ガラス吹き
Glass blowers.

一つ前の8度では、8という性質上、物質的な場面に、
獅子座の魂の次元で垣間見た宇宙の法則や理想的な世界のようなものを、
落とし込もうとしました。


8という数字は、とても物質性を帯びていますので、
7度の恒久的で深遠な宇宙のイメージが一気に、
若者の破天荒な政治運動のようになって体現化されてしまった
様子が描かれています。


獅子座のパワーと気概と勇気といった意味では、
ものすごい活動性と、他にはないパワフルさを
感じさせる度数ではありますが、

おそらく獅子座的にも 8度で体現されたものは、
とりあえず思ったことをやってみたけど、
形になったものは、思ったよりもずっと粗雑だったなぁとか、
思い描いていた崇高な理想の世界とは程遠いものが、
形になったなぁという感覚も本人が一番ぬぐえないのだと思います。


あの、一瞬だけ、垣間見た、宇宙の深遠なリズムと、
8度で体現された世界は かけ離れすぎてる・・
本人が一番そう感じているのかもしれません。


私たちの創造の過程とは、だいたいこのようになることが多いと思いませんか。 イメージしたもの、インスピレーションを受け取ったもの、

こんな風にしたいと思い描いた理想、それを、一生懸命、
行動に落とし込んで、形にしてみる、 手に触れられる、
目に見える形にしてみる。・・形にしてみたけど、
あれ、こんなもん?

思ってたのと全然違う、ちゃっちい、

また、自分の思いとか、考えていることを、
言葉にしたときも、そういう風に感じることが多いですよね。


本当はこういうことを表現したいのに、
こういうことを伝えたい・・という想いがあって、
言葉にしてみる、文章にしてみる・・

こうして文字に落としてみた瞬間に、
自分の伝えたいことの100分の1も言葉にならない、
文字にしてみたらなんて稚拙なんだろう、と感じることも多いものです。


私たちは、高いところで描いているイメージや、
受け取ったインスピレーションを 形にするとき、
大概、こういったジレンマを常に感じているものなのだと思います。


ですから、7度で、素晴らしく崇高な、
そして、魂の本質の片りんに触れたような 夢のような一瞬を味わった。
あの一瞬味わった、永遠なる境地を、この俗社会に現わしてみたい・・


それを、いきなり、一気にズバッと下に下すと、ああなる。
というのが8度で描かれているような世界なのかもしれません。


創造とは、積み重ねられるものであり、
広く行きわたった認識が必要とされます。

よく、仏教などでは無明といいますが(これは、知がない状態)
という風に捉えることができます。


私たちは無明であればあるほど、短絡的な創造をしてしまいがちで、
形になったものは、魂とは程遠い、、なんてことになるのです。

でも、それでもやらないよりはマシ。


そうやって何度も失敗して、 創造されたものの幼さや小ささに
がっかりして、挫折体験を繰り返して、
そうして、少しずつ、自分のイメージに近いものを創造していく
知識を身に着けていくのだと思います。



9の数字は、8で形になり、圧縮され、エーテルへと、
存在形態を変えた後の、 形の無い世界での心とか
精神性の統合の場面について描かれます。



私たちはとかく、形のあるもの、五感に触れられるものを求めがちですが、 真に価値のあるもの、リアルなものとは、形の無いものであり、
9は月のエネルギーを持つ度数ですが、
心や感情の世界を通して、この形の無い世界に接触していくことになります。


サビアンの9のエネルギーを持つ度数では、心や精神の統合や、
目に見えない世界へのきっかけについて書かれている度数が多いのです。


獅子座の9度は、ガラス吹き、という度数になっていますが、
北海道の小樽市というところはガラス工芸が盛んな街で、
ガラス吹き体験が出来たり、職人さんが、
ガラス吹きをしているところを見学することが出来るのですが、


職人さんが、熱く熱したガラスに慎重に少しずつ少しずつ息を吹き込んで、 薄いガラスの器を作っていきます。


そして、きれいな模様を、微妙な息の強さや、
手元の感覚で作っていくようなのです。


これは、とても集中力のいる作用で、
やはり職人さんの芸術であり、アートの世界なのです。


職人。とは、熟練の技と知識を持つ人のことを言いますが、
匠などと言われる人は、その道50年とか言われるように、20年、30年ではまだ匠の領域には達しないようですよね。


そのくらい長い間、毎日毎日、何十年も、繰り返して練習して技を磨いていくことで、少しずつ、自分の思ったものが作れるようになっていく。


素人からすれば、職人さんの作るものは、すごいな~!
と感じるものですが、 職人さん本人からすると、
やはり、まだまだ納得のいくまで試行錯誤が必要だと言いますし、
何十年経っても、常に鍛錬し、一生勉強だと言いますよね。

逆に自分はこれでいい、もう完璧だ、もう学ぶことはない、
と思ったとたん、 職人としての道は閉ざされたも同然といいます。


創造とは繰り返されること。
と、最初にお話ししましたが、思い描いたものを、
思ったらハイ、ポン!と 出せるのは、
時間軸や空間軸のグリッドの法則が存在しない、
宇宙での出来事であり、時間と空間の法則が存在する、この地球では、
創造も、時間軸と空間軸の影響の中で成されます。


ですから、想い描いたものを、いますぐさま、形にしたい、
創造したいと思うと、 8度のような短絡的な行動になってしまったり、
爆発的なパワーは一時的に生じるのですが、
形になったものは思い描いていたものと程遠い・・
などと言う風になってしまうのです。


なので、大概、ここでがっかりして、
イメージした通りに形にならない、といって、
投げてしまったり、諦めてしまったりするのです。


ですから、そうした意味では、投げてしまうことも、
諦めてしまうことも、それが出来る、
ということはそういうご縁なのです。

投げてしまうことが出来る、諦めてしまうことが出来る、
ご縁です。


しかし、ここで、続けるご縁、諦めることが出来ないご縁に繋がる人もいて、 そういう場合、長い間、毎日、淡々と同じことを繰り返すご縁に恵まれます。


どちらも、ご縁なのかもしれないなぁと思います。


そして、ガラス吹き職人のところでも書きましたように、
毎日毎日、同じ練習を繰り返して、理想のガラス工芸品を作っていく。


何千、何万、何十万という作品を日々、作っていく。

そうして繰り返していくことで、いつしか、
自分が思い描いた通りの作品が作れるようになっていく。
自分の創造物に対する、無明が明けた、ということなのかもしれません。


だから、イメージした通りの工芸品を作ることが出来る。

イメージ通りのものを作るための息の吹き方であったり、
手元の微妙な使い方であったり、
体が、それをしっかりと覚え込んだということでもありますし、
いろんな知識が、染みついたということもあるでしょう。


こういったことを、時間軸と空間軸の法則に
創造が落とし込まれたというのかもしれません。


獅子座の9度では、そうした繰り返される集中した作業を通して、
創造の過程を学習していく物語が描かれています。


創造とは、想ったら即時にハイ!の宇宙の法則とは
ちょっと違うということであり、

地球の時間と空間の法則の中で、
行うことこそが創造であり、醍醐味なのでしょう。


そういうことを、学習している度数なのだと思います。