新しい夜明け、全てが変わった

The dawn of a new day, everything changed.

サビアンにおいて、3度は、1度の男性性と2度の女性性の統合により、生まれ出るエネルギーについて、描かれています。

天秤座の1度では、はりつけにされた蝶のように、自分自身というものを、

私はこういう人間です。と、周囲に対して明確に打ち出すことで、

社会や他者との関りを始めていく度数であると同時に、

自分以外のものと関わる、やり取りをするということは、ある意味、自分自身の個性を、固定化し、位置づける、という状態に入って行くことも、見てきました。

本来、自分、というものは、多面的なものであり、いろいろな側面を持っているものなのだと思いますが、天秤座のテーマとして、自分以外の世界と関わるということは、自分という個性が固まっていく作用にもなるのだということを、天秤座の最初の度数で述べられているのだと思います。

そして、2度では、6の環境や物質的法則に飲み込まれる自然なパターンから、

人間としての意志の力の象徴である7のエネルギーに昇華していく、という

いささか、少しわかりずらい描写が描かれていました。

自分対世界。という対比を考えたときに、世界、という環境の中に私たちはあり、

私たちの肉体は、この地球という環境の中の法則の中にあります。

動物や植物も、みんなそれは同じで、環境の法則の中にあって、互いに循環し、その法則の部分として、作用しあっています。

そして、それは人間も同じで、特に、人間の肉体は完全にその自然界の法則の中にあります。

しかし、人間だけが、この法則に反して、意志の力で切り開いたり、

選択したりする、自由意志、というものを持っています。

この人間特有の、個々が持つ、意志の力について、言っているのがこの度数でいう、7の数字なのではないかと思います。

天秤座の主たるテーマとして、1度で言っているような、環境の中に飲み込まれ、その中で、自分の個性を、固定化し、世界に対して位置づけていく世界観と、

2度で描写されているような、真の個性とは、環境の中で、その法則に飲み込まれ、

周囲に放った自己イメージのレスポンスを受け取り、出来事に飲み込まれながらも、

環境のエネルギーに埋没せず、あえてそこで強い意志の力を放っていくことで、

本当の意味での個性が自分自身の中で発見できるということを言っているのだと思います。

逆説的には、自分しかいない世界で、真に自分自身の個性を発見することは出来ない、ということもまた言っているのだと思います。

こうして、1度と2度のエネルギーが統合されて、天秤座3度では、

新しい夜明け、全てが変わった。

というキーワードになっています。

1度と、2度の流れを通して、私たちは真の個性を発見し、環境の中にありながら、

他者と関わりながら、個性と、意志力を手に入れていく過程を見てきました。

私たちは、この肉体次元において、創造を行う、ということは、

意志の力が、環境に反映されて形となって返ってきたときに、それは達成された、ということになります。

イメージの世界でどれだけ、想像しようとも、妄想しようとも、それが形になって返ってこなければ、それは、創造ではありません。想像の域を出ないのです。

ですから、ある意味、創造を行う、というのは、天秤座の世界の意識レベルに至って初めて行われるものなのではないかと思います。

他者とのやり取り、環境からのレスポンス。を受け取り、やり取りし始めるのが天秤座です。

私たちは、自らの個性を発見すると、その自分自身の個性で他者と関わり、

世界と関わるようになります。

こうなると自ずと、断続的に、自分が放った個性や行いに対する、世界からのレスポンスが日々、返ってくるようになります。

自分が話したこと、行動したこと、他者とやり取りしたこと、などなどが全て

世界に反映され、その答えが形となって返ってくる。

例えば、家の中で、誰とも話さず、ネットにもつながらず、部屋から出ずに、

もし1人で生きていたとして(まぁ、そんなことは不可能なのですが)、

世界からのレスポンスが返ってくることは殆ど無いと思います。

(厳密には、こうした状況がもし可能であったとしても、世界からのレスポンスが全く返ってこないということにはなりません。例えば、長年、部屋に籠って生活をしていれば、運動不足で病気になるとか、風呂に入らなければ不潔で皮膚病になるとか、

住んでいる家の固定資産税を払わなければ役所から連絡が来たり、部屋に閉じこもってたとしたって、その行いに対する、世界からのレスポンスは返ってくるわけです)

私たちは、こうして、肉体を通してあらゆる世界とのやり取りを繰り返しており、

その放った個性に相応しい、レスポンスを世界から受け取り、それを繰り返して生きています。

ですから、例えば、乙女座までは自分一人だけの世界だと、お話しました。

意識の状態において、乙女座までは、自分だけしか存在しない世界ですから、

本当の意味で、世界とのやり取りをまだしていませんから、

世界からのレスポンスを受け取ることも無いのです。

例えば、先ほどの例で、部屋に閉じこもって何年も生きている人が、

他者と話すことも、社会と関わることも一切しなければ、人生が変化していくことも

殆どないのではないでしょうか。

(肉体が老いるとか、病気になるとかそういうレスポンスは返ってきます)

しかし、私たちは、沢山、世界に向けて、言葉や行動を放てば放つ程、

沢山のレスポンスが返ってきて、自分の個性に相応しい返答が世界から帰ってきます。

これは、どんなレスポンスが返ってくるかは、実は自分では操作できないものだったりします。

こんな風になりたい、とか、こんな現実が欲しいとか、想像して、私たちは

世界と関わるし、そうなるように努力し、行動するのですが、世界から返ってくるレスポンスは、当初自分が予定したもの通りになるとは限らないですよね。

時に、予想したものとは全く違うものが返ってくることもあるし、

予想した以上のレスポンスが返ってくることもあります。

このように、世界とやり取りを始める、ということは、正に、

世界が変わる。ということであり、それまでとは全く違った人生のコースを歩み始めることに他ならないからです。

乙女座までが、自分しか存在しない世界。だったとすると、

天秤座以降の、他者と、そして世界と関わり、やり取りを始める世界への移行は、

正に、魂の夜明けであり、それまでの人生とは全く、違う生き方に、

入って行くことに他ならないからです。

私たちは人生において、こうした過程を誰しもが通るものなのではないでしょうか。

幼い頃や、若かりし時代は、ある意味、自分の世界しか存在しないものなのだと思います。

勿論、他者は存在しているし、社会との関わりも持っている。

しかし、自分が放ったモノに対する、世界からのレスポンスについては認識していないし、他者の気持ちを本当の意味でイメージする、ということはできなかったりします。

しかし、人生において、幾度か挫折を経験したり、いろんな経験を積んでいくことで、自分しか存在しなかった世界に、真に他者とのやり取りが始まったり、

自分が放ったモノに対する世界からのレスポンスに意識的になるようになります。

こうなることで、それまでは、見えていなかった、真の自分の個性を発見したり、

また、自分の意志や、イメージを、この世界で形にするという、創造作業に入って行くのではないでしょうか。

それは正に夜明け、だし、全てが変わる。事に他ならないのだと思います。