服を着てパレードするウサギたち
Rabbits dressed in clothes and on parade.


8の数字は、ここまでのサインのストーリーが、ある一つの形として形骸化する流れとなります。 ここまでの流れがここで、いったん形になる。

8は形あるもの、目に見えるもの、 物質性の完成形であり、ここで、極まり切り手に触れられるものになる、固まる、といったニュアンスとなります。


蟹座のここまでのストーリーがここで、一つの形を帯び、そして固まり切ったものはここから更に違う物質性へ存在の次元を変えていくという過程に入ります。


一つ前の7度では、6度で、犠牲になることで崩れたバランスを統合するために、自身の中にある遊び心に気が付きました。 自分の中にある、遊びたい衝動、羽目を外したい衝動、を受け入れることで、 6度で疲弊した精神を、取り戻すことが出来た過程がありました。


7度では月明かりが出てきますが、月は、自分の中にある本当の望みや欲求に関わります。情緒性や衝動性が、月の担当するところなのです。


私たちは月の前では嘘をつけないし、月の司る感情の動きや本能を無視しては 人生のバランスを崩してしまうのです。


蟹座は自分の中にある感情や本能を学ぶレッスンでもありますが、 6度で守るもののために巣を作るのも本能ですし、 7度で、月明かりの下で遊ぶのも、私たちの本質的な衝動です。


そして、8度では、兎が登場しますが、兎は、本能的で衝動的な性質として サビアンでは描かれています。


その本能的な性質の動物が服を着て、正装し、パレードに参加している様子です。


私たちは本質的には、動物的な部分を誰しも持っており、本能によって突き動かされて生きる生き物なのだと思います。


しかし、その本能的な性質を持ちながら、普段の日常においては、服を着て、 行儀良く理性的なふりをして、表通りを歩くのです。

本当は、昨日の夜には月夜の下で、人には言えないような淫らなことや、 えげつないことをしていたかもれなくても、次の日の朝を迎えれば、 そんな自分はお首にも出さず、ネクタイを締めて、常識的な顔をして、 会社に行くわけです。


それが、私たちの本性であり、それが、人間生活の本質です。


どちらもあっていいし、どれかの自分を否定してはどこかで歪が生じる。
そういうことなのかもしれません。


また、そうした本能的な自分や衝動的で動物的な自分を、覆い隠さず、 理性的な自分がちゃんと受け入れていること、認めていること、そうした在り方の方が、本当の意味で、社会性をもって、この社会の中で協調的な生き方ができる成熟さとなるのかもしれません。


自分の中にある、そうした動物的な部分や狂気の部分を認めないこと、 無かったこととして見なかったことにすることは、いずれ、どこかで限界を来たし、 暴れ狂う衝動が、破壊行動に出てしまうものなのかもしれません。


毎晩、月夜の下で、遊び、乱れ、叫び、踊り、狂乱する。 そのくらいの方が、正常で、バランスよい人生を続けることができるのかもしれません。


真の意味の紳士淑女とは、その清楚なスーツの下に隠された荒ぶる、淫らな自分と、常に仲良しである、ということなのではないでしょうか。