

上に気が上がりすぎている状態が、現代人には多いのだと思います。

忙しく動き回り、頭を使いすぎるほど使ってる割には、肉体をほとんど使わないものだから、疲れてるはずなのに眠れないとか、体は疲れてなくて、頭は興奮してるから、不眠になったりするのも現代人の特徴です。

双子座的な活動って、頭脳労働が主ですから、頭ばっかり使って、体を使わない、

五感の作業をしない、だから肉体をどこかに置き忘れてしまうようなことも多いのではないかと思います。

頭は常に先を行くけれど、体は使われないから、どんどん足腰が弱り、

下半身が貧弱になると、体のあちこちがバランスを崩し始めます。

体がバランスを崩し始めると心が、バランスを崩し始めます。

現代の経済中心の生活を生きる私たちが、鬱になりやすいのは、こうした傾向の流れが非常に多いのだと思います。

双子座は、21度でその、頭脳労働的なテンションがマックス値まで到達し、限界に達しました。

こうして、体を壊してしまったり、鬱になってしまったり、会社をクビになってしまったりして、都会的な社会生活が営めなくなって、私たちははじめて、自分の身体や心を置き去りにし続けて来たことに気が付くのです。

こうして、22度では、都会の喧騒から離れ、田舎暮らしに入ったのでした。

都会と田舎では時間の流れが全く違います。

昔、20歳ころに、インド放浪の旅に出たときに、バックパックで数か月に渡り、インド全土を、旅してまわったことがあります。

その時、デリーやカルカタなどの大都市から、聞いたことも無いような田舎町まで、たくさんの街を電車の旅でまわったのですが、駅に、チャイ売りが必ずいるのですが、のんびりとした、田舎町の駅のチャイ売りは、ちゃーーーい、ちゃーーーーい、と、リアカーにチャイを積み、売っています。

少し、都会的な街になると、ちゃいちゃい、ちゃいちゃい、と、チャイ売りのテンポが少し早くなります。そして、デリーなどの大都会の駅にいるチャイ売りは、

ちゃいちゃいちゃいちゃいちゃい!!!!と、ものすごい勢いの速さで通り抜けて行きます。(買いたくても買えないくらい速い。笑)

そんな風に、都会と、田舎では、時間の流れが全く違って、私たち人間もその時間軸を生きることになるのだと思います。

田舎の暮らしはのんびりしていて、お金も、都会に比べるとかからなかったりするので、競争心や見栄を掻き立てられることも少なく、十分に休息の時間を取ることができるでしょう。

毎日、自然に触れて、山を散策したり、川で釣りをしたり、鳥の鳴き声を聴いたりしながら、日々を過ごす。

どんなヒーリングよりも、どんなセラピーよりも、疲れた心身を癒してくれるのが

こういった生活なのだと思います。

こうして、十分に休息し、少しずつ都会で傷ついた心と神経を回復させてくると、

今度は、田舎暮らしを能動的に楽しもうとし始めます。

裏山で積んできたヨモギを使って、ヨモギ餅を作ったり、畑で収穫した大豆を使って、手前味噌を仕込んだり、摘んできた野草から酵母を起こしてパンを焼いたり、

田舎生活を本気でやろうと思えば、実は都会生活より、ずっと忙しいことを知るのです。

忙しいと言っても、頭ばかりを使う忙しさではなく、肉体労働的な忙しさですから、

朝早くから働いて、夜暗くなると、眠気が襲ってきて、ぐっすり眠る。

そういう自然な人間としてのリズムを取り戻していきます。

そうこうしているうちに、村人たちと仲良くなり、足りない材木や藁をもらったり、

畑作業や稲刈りを手伝いに行ったりしているうちに、田舎の人たちと仲良しになります。こうして、納屋で行われるバーンダンスのような宴に参加して、

田舎生活は休息するだけの場ではなく、そこでの生活を楽しみ、謳歌するようになります。

こうしたところまでが、22度までで描かれていたところだと思います。

21度で限界値まで達した、頭脳労働的な都会生活と、

22度で、獲得した、休息のために田舎に籠るこことから、今まで知らなかった充実した暮らしや楽しみを知ることをになります。

そして、23度では、21度的な暮らしと、22度的な暮らしのどちらもバランスよく生き、統合していく生き方に開かれていくのです。

そのために、必要なものは何か、大切なエッセンスとは何かを、全体を見極めることで、重要なものを抜き出し、そうでないものと、分けていく能力が23度の働きになります。

双子座とは、あらゆるたくさんの雑多な情報を、全体を把握し、より分ける能力、分類し、必要なものを抜き取っていく能力に、最終的には育っていきます。

21度で、都会生活で無理をしつくして獲得した都会生活は、決して悪いことではなく、要はバランスの問題です。

22度の田舎暮らしだって、そこに偏り過ぎれば、現代社会から取り残されます。

田舎暮らしだって、お金や情報は必要なのです。

ですから、23度では、その両方の良いところを見極めて抽出し、必要でないものと選り分けていきます。

例えば、都会生活で獲得した、WEBの知識や、プログラミングの知識は、田舎生活をしながら、場所を問わずに、ちゃんと収入を得たり、経済活動をするために非常に役に立つでしょうし、

田舎生活をしながら、現代の情報文明を融合させることで、どちらかに偏ることで

起こる、アンバランスを克服し、23度ではその統合を図り、良いとこどりをしていきます。

双子座23度では、木の高いところに3羽の雛がいる様子が描かれています。

3という数字は、創造性に関わります。

ここでは、21度的なものと、22度的なものから大事なエッセンスを抜き取ることで、

それらを統合し、23度で、創造的なものへと仕上げていきます。

21度的なことに偏りすぎることで起こる弊害と、

(例えば、頭脳労働ばかりを分刻みでしまくることによる、神経症や病気など)

22度的なことに偏りすぎることで起こる弊害を、

(例えば、田舎暮らしに偏りすぎることで、経済活動が成り立たなかったり、人間関係が密すぎることによる閉塞感など。)

23度では克服していくのです。

そのためには、木の高いところへ、大事に育てたい、種(雛)をよけて、

大切に育てていこうとしています。