山車

A pageant.

15度は、サビアンにおいて、そのサインの純粋な性質がここで、マックステンションに到達します。

サビアンの前半の物語はそのサインの、ストレートで純粋な現れの物語です。

まだ、二極の向こう側の性質について完全に無意識とも言える、サビアンの前半のストーリーは、陰陽の反対側の性質を受け入れる受容性を持たない代わりに、

自信満々で、自らの性質を伸ばし切ります。

そして、15度ではそのまっすぐに勢いよく育ってきたサイン前半のストーリーが

ここで一つ、盛り上がりの最終局面を迎えます。

一つ前の14度では、魂の表現の最も絶好のタイミングを見計らっている、

受動的なようで、とても能動的な資質が現れていたと思います。

自らの個性を最も効果的に表現できるタイミングと場面でなければ、あえて何もしない。という、動かないという資質を、とても能動的に使っている物語が描かれていました。

獅子座15度は山車(だし、さんしゃ)と訳されていますが、原文はページェントです。

山車は、日本の神道のお祭りの際に花や人形などで豪華な装飾が施された担いだり、引いたりする出し物である。

これに対して、パジェントは、中世ごろから、宗教的なモチーフを用いた華麗な衣装を着けて、行進することや、野外演劇、出し物などの総称で、宗教的な意味合いがやはり、こちらも強いようです。

日本の山車も西洋のパジェントも、宗教的な意味合いの儀式が根底にあり、それを華美な装飾で派手に演出し、お祭りとして、盛り上がった背景があると思います。

これは、もう、本当に獅子座らしいと思います。

獅子座15度という度数を飾るに相応しいキーワードだと、本当に感じます。

宗教、というと、射手座や9ハウス的なイメージを思い浮かべるかと思いますが、

実は獅子座もとても宗教的な度数です。

階層でサインやハウスを分けた場合、火のサインや、1.5.9ハウスといったトリコーナハウスは、階層で言うと、メンタル層や、コーザル層と自我、魂の部分を司ります。

また1,5,9ハウスは、インド占星術では、魂の個性に関わるところで、幸運のハウスとか、徳のハウスなどと言われますが、これは、その人の、個性そのもの、魂の輪郭や性質そのものに関わる情報があるところだからです。

9ハウスとか射手座もその性質を持ちますが、これは、天秤座や蠍座を超えた先にあるサインなので、大人のとしての人間関係や、家族関係、社会的な関係を終えた上で更にやはり、自分自身を求めていくという、いわば探求の道、なのに対して、獅子座とか、5ハウスというのは、そういった大人の事情の前にある、

その人の、純粋な魂の輪郭に関わるところです。

純粋に、熱い想いを抱くもの、純粋にワクワクするもの、エネルギーがスパークして、パワーがみなぎるもの、その人が何を信じ、何に熱くなるか、そこに無尽蔵のエネルギーがあるからなのだと思います。

不動宮の15度は、四大における、四つのエネルギーの頂点です。

牡牛座の牛、蠍座は鷹へと変容し、獅子座の獅子、そして、水瓶座の天使です。

タロットカードの21番世界のカードにも、これらの四つのシンボルが描かれています。

この四つの要素が統合されて、21番世界の統合の世界観が現れるのです。

二十四節気でも、能動宮の0度と、不動宮の15度の八つのポイントが八節となります。私たちはこの8つの世界を通して、物質界と非物質界を行き来することが出来るのではないかと感じます。

不動宮の15度はここで土用明けとなり、四立(しりゅう)となります。ここで一つの物質性(季節)が極まり、ここから、最盛したものが、次の季節へと転じていく

転換点となります。物事が熟成され切り、物質性が極まり切り、エーテルへと昇華し、別の存在体系へと姿を変えていく場面です。

牡牛座15度は、粋なシルクハットの男でした。ここでは、物質的な所有の世界の学びをやりきって、自在に物質的な世界を操れるようになりました。

そして、これから学ぶ蠍座15度は、五つの砂山の周りで遊ぶ子供たち。

ここは、人間の情動世界の頂点を極め、人心掌握の極みに達します。

人の心を掌握するということは、この世界で、強さを極めることであり、物事を思いのままにコントロールする力を持つことになります。

蠍座の15度ではそういうことを描いています。

蠍座のアトリビュートは、最初、無意識の原初的な存在である蠍が描かれ、

蠍が意識的に飛翔した形が鷹となります。

ですから、蠍座のサソリは、蠍のままで体現された場合、無意識の現れであり、

その無意識に翻弄される在り方を示しています。

しかし、この無意識の感情世界を意識的に見られるようになり、意識的に扱えるようになった時に、蠍座は鷹へと昇華します。

蠍座の学びとはまさにこういうことを言っているのです。

そして水瓶座15度はフェンスの上のラブバード。

自らの中にある二極性がここで統合されていきます。

好き嫌いや、ポジティブネガティブで物を見るという感情的なものの捉え方をいよいよ卒業していくのです。

水瓶座は、四つ足的な動物としての自分から、知性が加わった真の人間としての意識に目覚めていく過程が描かれています。

獅子座の山車は、獅子座的な魂のエネルギーの最も活性化した形が演出されていると思います。

獅子座らしい表現とはまさにこうした、人目を惹く、沢山の人たちに見てもらう、拍手される、そういう派手な演出なのです。

しかし単なる派手さだけでなく、山車や、パジェントが宗教的な色合いを含んでいるように、そこに強い信念体系があるのだと思います。

自分が何を信じているのか、何を祈っているのか、何に情熱的なのか、

そういうものがその人の個性となります。

タロットの五番目の大アルカナは法王というカードですがこれは、

グルが信者に教えを説いている姿です。

自らの信じるものを、またそれに情熱を注ぐものに伝えていく物語が

タロット法王のカードでは描かれているのです。