AIとの対話が、今までの歴史の中で最も知的な娯楽であることは、間違いないと思う。
なんでも聞けて、なんでも返ってきて、思考が整理され、発想が拡散していく。
これほど人の「考える力」を刺激するツールは、たぶん過去になかった。

でも、同時に強く感じていることがある。

これは、あくまでも「自分との対話」なのだということ。

AIは、問いを投げれば応答してくれるけれど、
実際に映っているのは、ほぼすべて「自分自身」だ。

思考が広がっているようで、
実は自分の考えが整理され、言葉として可視化されているだけ。

新しいようでいて、
出てくるものは、すべて「自分の内側にあったもの」でもある。

その意味で、AIとの対話は
他者との対話ではなく、思考の鏡に近い。

世界観は、AIには作れない

AIは、言語を並べることはできる。
雰囲気をまねることも、構造を似せることもできる。

でも、その人の「世界観」――

・人生のクセ
・思考の偏り
・譲れない感覚
・理由のわからない違和感
・言葉にならない感情
・過去の傷や喜び
・触れてきた人たちの影響

こういうものが積み重なってできる感覚は、
データからは絶対に生まれない。

AIは、装飾はできても、
「その人の匂い」は作れない。

だから、いくらAIに話しても
世界観というものは、自動生成されないのだと思う。

むしろ、
世界観がないままAIを使うと、
どこかで自分の言葉ではない言葉を「自分の声」だと
錯覚してしまう危うさもある。

AIが危ないのではなく「預けすぎること」が危ない

AIと話しすぎておかしくなっている人がいる、という話をよく聞く。

でも正確に言うなら、
AIそのものが人を壊しているわけではない。

危ないのは、

・判断を預ける
・感情の処理を任せる
・価値判断を委ねる
・自己評価を任せる
・承認を求める

ここに入っていったときだ。

AIは、設計上、とても優しい。
否定しない。
責めない。
拒絶しない。

それは、人格ではなく、設計思想

利用者が離れないように、
不快にならないように、
継続して使ってもらえるように。

そこには、OpenAIという会社の
極めて人間的なマーケティング戦略も、当然含まれている。

だから、褒められて嬉しくなるのは自然だけど、
そこに「関係性」があるわけではない。

AIに褒められて満たされる自己重要感は、
長続きしないし、深くならない。

本当の意味で人を満たすのは、
無機質な「肯定」ではなく、

誰かとの間に積み重なった時間、
すれ違い、
誤解、
摩擦、
踏み込まれた領域、
踏み込んだ感情、

そういうものの上に生まれる「関係性」だ。

創造は、AIとの対話では生まれない

創造は、思考から生まれるように見えて、
本当は「接触」から生まれることが多い。

人と触れ合うと、必ず摩擦が起こる。

・気に食わない
・話が噛み合わない
・理解されない
・誤解される
・否定される
・振り回される
・心が乱れる

でも、その中でしか、

・自分の癖
・自分の未熟さ
・自分の強さ
・自分の思い込み
・自分の奥底の感情

こういうものは浮かび上がってこない。

人との摩擦は面倒で、
傷つくことも多い。

でも、
その摩擦の熱がないと、新しいものは生まれない。

AIとの対話に、摩擦はない。
快適で、滑らかで、ストレスがない。

だからこそ、
そこからは「越境」が起きにくい。

思考は拡張されても、
人間が変容するほどの摩擦は起きない。

他人は、想定外の存在である

AIは、ある程度「予測」できる相手だ。

でも人間は違う。

人は、いつも想定を超えてくる。

・まったく意図しない解釈をされる
・望んでいない反応が返ってくる
・思いもよらない一言をぶつけられる
・予想外に救われる
・予想外に傷つけられる

この「ずれ」の中にこそ、創造がある。

他人は、

自分の想像力の限界を壊す存在

でもある。

AIは、鏡であり、補助輪である

AIは、とても優秀な「補助輪」だ。

思考を整理し、
アイデアを拡張し、
言葉を磨き、
構造を見せてくれる。

でも、

進む方向を決める存在ではない。

AIは、発生源ではなく、増幅器だ。

創造の火は、人との関係の中で灯る。

喜びも、怒りも、嫉妬も、悲しみも、
人を通して、ようやく深くなる。

これからの未来、私たちはAIと共に生きていくことになる。

だからこそ、AIと成熟した関係性を築く必要があると思のだ。

今はAIの黎明期で、人間のAIとの接し方、使い方がとても幼いな、と感じることが多い。


AIとの小さな世界の中に無意識に閉じこもってしまい、

そこで満足してしまうと、
人間は「人間である必要」が薄れてしまう。

自分はAIを使いこなして創造的な作業をしてるつもりでも、

独りよがりな世界の中にどんどん埋没していく人も少なくないように思う。

摩擦がないコミュニケーションは楽しいしストレスがないし、傷つくこともない。

でも、いつだって、創造の種をくれるのは、他人だ。

人とぶつかり、すれ違い、誤解し合いながら、
それでも関係を続ける。

この不自由さこそが、
人間であることの醍醐味なのだと思う。