時代遅れの女と最先端の少女
An old-fashioned woman and an up-to-date girl.


サビアンでは、5度区分ごとのグループ分けにおいては、
6度から10度までが第2グループとなり、

2の性質を土台に持ちます。 どのサインでも、
5度までの第1グループはそのサインの性質が、
純粋かつシンプルに、勢いよく広がり、表現されていきます。


5度までで、我サインは、こうこうこういう性質を持っている!と、声高らかに周囲に向けて明示するような感じなのに対して、

6度からの第2グループでは、 5度までに放った性質に対して、周囲からの何らかの反応(2)を受け取って、

自らを客観的に見始める場面であり、
自らを客観視することで、
自分のサインの性質について深く感じ、
考察している様子がどのサインでも描かれます。


獅子座では、5度までに獅子座としての、
肚の底から沸き起こってくる無尽蔵のエネルギー源を元に、周囲に向けて己の個性をこれでもかっと、パワフルに 発し、周囲に影響を与えてきました。



しかし、4度からは、そうした自身の創造的な資質を檻で囲って飼いならしたいとしたとたん、それは、指の間を砂がすり抜けるようにどこか、分からないところへ無くなってしまったのでしたね。


そして、5度では大きな挫折を経験することになります。 獅子座の資質を放ち、周囲と関わったことで、自らの特別な資質を、集団の中でいつまでも誇示し、価値を保守し続けたいというエゴが、大きな壁にぶち当たる要因でした。


6度は、環境との関わり、周囲との調和を表す数字のエネルギーです。 各サインの6度では、自らの資質を持って、周囲と関わる、周りの環境の中で、自らの存在を探っていく、そういった物語が描かれています。


これまでの獅子座は、自信満々で己が一番でしたから、周囲のことを気にも留めていなかったのですが・・ というか、獅子座的な資質では、周囲を気にも留めてないというよりかは、実は潜在的には獅子座の資質は周囲ありきであり、周囲の賞賛や評価を誰よりも気にしているのです、そうした周囲の拍手があってこそ成り立つ世界観こそが獅子座なのですから・・


しかし、ここまでの獅子座の周囲との関わり方は、自分が主役で、周囲は自らを賞賛するべく「とりまき」としての認識に近いので、そういった意味では、気にも留めていなかった、というのが正しいのです。



獅子座の純粋な資質では、周囲に対して自らの放ったモノで影響を与えること。 自分の熱を周囲に伝番すること、こそが獅子座の役目なのですから、周りのことをいちいち気にしていたのでは獅子座のその役割は果たせないのですから。


しかし、5度で、大きな壁にぶち当たったことで、少し弱気な性質が6度からは現れてくることになります。


良くないと一見、思える出来事が起こったりとか、嫌なこと、失敗や挫折体験が起こった時って、私たちはとかくそういう時、もう終わった、もうダメだ、生きていけない、何で自分ばかりがこんな目にあうんだ、と憤り、嘆き悲しむものです。


しかし、こういった一見、ネガティブな事態というのは、実はとてもチャンスな時なのです。嫌なことが起こって、自分の全てを否定したくなるような時、全てに自信を無くしてしまうような時、本当はそんな時こそ、今まで、どうしたって気づけなかったようなことに気が付くチャンスだったりします。


どうしたって閃くことが出来なかったようなアイデアが出たり、 今まで受け取れなかったインスピレーションや、宇宙のメッセージみたいなものを受け取れたりするのもこんな時です。


大きな挫折を経験して、感情が大きく動き、悲しくて苦しくてどうしようもない時こそ、宇宙と繋がる絶対的なチャンスの時なのです。


獅子座6度では、時代遅れの女と最先端の少女。となっています。


5度までのこれまでの獅子座的世界観とは、獅子座が純粋にまっすぐ広がってきた世界でしたから、「自らの個性」に対して、ここまでの獅子座は、自信満々なのです。

自らの創造物、表現に対しても、他の追随を絶対に許さないほどの 強さとパワーが確かにあったのです。


でも、6度では、挫折を経験したことで、少し弱気になり、周囲のことが気になってくるのです。

それまで気にも留めてなかった、その他大勢の、一人一人の身に着けてるものとか、話してる内容とかが気になりだすのです。


今まではそんなこと気にも留めてなかったし、そもそも自分が一番イケてて、最高で、周囲の人は自分の最高を、マネする、もしくは感染する人たちだったのですから・・


でも、自信を無くした獅子座では、なんだか、今まで自信満々で表現していた自分のファッションとか、もしくは自分が作った作品や、自分が書いた文章や小説などかもしれないし、自分が今まで自信満々で演説していた思想かもしれないし、とにかく、その確固たる最高だったはずの表現物が、なんだか色あせて見えるのです。


その他大勢だったはずの彼らのファッションの方がなんだかイケてるように見える。そして、それはそう見えるだけでなく、実際に、すでにイケてるのかもしれない。


獅子座は不動宮ですから、確固たる自分ワールドを持っています。 流行に合わせるのではなく、俺か、俺以外か。

なのです。 俺の表現が常に最高であり、それに時代がついてこようがついてこなかろうが、 意に介さないのです。

時代がついてくれば、ようやく俺に時代がついてきた、となるし、 流行にならなければ、時代はまだまだ俺の表現にはついてこれないんだな、 俺は常に、10年先を行ってるからなってな感じで、どっちにしても自信満々なのです。


確かに、獅子座的なワールドにおいて、それも真実なのです。獅子座は、誰とも違う、個性を放つ。だから、その個性的な表現が魅力であり、才能なのです。


でも、少し間違えるとそれは、とんでもない時代遅れにもなりうるのです。 自らのスタイルにこだわり過ぎて、たまにいつの時代から勃発してきたんだろうというようなファッションや髪形をしている方がおられますね。


でも彼は自信満々で、そのファッションを貫いています。 周りの目など気にしないのです。


でも、一つ何か、意識が変わって、この人が、鏡に映った自分を見て、 ハタと、自分の時代遅れに気づいてしまって、恥ずかしい~~!と思ったとしたらどうでしょう。


もうその恰好では、一歩も街を歩けなくなってしまうでしょう。


周りの街を道行く人たちの一人一人のファッションを、改めて眺めてみれば、 皆、少しだけ個性的で、後の大部分は、ほぼ時代や流行や周囲のTPOに合わせ、とてもお洒落に見えてくる。


それに比べて、自分のこのロカビリースタイルはなんだ・・!という風に、青ざめる瞬間です。


獅子座のここまでの流れの中で、自分に集中しすぎて、周囲のことや、社会の変化や刻一刻と変わりゆく時代の流れなどに全く取り残されてしまっている。

・・・なのに、自信満々・・こうなってくるともはや、自分スタイルを貫いていてかっこいいね、というよりかは、柔軟さを欠いた浦島太郎です。 (まぁ、それでも更に、貫き通せば、究極の個性へとなりそうな気もしますが)

獅子座の世界観における、この意識の突如とした転換とは、ものすごい体験なのだと思います。


今までは、自らの光を周囲に放っていた人が、いきなり突如として、今度は、その他大勢だったはずの周囲からの影響を、鏡が反転したかのように一気に浴び、多大な影響を受ける。


その衝撃たるや計り知れません。


獅子座の世界とは究極的にこうゆうことなのだと思います。 自らの獅子の個性と創造性を、周囲や社会に向けて放つということは、 言い換えれば、ある日突然、こういう反転が起こりえる、ということでもあるのだと思います。


でもそれは、獅子座が、小手先ではない、真の獅子座的な創造性を獲得していくために、必要な過程であり、恩恵となる体験なのだと思います。逆にこの鏡の反転作用を経験しなければ、いつまでたってもお山の大将で、過去の創造にしがみつく、兵どもの夢の後、を繰り返してしまうのかもしれません。