絶壁の端にある岩の塊
Rock formations at the edge of precipice.


5の数字の性質は、外側に向かい広がり表現され、挑戦する性質です。

5は人型に関連しますから、自らの個性を、外側に向けて強く主張するのです。


5は黄金比率に関わりますが、これは、形を変えないまま拡大する。
という性質があります。

普通は変化するときには、外側の環境に合わせて、その環境に沿うように自らを変えられるものだけが、生き残っていくことが出来、種の保存をすることが出来ると言われますよね。


しかし、5の性質は自らの資質を変えないで、拡大していくという性質です。 5の黄金比率は、金星の軌道やアンモナイトなど、自然界や私たちの太陽系でも様々な場面で、登場しますが、

5は私たち人間の意識の性質を表すのではないかとも思います。

4は、自然界の法則そのものであり、四つ足の動物が本能的で情動的な存在の性質を持つとしたら、人間は、そこに知性という意識が加わり、5の性質になると言います。


5の星型は、黄金比率で、1対1.6の対比で形成されています。

これを数字に置き換えると3,5,8となり、陰陽五行の、相克関係の資質に関わるとされます。


陰陽五行説では、本来、相生関係が、お互いに助け合い、補う性質で、 例えば、木が火の親で、エネルギーをチャージし、火は、土の親で、チャージし、といった関係で、私たちの身体もそのように作用していると東洋医学では考えますよね。


これに対して、相克の関係になると、相手を克す関係なので、孫とおじいちゃんが喧嘩するみたいな関係になるとして、暴走し、不具合が生じたりすると、教えられます。 しかし、こうして黄金比率で考えてみると、相克関係は、魂の成長に関わる 位置関係だという説もあります。 自然界の法則的には、克しあう関係だけれども、私たちの意識はこうした摩擦を通して、成熟するのだということです。


5は獅子座の性質そのものですから、獅子座のサビアンにおける5は、獅子座の本来の資質が、ものすごい勢いとパワーで、拡散される様子が思い浮かびます。


この度数は、絶壁の端にある岩の塊、となっていて、がんっとして絶対的に動かない性質を思い浮かばせます。


何か、大きな壁にぶち当たって、挫折している様子が感じられます。

前の4度の度数では、正装した男が、自分の存在価値を周りに知らしめよう、誇示しようとしている場面が描かれていました。


獅子座の本来の純粋な創造の性質を4度では、確固たる証拠を得て、絶対的な安定(法則)を獲得しようとしていました。 その本来、無いものを、あるものにしようとする執着が、創造の鍵であった鹿の角を明け渡してしまうことで、本末転倒な事態になっている様子が見て取れたのではないかと思います。


創造に理由はいらないし、証明や証拠も必要としません。また創造を絶対的な法則に当てはめて、檻で飼いならすことも、できないのです。


それは、本来的には、自らの中にいつでもあり、いつでもその資質を引き出せるものなのですが、私たちはその在り処が分からなかったり、1度使えたとしても、 2度目も、3度目も使える保障が無いのでその保証が欲しくなる。


創造の保証。は絶対的な安堵感が欲しいから。 その保証を得れば、この地球で生きる上で、絶対的な安心感に繋がると、錯覚しているから・・

でも、それはいつだって、自分の中にあるし、自分以外のどこに行けようもないものなのです。でも、それを、飼いならし、保証を獲得しようとすると、自分の中の創造の鍵である角を明け渡してしまうことになり、どこに行ったのか分からなくなってしまう。



こうして、4度までで、本来の純粋な創造の資質を、エゴという法則によって 鈍化させたような場面だったと思います。


創造への執着。これが、5度では、大きな挫折体験として描かれているのではないでしょうか。


また獅子座というのは、他者や集団を全く意に介さず、自分の表現だけを押し切っているように見えますが、実際そうではあるのですが、潜在化では、ものすごく周囲を意識しているサインです。


最初の度数でも述べましたが、止まる火、とは、絶対的に周囲の介在があって、存在する火なのです。

でも、その周囲との関係性というのは、平等な関係というよりかは、 自分が王で、周りが従者であり、観衆であり、自分を取り巻く信者たちなのです。
ですから、周りに自分を賞賛してくれ、拍手してくれ、自分の放ったモノに喜んでくれる存在がいて始めて成り立つ世界観なのです。


周りを全く気にしないのだけれども、だからこそ、その強い光に引き寄せられ、影響を受けて集まってくる人たちとの関係。これが獅子座の世界観なのです。


そして、1度から5度までの第1グループでは純粋なそうした獅子座の在り方の性質が、とってもシンプルに描かれているのです。


3度までで獅子座の純粋な創造性がものすごい勢いで発露します。 そして、4度では、周りを自分の絶対的な信者にしようと、その証拠を獲得しようとします。その確証を得たいがばかりに、一番大切な創造の鍵を明け渡してしまうという、本末転倒を犯しても・・


そこまで、強いエゴによって、自らの存在を価値づけようとするのもとても獅子座らしいのですが、5度では、やはり、ここまでのアンバランスが、結局大きな壁にぶち当たることで、超えられない壁を見ることになります。


獅子座のこれからの物語の中で、獲得していく、成熟した形での本当の意味での創造性とは、そんなレベルのものではないからです。


1~3度までは純粋な獅子座的な創造の資質そのものが出ましたが、 その宝を携えて、この後、真の王者への旅路が始まっていくのです。


その旅路を始めるにあたっての、大きな挫折が、この度数であり、 そんな薄っぺらな(正装)で、上辺だけのハリボテで、周囲を惹きつけようとしても無駄ですよ、ということが、ここで分かるのです。


真の創造性を持つ王者の姿に向かってこの後、旅路を進めていくことになるのです。そして、私たちの誰しもが、この王者であり、創造主なのです。