メリーと白い羊

Mary and her white lamb.

24度の度数は、3を土台においた6の数字のエネルギーを持ちます。

自らの放った関係性を自らで受け止める。といったような数字のニュアンスを持ちます。

ここでは、世界との関係性において、周囲から影響されるのとも、

周りへ影響を与え強く、主張するのともまた違って、

自分の中で、世界との関りを創造的に掘り下げていくような世界観で、

サビアンも描かれます。

乙女座23度の王家の紋章までで、周りと調和し、冷静さを保ちながら、目的を達成する自律的で成熟した人物像にまでなった乙女座の世界観は、

23度の動物とトレーナーの度数で、まだまだ情動的で感情的な人たちを育て、

冷静で、論理的に、自らの意志を達成していくことが出来る人物を育てる場面が描かれていました。

前回の度数の所でもお話したように、自らの主張や要求を言うために、

まずは、信頼を勝ち取り、社会の中で重要な立場になり、あの人なら大丈夫といったような、ブランドイメージを作り、準備を固めてから、

言い分を言う、といったようなお話をしました。

こうして、仕事で信頼を得てきた人物が、今度は、後に続く人を育てたり、

そのことで、自分1人ではまわらない仕事を、そうした人物に任せたりすることが出来るようにもなります。

23度の動物とトレーナーは、そうした意味では、ある意味、上下関係であり、

互いの間にあるのは、友情や親しみというよりかは、調教するものとされる者、

命令するものと従う者、というニュアンスがあります。

ルディアはこの度数をライオン使い、という風に表現したそうですが、

ライオンは、百獣の王であり、本来人間と一緒になるには、首輪をつけるか、檻で飼うしかありません。

本能的で、獰猛な動物ですから、下手をすれば、こちらが噛み殺されかねません。

だからこそ、しっかりと、しつけて、厳しく訓練する必要があるのです。

そこには、絶対に、飼い主に逆らわない、という前提があります。

犬などの動物もそうですが、自分より弱い、と判断したものには、舐めてかかってかみついたりするものですが、飼い主など絶対的な忠誠と服従を決めている相手に対しては、絶対に逆らったりしないものです。

これはこうした、関係性が両者の中で築かれているからであり、

絶対的な服従と、また隷属による信頼関係なのです。

しかし、どうでしょうか。人間同士ではこの関係性は、やはり良い関係性とは言えないのではないでしょうか。

いくら動物的で衝動的な人だからと言って、動物を飼いならすようなわけには

いきません。

何かを成し遂げてきた人、また、何かを極め、社会的に達成してきた人というのは、

周囲に対して、あまり警戒心を抱かないものだと言います。

自らがまだ、半人前で、自信がないからこそ、周囲に対しても、恐怖心や警戒心を持ち、周りも自分も信頼できないものなのだと。

だから、自分よりも下だ、と判断したものは、首に縄をつけて飼いならし、

調教しようとする必要があるのかもしれません。

その方が、自分の手の内において、服従させていた方が、楽だからです。

しかし、ある程度、何か一つのことを極め、社会的に仕事を達成し、

この社会の中で、目的を果たしてきた人物というのは、コントロールを手放し、

周りの人たちも、手放していくことが出来るようになってくるのではないでしょうか。

調教や服従から、自由でフレンドリーな関係へ。

例え相手が、動物的で衝動的な人であったとしても、お互い自由にし、

思いやりと信頼で、良い距離感を保つ、ということが出来るようになってくる。

どちらが上だ、下だという、虚栄も劣等も、そこには無いのだと思います。

乙女座24度では、メリーと羊、という度数になっています。

調教師とライオンという関係から、メリーと羊という、穏やかでほほえましい関係に変わったのだとみることができるのではないでしょうか。

社会的に、ある程度、自己実現し、目標を達成してきた人というのは、

今度はそれ以上、あれもこれもと求めなくなります。

そういうところが自由になって、真に、自らの自由を遊ぶように生きるようになるのかもしれません。

そのように、自分が自由になってくると他者のことも、周りのことも自由にすることが出来るようになってきます。

自らの野心が満たされないうちは、自分も牢獄の中に飼われるライオンのようなものですから、他者にも同じようにしてしまうのかもしれません。

野心というものはそういった意味で大事なものなのだと思います。

昨今の、社会では、野心というものを、良くないもの、好ましくないものと捉える風潮もあるかもしれませんが、

野心は良い意味で、自らの中の動物性であり、本能的なものです。

それを満たすために、乙女座の前半の世界では、1人で周りを討って下剋上する世界を頑張ってきました。

でも、それでは、敵が多くて大変だ、ということに気が付き、後半の世界では、

周りと協調することで、一緒に目標を達成する賢さを学びました。

こうして、周りと喧嘩せずに、自分の目標を達成する術を学んだ乙女座は、

自らの中の野心、というものから解き放たれていきます。

ここで見てきて分かるように、乙女座前半は、自分の野心のために一人で頑張る世界。

後半の世界は、野心のために、皆で頑張る世界。

ベクトルが、自分軸か、他人軸に向いていることが分かります。

しかし、本当はそのどちらでもないのだと思います。

ベクトルがどちらかに向いている場合、そこには、アンバランスが生じます。

自分軸に傾きすぎる場合は、敵がたくさん出来ますし、

他人軸になってしまう場合は、自分が犠牲になります。

だから、天秤座の世界からはは、自分と他者の世界との統合的な関りを学んでいくのです。

その為の前準備として、この乙女座の後半度数での、野心を満たす。という過程が必要なのです。

まずは、自分の中の野心にまっすぐ努力してみる。

この過程無くして、世界との調和的な関係を築くことは出来ないのだと思います。

まずは、自分の中の野心を認め、周りと調和的な関係性を築きながら、

野心を満たす経験をする。

それは、魂にとって、素晴らしい経験なのだと思います。

こうして、自らを社会の中で達成した人は、いろいろなものを手放し、自由になり、

素朴な生き方をするようになっていくのではないでしょうか。

欲しいものを、まっすぐに欲しいと言って、それを手に入れる。

こうして手に入れて見なければ見えてこない境地というものがあるのだと思います。

手に入れたから見えてくる、その先にある、本当に欲しいもの。

こうして、人は、人生において、いろいろなものを求め、欲しがり、そして、

それを手放していくものなのではないでしょうか。

最後は、とても純粋で素朴な境地を生きるようになり、

自分も他者も、自由に解き放っていく。

こうした世界との関係性が、メリーと白い羊の度数で描かれているのではないでしょうか。