岩やその内部で形成されているもの

Rocks and things forming therein.

サビアンにおける、8度は、1度から始まったここまでの流れが、

一つの「形」となって、結果が見えてくる場面でもあります。

8は、物質化、具現化の数字のエネルギーで、また、同時に、

物質化されたものは、解体に入るの法則で、別の存在形態へと

形を変え始める、エーテル化する側面を持つ数字でもあります。

射手座のここまでのストーリーは、この俗社会や集団の性質というものを、成熟した精神性で眺め、捉える視点をすでに持っていて、

集団と協調的にやりとりしながら、自分が犠牲にならないで、世の中と付き合っていくあり方も、獲得しつつあります。

ですから、一つ前の、7度の、ドアをノックするキューピッドの度数では、

集団と調和的に関わり合いながら、常に自分の属する集団の

集団意識に埋没しない、「抜け駆け意識」を忘れないことが大切だよ、という教えがあったわけです。

キューピッドは、自分の中にある純粋な好奇心や、遊び心、

これがしたいという、ワクワクその直観的な、インスピレーションに沿って、常に行動していくことが、魂の意図を生きるということであり、

最も大事なコトだからです。

集団と調和的に在るということは、集団と常に協調性を保って、お行儀よく周りに合わせていることではありません。

これは、ただ単に、集団の犠牲になっているということであり、

これをしていると集団と同じようにしていないと不安になるし、

集団の向かう方向と同じ方向にしか進めない人間になってしまいます。

射手座的マインドを手に入れるというのはそういうこととは全く違います。集団とは真逆であっても、魂の意図を生きるのに必要であればそうしなければいけないのです。でも射手座はここで、争ったり、もめたりせず、上手にそれが出来る成熟したマインドを手に入れているから、犠牲にならないのです。

ですから、集団の中にいても常に、自分の中に在るキューピッドを忘れない。常に抜け駆けることを意識し、自分が集団の意識に無意識に埋没して流されていないかをよくよく検証するということです。

このようにして生きていると、8度では、変化していよいよ形になって見えてくるものがあるよ、ということなのです。

自らの精神を生きると、その想念が、世界を形成し始めます。

射手座8度では、岩やその内部で形成されているもの、というキーワードになっています。

岩の内部で形成されているものですから、まだ表から見てその形を

認識することはできないし、どんな形で、何に成っていくのかも

この時点ではまだ分かりません。

でも、射手座のここまでのストーリーで、自分の内側の個性や、閃きでいきることを忠実にやってきたからこそ、見えてくるものがある。

自分のワクワクや、直観を、集団に流されずに、情熱的にやってきたから、

形作られていくものがある。

この度数ではそういうことを言っているのだと思います。

自分を生きる。というその意図が、エッセンスになり、その水滴が

岩に落ち、何度も何度もぽたぽたと落ち続けるうちに、

岩の内部に新しい生命が生まれるのかもしれないし、岩の形を変えることだってあるかもしれない。

私たちはそうやって、意識で、人生を創造している。