成長と理解に対して、受容的な人間の魂 

A human soul receptive to growth and understanding. 

サビアンにおける3度の度数は、1度で、そのサインの凝縮されたエッセンスがこの世界に向けて力強く放たれた結果、2度では1度に対する陰陽の作用である、激しいレスポンスが起こる。 

1度と2度の対峙、化学反応が働いて、生まれ出てくるものが3度です。 

1度だけでは気づけなかった反応が2度では起こってきて、 

そもそも2度は1度が存在したから、派生してきた作用なわけです。 

両者とも、両者がいなければ、存在できなかった関係です。 

1度と2度の化学反応が起こったことで生まれでた3度はそのサインの、 

創造的な発展性を示すものです。 

山羊座の1度、部族の酋長の度数では、この世界に対して、責任を担っていく覚悟を決めたリーダーが、部族のみんなを守り、この部族を繁栄させていくための、戦略やルールを叫び、自分がこの部族のリーダーであることを声高らかに、主張したのですね。 

リーダーというのは、孤独なもので、リーダーの想い、真意というものは、 

他の人にはなかなか理解されないものです。 

リーダーは、部族の長として、部族のため、部族の末代までの繁栄のため、と先々までのビジョンを見据えて、今するべき戦略が見えているわけですが、 

ほとんどの人にはそれが見えず、リーダーは自分勝手なことを言ってるだけだ、とか、自分が偉くなって贅沢したいだけだ、とか、そんなふうに思われてしまうことも多いわけです。 

そうした、リーダーの意図と、集団のニーズにギャップが生じることは 

よくあることで、そこで、摩擦が起こってくるのが2度の、3つのステンドグラスの度数だったわけです。 

リーダー自身が掲げた、この世界への覚悟、社会の中で、形ある結果を出して、貢献していくことのビジョン、これらのものは、自分自身の中では完璧なものだったのだけれども、いざ、世界にそれを放ってみると、 

いろんな考え方の人がいて、いろんなニーズがあって、そして、リーダーの気持ちというものは、なかなか理解されないものだったりして、 

想いとは裏腹に、受け取られて、謀反や攻撃を起こしてくる輩が出てきたり、思いもよらぬところから、反乱が起こったり、いろんなことが 

起こってくるわけです。 

リーダーの掲げた主張は、まだまだ全体を見る目が甘く、理想論的なところがあれば、そこにテコ入れがすぐに入るのです。 

こうして、たくさんの、失敗の経験をしながら、より強いリーダーに育っていく。 

この社会の中で生きていくということは、そういうことだったりしますよね。 

この社会の中で、結果を出していくということ、人の上に立つということ、 

集団を率いるということ、そういう責任を担った人ほど、 

こういったものを、背負っていかなければならない。 

そして、宗教の司祭とは違いますから、常に結果を求められる、 

現実的な数字を残して行かなければならない。 

古くから続く宗教だって、必ず、バックに政治的なバックボーンがありました。資金力のある王や、貴族が必ずついていて、ついていなければ宗教としての活動を存続することはできなかった歴史があります。 

国の衰退や、王の入れ替わりと共に、宗教もその都度影響を受けてきたわけです。 

この社会では、そういった意味では、何をするにも、現実的な数字、お金、 

結果を、残していかなければ、何一つ立ち行かない、理想論ばかりでは 

どうにもならない、ということが現実なのです。 

結果ではない、プロセスが大事とか、 

数字ばかり追うのははしたない、などという人がいますが、 

これは、現実がよく見えておらず、 

責任を担ったことがない人物の持つ意見なのだと思います。 

例えば、会社経営をしている社長が、 

結果ではないプロセスだ、 

数字ばかり追う必要はない、などと言い出したら、 

ちょっとそこの会社で働く社員や、株主たちは不安に 

なってしまいますよね。 

たくさんの人の生活や、その家族の命までもを預かってる 

会社経営者がこれではやっぱり、困るわけです。 

まずは、結果が大事、数字を残すことをして初めて、 

認められる、話を聞いてもらえるということがやはり、あります。 

理想論ばかりで実績が伴わないリーダーには誰もついてこないのです。 

大きな理想や野望、貢献の気持ちを持ちながら、 

それを行動ベースに落とし込み、結果を残していくことで、 

彼についていく人たちが増えていくのではないでしょうか。 

山羊座3度は、そのような世界観を物語っているのではないかと思います。