白人の子供たちと遊ぶ黒人の子供

A colored child playing with white children.

4の数字は、3で生み出されたもの、創造されたものを、秩序化し、固定化する働きがあります。

3で勢いよく、生み出されたものは、結論や結果については考えません。

ただただ、純粋に広がり、活性化する生産性であり、広がりなのです。

そうして広がったそのサインの純粋な活力について、4度では、落としどころを

見出し、法則性を作っていきます。

サビアンにおける4度の度数は、そのサインの純粋な性質が法則化されたときに、

どのような様相を示すか、といったかたちで描写されているのを感じます。

まだサビアンの物語は始まったばかりですから、法則といっても複雑なものではなく、もっともシンプルなそのサインの法則をこの度数で見て取ることが出来ると思います。

一つ前の3度では、自らの生き方の指針となる、拠り所となる、考え方、何を信じて生きるのか、について、出会う場面でした。

この物質界で、肉体を持って生きるということは、同時に、「拠り所」を必要とするのだと、私は思います。

物質界の法則は、形になったものは、同時に解体に入る。という普遍的なルールを持ちます。

形のあるものは、必ず、いつか、朽ちる運命にあります。

この決まりは、変えることは出来ません。

魂は永遠でも、肉体は例外なく尽きるのです。

そして、それがいつなのか、どのようになのか、私たちは、誰も知らされていません。

乙女座の始まりのストーリーは、こうした、目に見える、形ある世界である、

物質界の法則に沿い、その法則を学ぶことを始めていく物語だと思います。

だからこそ、何を信じて生きるのか。が、どうしても必要になる。

そして、その信念は、その人の考え方とか、人生の目的とか、正義とか、いろいろな方向性を生み出します。

少し前までは、私たちは、何を信じているのかが、違うだけで、簡単に争ったり、殺しあったりしていたと思います。

自分が信じてる神様と、他者が信じてる神様が違うと、そこで争いが起こるわけです。

しかし、パイシスの時代を通して、私たちは、こうした過ちを何度も何度も繰り返し、

沢山の血をを流してきました。

ようやく一部で、少しずつ、自分が信じているものと、他者が信じているものが

違うのは当たり前で、違ってもいい、お互いの信じているものを認め合うということが当たり前のことなのだと言うことをようやく、学ぶに至っています。

ホモサピエンスの最大の特徴は、そこにないものを、イメージにより、創り出すことができるということです。イメージされた、その幻想の世界は、イメージし続けることで、形になっていきます。

また、ホモサピエンスは、そのイメージしたものを、他者に伝え、集団でその幻想を信じ、より、世界を強固に創造していくことが出来る、稀有な能力を持つ種族だと、されています。

だから、宗教というものが生み出されたし、現代においての、全世界共通の最大の宗教は、貨幣制度ではないでしょうか。

最初は、石ころや、麦の束を交換の対象として使い始めたわけですが、そのうち、金とか、稀な鉱物がお金の役割を果たしていくようになります。

鉱物に価値が付けられ、それを持っていれば、欲しいものと交換できるようになる。

こうして貨幣制度が成り立っていくわけですが、

そのうちだんだんと金本位制が無くなり、お金はただの紙切れになりました。

しかし、今、世界中の人たちが、その紙切れ(もっというと現代では紙切れですらないですよね、ただのデータ、となってきています)に、絶対的な価値があると

信じています。

みんなが信じているから、成り立つのです。

もしかすると、何百年くらい後には、誰もお金の価値など信じなくなる日が来るかもしれませんよね。。

このように、私たちは何を信じているか、で、世界を創り出してきたのです。

それは個人レベルでもそうだし、少数のグループレベル、地域レベルとか、国家レベルとか、いろんなレベルで機能しています。

個人で信じているものは、個人の世界を創り出すことができるし、

集団で信じているものは集団規模の世界を創り出すことが出来る。

こうして、私たちの世界には、沢山の作られた世界たち。が、あちこちに転がっています。

しかし、その沢山の世界たちは、ある人にとっては正義でも、

ある人にとってはそうでないことも、沢山のあるのだと思います。

私たちは、自分でも無意識のうちに、自分の中にたくさんの正義を持っています。

その無数の正義で、世界のあらゆるものをジャッジし、善悪の概念で分類しています。

正義は善悪を生み出し、善悪は、罪悪感を生み出します。

そして、自分の正義と違うものは、悪とし、間違ったものとして、断罪します。

これは、なにも、悪い人や、罪びとだけがやっていることではありません。

世の中のごくごく普通の人たち、まっとう、と言われる人たちだって、

こうしたことを無意識で、普通に行っているのです。

自分の信じている世界。と、他者の信じている世界。が、違ったとしても、

自分の世界を大切にしているように、相手の世界も尊重することが出来る。

パイシスの時代の集合無意識のテーマは本当にここを試されていると思います。

自分の世界が正しくて、相手の世界が間違っている。

自分の信じてる神様が本物で、相手の信じてる神様は偽物だ。

正義を振りかざすことほど、怖ろしいことはないものだと思います。

私たちの世界は、こうして、沢山の人たちが作った世界によって、いろんな思想があり、いろんな、哲学があり、いろんな神様がいて出来上がっている。

だからこそ、素晴らしいのだと思います。

3度で、自らの生きるための信じる世界を見つけ、思想を持ち、祈りの世界を知った人は、天使の保護を受けるようになります。

(その天使すらもイメージで、本物にすることが出来るのです)

3度の所で書きましたが二人の天使は、こうして正義と悪として二極化された意識の統合の為の二人の天使なのかもしれないし、

自分の世界の天使と、相手の世界の天使が、手を繋いで現れている姿かもしれません。

互いに違うことを認め合い、尊敬しあう為に、お互いの天使があえて、お互いを出会わせたのかもしれません。

こうして、見えない保護とサポートをもたらされた私たちは、

世界の違う他者を受け入れることが出来るようになります。

断罪するのではなく、尊敬することが出来るようになります。

そこには、優劣も、上下も、レベル分けもありません。

私たちは、何を信じているかは、違って当たり前で、魂の存在であるという点で、

みんな同一です。

そして、肉体を持ち、この世界を生きているという、同志です。

そこに、差異や優劣などないのです。

乙女座は、細かな差異を見つけ出す能力を持ちますから、こうして様々なレベル分け、カテゴリ分け、分類分けを得意とします。

だから、この後も、そうした俗世間の中での人間の分類社会の中でどのように生きていくかということのレッスンが始まっていくわけですが、

この度数は、乙女座のシンプルで純粋な法則ですから、

ここがやはり土台になるのだと思います。

肌の色の違いとか、物質的に持ってる量の違いとか、細かな差や

思想や考え方の差で、人を分けることは出来ない、

そういう、しごく、当たり前すぎるほど、当たり前のことを、この度数では、

白人の子供たちと遊ぶ黒人の子として、描いているのではないでしょうか。

子供が登場しますが、子供は、乙女座1度で出てきたような

男の頭の象徴である、論理性や、合理性を持ちません。

純粋な潜在意識の存在である子供は、男の頭でものを見ませんから、

ただ、純粋に、一緒に遊んで楽しいから遊ぶのです。

乙女座はこの後、男の頭。を確立していくために、無意識の層を、

下層にしまい込んでいく流れに入って行きます。

いわゆる、顕在意識の世界に入って行くことになる、ということなのかもしれません。

乙女座では、顕在意識で生きていくことを試されます。

物事を合理的にロジックで考え、思考で生きていくことを促されます。

しかし、思考は、低次の感情に埋没した場合、タロットのソードのような世界観となって現れてきます。

それでもまずは、顕在意識の世界、マインドの世界のレッスンを歩いていくことになるのです。

4度のこの度数では、純粋な潜在意識の世界、が描かれていて、

楽しいから遊ぶ、好きだから一緒に過ごす、笑いたいから一緒に笑う、

相手の肌の色とか国籍とか、属してる宗教とか、そんなものは関係ないのです。

友達になれるか、なれないかは、フィーリングで全て分かるのですから。