水泳競技 A swimming race. サビアンにおける19度は、16度以降の後半の物語が始まり、 反対側のサインの性質を受け入れることで、一度大きく挫折して、 内面と深く対峙してきた過程がありますが、19度くらいまで来ると、 一度大きく縮みこみ、内省したことで、より内面的にも充実し、 揺るがない成熟したサインの性質が育ってきている場面です。 19度では、そのサインらしさを、大きく跳躍できる、 魔法が使えるところまで 成熟してきている度数だと、捉えています。 乙女座のここまでの物語は、16度のオラウータンで、今まで出会ったこともない、 自分の世界には全く存在しえなかったような人物と出会い、大きな打撃を受けます。 前半までの乙女座は、自分と他者を、全て、物質的な階級のレベル分けで、 分類してきましたから、自分の中の階級分けで最下層に存在するような人物のことなど 見向きもしないし、そもそも、自分の階級に存在すらしていないような 存在が現れてきて、 大きな影響を与えてくるのが、この16度の度数です。 ここで、それまでの乙女座の世界は大きく崩れ去り、 価値構造が一から再構築されたのです。 乙女座後半では、それまで他者と、上か下かという、目に見える形としてしか、 基準付けできなかった世界観から、オラウータンと出会ったことで、 自分には全く想像もつかないような、考え方をする人、生き方をする人、 全く知らない世界観で生きている人が、沢山いるのだということに乙女座は気づきます。 そして、彼らにもそれぞれ、考え方があって、心があって、 感情があるのだということに気付いていきます。 乙女座は理論のサインですから、物事を正しく捉え、 整理分類して考えることが得意ですが、世の中は、全てが教科書通りに行くわけではないし、 四角四面では、どうにもならないことが沢山あります。 どれだけ、知識があっても、論理的に考えても、やはり心の目で見る事や、 相手の気持ちを汲み取り、想像することが出来なければ、 他者とのコミュニケーションは築けないものですよね。 一つ前の18度のウィジャ盤の度数では、自らの潜在意識に触れる体験を、 積極的に行っていた場面が描かれていました。 それまで、理論や、形だけで物事を捉えていた乙女座から、 心で考え、 自らの無意識に対峙するところまで成熟してきました。 乙女座19度では水泳競技、となっています。 サビアンで、水が出てくるときは、潜在意識、感情を現わします。 そして、ここでは、水の中で泳ぎを競っている場面が描かれていますから、 他者との関りがそこにあることがイメージできます。 牡羊座から始まったサインのストーリーは、6番目のサインの乙女座をもって、 自己の輪郭を完成させ、7番目のサインである、天秤座から、自分対相手、 自分対世界、という相手や世界との関りを始めるという大きな流れがあります。 ですから、乙女座までは、そもそも、自分、という輪郭がまだあやふやですから、 それは、裏を返せば、世界にまだ、他者が存在していないということでもあるのです。 世界にはたくさんの人が存在していると思いますよね? でも、心で考える。 というところまで成熟していない場合、実は、世界に、他人は存在していません。 もっと言えば、相手の気持ちを思いやるとか、相手の想いを想像することが出来てはじめて、 世界に、他者は存在します。 それが、出来ないうちは、実は世界にたった一人なのです。 乙女座(もっと言えば、牡羊座から)のここまでの物語を振り返って頂くと そのことが、 理解できるのではないでしょうか。 例えば、他者と何か、意見の食い違いや、諍いがあったとき、 自分一人しか世界に存在していない人はこう考えます。 あいつが悪い、あいつのせいで、私はこんな目にあった。不幸だ。 あいつが私の気持ちを理解してくれないから、だから、何もかもうまく行かない、 そもそも、あいつはバカだから、無知で無能で、下級な人間だから、 私のことなど理解できるわけがない。 だから、あいつが悪い、私は絶対に悪くない、 こんなに私は頑張ってるのに、 分かってもらえない。 このように考えます。 しかし、世界に他人が存在している人は、 あのいい方はひどいよな。でも確かに私も、自分のことばかり押し付けて、 相手のペースや、気持ちを考える余裕を無くしていたかもしれないな。 あの人も今、とても大変で、苦しい状況なのに、あんなこともしてくれたな、 こんなことでもお世話になったな、でも、辛くて苦しくてあんな言い方になっちゃったんだろうな。 今はまだ、冷静に接することはできないけれど、少し距離を置いてから、また、話し合ってみようか・・ とか、こんな風に、考えるのではないでしょうか。 とかく、現代の世の中では、正義を振りかざし、 多数派が少数派を攻撃したり、 皆と同じ考え方でない人を排除したり、 今の時代に正義とされていることに何の疑問も持たずに、 その正義で他者を弾圧したりする傾向がとてもあります。 ある意味、こうした在り方は、とても乙女座的な要素がネガティブに出た在り方ではないかと感じます。 物事を何でも教科書通り、四角四面に捉える。 世の中は、教科書通りにいかないことの方が99%です。 しかし、何でも教科書通りに、学校で習ったことや、学生時代の集団行動に教わったままに社会に出て、周りと同じにすることは得意でも、教科書通りに、 そこからはみ出る人を否定し、排除する。 また、教科書に書いていないことは分からない。自分の頭で考えることが出来ない。心で感じる事が出来ない。 そんな大人が増えているように思います。 なので、かなりの年齢になるまで、世界に自分しか存在しない人。 が 実はとても多いのかもしれません。 大人の年齢になったからって、誰しもが、心で物を考えることが出来るようになるわけじゃなくて、人生において、何度も挫折したり、痛い目見て、沢山経験して始めて、心の目が開く。他者の気持ちを思いやれるようになる。 そうしてはじめて、世界に自分たった一人ではない、沢山の人がいる世界に巡り合っていく。 そういうものなのではないでしょうか。 乙女座19度の水泳競争のこの度数では、そんな風に、ようやく、 自らの心に触れて生きる生き方に出会った人が、今度はそれと同時に、他者の心にも触れて生きることが出来るようになっていく。 そして、沢山の人と関わりあい、心を交し合い、その中で、沢山の感情を感じ、 他者とたくさん関わることで、自分の感情にもたくさん触れ、自分の感情にたくさん触れることで、自分という人間がより深く分かっていく。 そして、自分という人間を知れば知るほど、自分がこの世界の中でどのような輪郭を持ち、どのような存在であるのかが明確になって行く。 その輪郭とは、乙女座の前半で追い求めたような形ある階級レベル分けの輪郭ではなく、真に魂が、形となって顕現した、本当の意味でのあなたの、 この物質界における、この社会における輪郭に出会っていく過程なのです。 |