ヒヨコのために土をほじくる雌鳥
A hen scratching for hen chicks.



16度から20度までの第3グループは、
蟹座の世界に、拮抗する山羊座の世界観が流入してきて、
心や気持ちの世界に、山羊座という大人意識とか、
社会活動に関する情報が一気に入ってきます。



そのことで蟹座は、蟹座本来の心や情感の領域と、山羊座という社会性の領域を、どのように融合していくのかを、必死で模索しているような場面がこの第3グループです。


16度で、曼荼羅を見ている男は、心、という膨大な宇宙を、なんとか目に見える手に触れられる形あるものとして、表現しようとした曼荼羅を目の前にして、 心の世界の膨大さをより認識するとともに、では、その心の世界をこの物質界で、

この社会の中で、形あるものとしていくにはどうしたらいいのかという大きな挫折と葛藤に圧倒されている様子を感じます。


そして、17度では、一つの可能性が、小さな芽となって、最初の形ある片鱗が芽生えた物語が描かれていました。


それまでは、心の世界と形ある世界をどのように融合させていったらよいのか、 曼荼羅という膨大な情報量を目の前に、たじろいでいたのですが、 17度で、ようやく最初の第一歩、一つ目の種、が形となったのかもしれません。


意識が、最初の形ある点として、この地上界に下される、そんなイメージが浮かびます。


18はタロットカードでは月のカードになります。ここでは、9が土台にあり、深い潜在意識、心の深層を手繰り、それを意識的に活用していくような場面がサビアンにおいても各サインで描かれていきます。


17度で、どこまでも広がるイメージや理想に触れ、18度では、その微細なイメージを、心とか感情のろ過機を通して、上に押し上げたり、下に下したり、そんな場面になるかもしれません。


18はまさに月の扉に関わるところですので、感情という媒介路を通して、 宇宙と繋がり、この大地で活用する、そんな流れが、サビアンでは描かれるのだと思います。


蟹座18度は、ひよこの為に土をほじくる雌鳥。となっています。 可愛い我が子のためにお母さんが頑張って働いている様子が思い浮かびます。


蟹座は心の世界であり、母性の世界であるというお話を前半度数でしてきました。 そして、後半に入った16度でそんな母性と心の世界に、山羊座という大人の社会が流入してきたのです。


ですから、例えば、ここでは、子育てをしている家庭のお母さんが、自らの子供を守るために、社会に出て働く、といったイメージが浮かびます。


小さな子供を育てているお母さんが、また、長年、家庭で主婦をしてきたお母さんが外に働きに出るということは、もともと社会の中で仕事をしてきた人が働くのとは、訳が違うのだと思います。


小さな子がいる母親が外に出て働くということは、身一つで仕事ができる状況とは全く異なります。 例えば、子供が熱を出したり、体調を崩したりすれば仕事を全て中断して迎えに行かなければなりませんし、

本来、子育てをしているお母さんが、外に出て、 子供以外の会社や社会に時間を合わせて働くということは不可能なのです。


それをしようとすると、相当の無理がかかってしまうものなのです。 子供がたまたま健康で、熱も出しずらく、学校にも普通に行ってくれて、世の中が平和で、というそういうたまたまの状況が、偶然にも運よく積み重なって、 はじめて現代の社会制度とか世の中の仕組みの中で、母親が会社勤めが出来るということが成り立ちます。



それが、例えば、そのたまたまの奇跡が一個でも、崩れれば・・ 例えば、子供が病気であるとか、障害を負っているとか、健康だけど、小学校に入って不登校になってしまったとか、いきなりウイルスが蔓延して何か月も学校が休校になったとか、そういうちょっとでも一般と外れるアクシデントが起こると、 母親は、会社に行くことができないのです。


自分さえ健康であれば仕事ができるという、状況とは、小さな子を育てているお母さんの社会活動の仕方は全く事情が異なってきます。


しかし、ここで土をほじくってる雌鳥は、そんな状況でもなんとか、子供を守りたい、家の中にだけいて、家事や子育てだけしていたのではこの子たちを守れない、と必死に試行錯誤している様子なのだと思います。


蟹座は心と情感の世界ですから、16度以降の後半度数ではその心の世界を この社会という活動の中に、反映させ落とし込んで行こうとする流れが始まります。


社会活動が先にありきではなく、心とか、家族とか、母性とか、そういうものを中心に置きながらも、社会の中で活動し、社会と折り合いをつけていくにはどうしたらいいのか、と考えていくのが後半度数の流れになります。


仕事をするために、自分の気持ちとか、本音の心とか、家族との時間とか、子育てのこととか、そういう内的な部分を全部無視して、仕事をしようとすればそれは、可能なのです(それをやりすぎて、破綻するのが山羊座の後半度数からの流れです)

蟹座の世界では、それは到底できることではなく、まずは心ありき、そしてその心の世界に、社会を沿わせ、折りあっていく・・そういう模索が始まります。


心を全く無視して、お金の為だけに仕事をすることが、どれだけ私たちの心や精神性を蝕み、生活や健康を犠牲にすることかを、蟹座はよく分かっているのです。


だから、蟹座的な偏った世界にだけ生きることが許されるのならば、一生、家にいて、子育てをしながら、社会と接点を持たず、自分の好きなことを趣味としてやっていく、そういう生き方だってあるのです。


しかし、占星術では二元のあちら側の学びを通して魂が成長していくレッスンが繰り返されますので、

蟹座の後半からは、まったく反対側の世界観である 社会と家庭とか、本音と建て前とか、そういう者が、出会っていくのです。