ありあまるほどの食事を楽しんだ人々
A group of people who have overeaten and enjoyed it.


15度は、そのサインの前半の物語が、ここで最高点に達し、 そのサインの性質がマックスにまで高まり、完結編を見せてきます。

そのサインの最も高いテンションが現れ、形になるのが、この15度です。

サインの前半の物語は、まだ反対側の二元の要素が流入していませんから、 まっすぐに、若々しい自信で、ここまで上り詰めてきます。

サインの物語に、迷いがありません。

ここまで蟹座の物語を、まっすぐに語ってきた、サビアン前半では、 一つ前の14度で、老いた賢者が、心の究極点である北東を見て、 空の境地に至っていました。


そこは究極の虚の境地であり、実体のない世界、五感の触れぬ世界なのです。


私たちは、深く、究極的な感情体験をしたとき、無とか、虚とか、空といった境地に達するのだと思います。


色即是空、空即是色。


色は空なり。 空は色なり。


ここは表裏だということです。

私たちは、俗にある時、聖に焦がれ、空を追い求めます。
そして、究極的な虚空を体験したとき、はじめて、
この五感の世界の素晴らしさ、感じることの豊かさに気が付くことが 出来るのです。


ヨガの瞑想では、高次の究極の意識に到達すると、今度は、逆転作用が起こり、物質的な性質の方に、一気にベクトルが向くと言います。


そして、物質性の生き方が究極的に極まると、今度はまた、形の無い世界に 意識が向き、交互作用を繰り返すと言います。


これは、人間としてとても健全な作用で、これを繰り返すことによって、 空と実、聖と俗の統合が起こり、どちらかだけに偏るアンバランスな生き方を 超越していき、統合された意識を獲得していくのだと言います。


蟹座の15度では、ありあまる食事を楽しんでいる人たちが描かれています。


これは、とても物質的で五感的な世界を楽しんでいる様子がイメージできます。 また、それを誰か、大好きな人たちと楽しんでいるのです。


これは、例えば、家族の普通のいつも食卓の団欒の様子を想起させるのではないでしょうか。


物質的に豊かである暮らし。 そして、その豊かな暮らしを、愛する家族と楽しんでいる様子。


虚を求め、焦がれ、俗の世界、五感の世界から離れよう離れようとして 自分の中心に閉じこもり、他からの影響を排除してきた、 蟹座第3グループのストーリーがありました。


それは、誰かを自分より愛しぬいた結果、その愛する者を守るために、その自分の中にある最も強い意志を、貫き通した結果、深く強く自分の中心に潜り込んだなのです。


自分の内側にある直感以外、何も確かなものは無い。 そのことを知った過程がここまでありました。



そうして、自分の中に潜り、深く、自分の魂と接触した結果、 究極の空の境地に到達したのが14度でした。


そこは、五感の痛みも無い、揺れ動き悶絶する感情の苦しみもない、 ただ静かで動きのない虚の闇に到達したのです。


そこには、苦しみもない、痛みも、悲しみもない、ただただ虚の世界、 それを体験するのです。


こうした境地を体験した人というのは、普段の家族の団欒の、たったそれだけの 普通の光景が、どれほど豊かで、光に満ちた体験かということを、知ることになります。


有り余る豊かな食事は、五感を、楽しみ切ること。 豊かな暮らしは、食事だけでなく、衣食住全て、更には、五感の楽しみが無数にあるでしょう。


そして、それを大好きな人たちと一緒に味わうことで、美味しさや楽しさは 何百倍にもなります。


誰かと共に生きるということは、それだけ面倒なこともたくさんありますし、 時には悶絶するほどの苦しい感情も体験することになります。


でも、虚を知った人は、それすらも光に見えるのです。 今この時、肉体を持ったこの時にしか体験できない珠玉の経験なのだということを知っているのです。


蟹座の世界は、共同し、共感する世界。 誰かを愛し、守り抜く世界です。


その体験を通してしか知ることのできない究極的な蟹座のストーリーの完結編がこの15度で現れているのです。